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星霜の蔵  作者: nose360
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第四話 御料車  

大宮の鉄道博物館は、東京駅から京浜東北線で約三十分。ニューシャトルに乗り換えて一駅。

 直人と早川は開館と同時に入館した。平日の朝、館内は修学旅行の小学生と鉄道マニアがまばらにいる程度だ。

「目当ては御料車だ。展示の場所を確認する」

 館内マップで御料車の展示位置を確認し、二階の歴史ゾーンに向かった。

 御料車は、薄暗い照明の中にガラス越しに展示されていた。一号御料車。一八七六年(明治九年)製造。日本初の天皇専用車両。外装は黒漆塗り。内装は西洋風の木工細工。壁面に精巧な木象嵌もくぞうがんのパネルが施されている。

 直人はガラスに顔を近づけた。修復士の目で内装を観察する。

 木象嵌。異なる色の木材を組み合わせて、絵や模様を作る技法。この御料車の木象嵌は、明治期の日本の木工技術の最高峰だ。桜、松、富士山。精緻な花弁の一枚一枚まで、異なる木材で表現されている。

「綺麗っすね。——で、何を探すんすか」

「祖父のノートには『御料車。確認せよ』としか書いていない。何を確認すべきかは分からない。だが祖父は修復士だ。修復士が確認すべきことは一つ——異常がないか、だ」

「異常って?」

「本来あるべき姿と違う部分。修復の痕跡。後から手が加えられた形跡。——修復士はそれを見つけるのが仕事だ」

 直人はガラス越しに木象嵌のパネルを凝視した。桜の花。花弁は五枚。配置は自然な散らし模様——に見える。だが直人の目には、わずかな違和感があった。

「花弁の配置がおかしい」

「え? 普通に見えるっすけど」

「普通に見える。だが散らし模様にしては規則的すぎる。自然な散らしなら、花弁の向きや大きさにもっとバラつきがある。これは——計算された配置だ。散らし模様に見せかけた、規則的な配列」

 直人はスマートフォンで木象嵌のパネルを撮影した。ガラス越しなので反射が入るが、花弁の位置は記録できる。

「早川。この花弁の位置を座標化できるか」

「パネルの写真から花弁の中心座標を抽出する? 画像認識でいけるっすよ。——ただ、ガラスの反射がノイズになる。もっとクリアな画像が欲しい」

「ガラスを取り除くことはできない。展示品だ」

「偏光フィルターっすよ。カメラに偏光フィルター付ければ、ガラスの反射を消せる。——持ってきてないけど」

 直人は考えた。偏光フィルター。あるいは——もっと直接的な方法。

「博物館の学芸員に接触できないか。展示品の詳細な写真記録があるはずだ。修復士として、技術的な質問をする形なら——」

「それ、門前払いのパターンじゃないすか。書陵部でやられたのと同じ」

「書陵部とは事情が違う。鉄道博物館は一般の博物館だ。学芸員への質問は受け付けている」

 直人は受付に戻り、学芸員との面談を申し込んだ。文化財修復士の名刺を出し、「御料車の木象嵌技法について、修復学的な観点から質問がある」と伝えた。

 二十分ほど待つと、若い男性の学芸員が出てきた。三十代。眼鏡。穏やかな表情。

「文化財修復士の方ですか。御料車の木象嵌にご興味が?」

「はい。明治期の木象嵌技法を調査しています。御料車のパネルの高解像度写真があれば、拝見させていただきたいのですが」

「写真でしたら、データベースにあります。閲覧室でお見せできますよ」

 あっさりと通った。学芸員の好意と、「修復士」という肩書きの力だ。

 閲覧室で、学芸員がPCの画面に高解像度の写真を表示した。御料車の内装。木象嵌パネルの接写。花弁の一枚一枚が、繊維の方向まで見える解像度。

 直人は写真を凝視した。早川が隣で、自分のノートPCに写真のスクリーンショットを取ろうとしたが、直人が目で止めた。博物館のデータを無断でコピーするわけにはいかない。

 だが直人の修復士の目は、写真から十分な情報を読み取っていた。

 花弁の配置。やはり規則的だ。五枚の花弁が、パネル上に——

 直人は目を閉じ、記憶の中で花弁の位置を再構成した。修復士は、見たものを正確に記憶する訓練を受けている。紙の繊維のパターン、絵の具の色むら、筆の運び。一度見たものは、脳の中に保存される。

 五枚の花弁が三カ所。合計十五の花弁。その配置は——

 旧一円札の三つの穴と、相似形。

 直人は目を開けた。

「ありがとうございます。大変参考になりました」

 閲覧室を出た。早川が廊下で待っていた。

「何か分かったんすか」

「花弁の配置が、旧一円札の穴と同じパターンだ。三つの穴の位置関係と、パネル上の花弁群の位置関係が相似している」

「マジすか。——ってことは、旧一円札とこの御料車は、同じ人間が仕組んだ?」

「可能性がある。——だがそれだけじゃない。パネルの花弁は三カ所に分かれている。旧一円札の穴も三つ。もし一円札の穴をパネルの花弁に重ね合わせたら——」

「何かが起きる?」

「分からない。だが試す価値はある。——問題は、ガラス越しでは試せないことだ」

 二人は再び御料車の展示室に向かった。ガラスケースの前で、直人は腕を組んだ。

「鷺宮さん。閉館後に忍び込むとか——」

「しない。犯罪だ」

「っすよね」

「だが——方法がないわけじゃない」

 直人は学芸員が言っていた言葉を思い出した。「修復」。博物館の展示品には、定期的なメンテナンスが必要だ。御料車のような木製品は、温湿度の管理が重要で、木象嵌の接着が緩んでいないか、虫害がないか、定期的に点検する。

