聖域の食卓:第二部
父さんが最初からこうだったわけではない。 かつての我が家には、もっと雑多な「色」が溢れていた。リビングには色鮮やかなクッションがあり、母さんは庭に赤いチューリップを植え、父さんは僕を連れて泥だらけになって遊ぶような、どこにでもある家庭だった。
すべてが反転したのは、五年前の「あの事件」からだ。
当時、父さんは化学メーカーの研究員として働いていた。仕事熱心で、常に「完璧な製品」を追い求める人だったが、ある日、部下が起こした小さな配合ミスによって、大規模な爆発事故が発生した。 父さんは一命を取り留めたが、その事故で多くの同僚と、父さんが何年もかけて積み上げてきた「キャリア」という名の純白の履歴に、決して消えない泥を塗られた。
「不純物が混ざったせいだ」
退院した父さんの第一声がそれだった。 事故の原因は、タンクに混入したわずかな塵だったという。それ以来、父さんの世界から「許容」という言葉が消えた。
最初は、部屋の隅の埃を指摘する程度だった。それが次第に、服のシワ、食事の盛り付け、そして僕たちの「思考」にまで及んでいった。 父さんは、外部から持ち込まれるあらゆるものを「汚染物質」と呼ぶようになった。テレビは捨てられ、窓は常に閉ざされ、空気清浄機が家中で唸りを上げている。
母さんが狂ったのは、父さんのその潔癖に応えようとしすぎたからだ。 ある日、母さんが買ってきた肉に、わずかな血が混じっていた。それを見た父さんは、母さんを三日間、真っ白なタイル貼りの浴室に閉じ込めた。 「不浄を取り除け」と命じて。
三日後、出てきた母さんの心は壊れていた。 彼女は、父さんの「色を嫌う狂気」を、「家族を守るための愛」だと脳内で変換することで、辛うじて正気を保つ道を選んだのだ。それからというもの、彼女は父さん以上に徹底した「洗浄者」となった。
夜、リビングから父さんの低い声が聞こえてくる。
「渉、お前は今日、学校で誰と話した?」
父さんは僕の前に、一枚の真っ白な紙を置いた。 「ここに書き出しなさい。お前の中に混じった『不純な言葉』をすべてだ。吐き出して、浄化しなければならない」
僕は震える手でペンを握る。 実際には、友達と漫画の話をした。昨日のテレビ番組の話をした。でも、そんなことを書けば、このペンで指を突き刺されるだろう。
「……誰とも、話していません。先生に挨拶をしただけです」
僕が嘘を書くと、父さんは満足そうに頷き、その紙をシュレッダーにかけた。 「よろしい。お前はまだ、白いままだ」
父さんのその目は、僕を見ているのではない。 僕という輪郭をした「汚れのない石像」を眺めているだけだ。
ふと、母さんがキッチンで、無表情に大根の皮を剥いているのが見えた。 彼女の指は、先ほどの僕への「洗浄」で漂白剤に触れたせいか、白くふやけ、不自然なほどにひび割れていた。
この家で「白」を保つには、痛みが必要だった。 そして僕もまた、その痛みに慣れ始めている自分に、吐き気を覚えた。