 その点検を行うのは——修復士だ。

「修復の仕事として入る。博物館に修復点検を提案する。御料車の木象嵌の状態調査。修復士として正式に依頼を受ければ、ガラスの中に入れる」

「それ、すぐに通るんすか」

「通らないかもしれない。だが試す」

 直人は受付に戻り、学芸員にもう一度面談を申し込んだ。今度は名刺だけでなく、これまでの修復実績のポートフォリオも見せた。江戸時代の掛け軸、室町の屏風、明治の洋画。修復前と修復後の写真。

「御料車の木象嵌に、経年劣化の兆候が見られます。接着層の微細なひび割れが、ガラス越しでも確認できました。放置すると象嵌片の脱落に繋がる可能性があります。——状態調査をさせていただけないでしょうか」

 学芸員は直人のポートフォリオを真剣に見た。

「……確かに、御料車のメンテナンスは数年前から議題に上がっています。予算の問題で先送りにしているのですが——状態調査だけであれば、上に相談してみます」

「ありがとうございます。費用は不要です。調査報告書を提出しますので、それをメンテナンス予算の申請資料にしていただければ」

 無償の状態調査。博物館にとってはリスクがなく、予算申請の根拠資料が手に入る。断る理由がない提案だった。


 一週間後。

 修復点検の許可が下りた。

 直人は修復道具一式を持って鉄道博物館を再訪した。早川も「アシスタント」として同行。ガラスケースが開けられ、直人は手袋を嵌めて御料車の内部に入った。

 百四十八年前の空気が、車内に溜まっていた。木と漆と、かすかな埃の匂い。明治の匂いだ。

 直人は木象嵌のパネルの前に立った。ガラス越しではない。手が届く距離。修復士の指が、花弁の表面に触れた。

 木の温もり。異なる樹種の微妙な段差。象嵌の境界線。精緻な仕事だ。だが——

 一カ所だけ、段差が他と違う部分があった。

 桜の花弁の一つ。周囲の花弁は表面が面一つらいちになっているが、この一枚だけ——わずかに浮いている。一ミリの百分の一ほど。肉眼では見えない。だが修復士の指には分かる。

 直人は旧一円札をポケットから取り出した。手袋越しに、紙幣の穴をパネルに近づける。

 三つの穴を、三カ所の花弁群に合わせる。穴の位置と花弁の位置が——重なった。

 そして穴が指す花弁は——浮いている花弁。段差のある花弁。三カ所とも。

 直人は三つの花弁を、指先で軽く押した。

 一つ目——カチッ。小さな音。花弁が一ミリほど沈んだ。

 二つ目——カチッ。

 三つ目——

 パネルの一部がスライドした。

 幅十センチ、高さ五センチほどの隙間が開いた。隠し引き出し。

 早川が息を呑んだ。直人も呼吸を止めた。

 引き出しの中に、三つのものが入っていた。

 一つ。真鍮製の小さな凸レンズ。直径三センチほど。縁に細かい模様が彫られている。

 二つ。巻物の断片。古い和紙に墨書き。途中で切れている。

 三つ。小さな石の欠片。五センチ角。表面に刻印。丸の中に横線一本。裏面に小さな文字。「三ノ丸 巽 七」。

「鷺宮さん——」早川の声が震えていた。「これ、百四十八年間ここにあったんすか」

「そういうことになる」

「何百万人が見てきた御料車の中に——隠し引き出しが——」

 直人は三つの遺物を慎重に取り出した。修復士の手で。一つ一つ、手触りを確かめながら。

 真鍮のレンズは、ずしりと重い。精巧な作り。明治の職人の手仕事だ。何に使うのかは分からない。

 巻物の断片を広げた。墨書き。崩し字。内容は——

「続きは水鏡に映せ」

 水鏡。水面に映すということか。

 石の欠片。刻印。裏面の文字「三ノ丸 巽 七」。城の用語だ。三ノ丸は城の外郭。巽は方位で南東。七は——石垣の段数か。

「早川。この石の刻印を写真に撮ってくれ。後で画像検索する」

「了解っす」

 直人はパネルの隠し引き出しを元に戻した。三つの花弁を押し直すと、引き出しがスライドして閉じた。表面は元通り。何事もなかったかのように。

 学芸員には、「木象嵌の状態は良好。接着層に重大な劣化は見られない」と報告した。嘘ではない。隠し引き出しのことは言わなかった。

 博物館を出た。大宮の駅に向かう道で、早川が言った。

「鷺宮さん。俺、今すげえ興奮してるんすけど。あの引き出し——百四十八年間、誰も見つけてなかった。何百万人が見てきたのに」

「見つけられなかった。旧一円札という鍵がなければ、どの花弁を押せばいいか分からない。——祖父は一円札を見つけた。だが御料車のギミックまでは辿り着けなかったのかもしれない。あるいは辿り着いたが、ノートに書く前に——」

 直人は言葉を切った。祖父のノートには御料車の結果が記されていない。辿り着いたのか、辿り着けなかったのか。

 いずれにせよ、今は直人の手に三つの遺物がある。

 真鍮のレンズ。用途不明。だがいつか使う場面が来るはずだ。

 巻物の断片。「水鏡に映せ」。水面に映して読む——鏡文字か。

 石の欠片。城の石垣の刻印。「三ノ丸、巽、七」。どこかの城の、特定の石を指している。

 どの城かは——まだ分からない。

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