遺失物のゆくえ
十年間連れ添った妻が、一通の書き置きを残して消えた。 「もう、空っぽになってしまいました」 たった一行。心当たりは、ありすぎるほどにあった。
彼女がいなくなった部屋で、男は残された「思い出」を処分することにした。重い腰を上げたのは、彼女が去ってから三ヶ月が経った、ひどく冷え込む冬の朝だった。
クローゼットの奥から引き出した段ボール箱には、付き合っていた頃の手紙、旅先で買った不格好な置物、結婚式の写真立て、そして、二人の間に生まれるはずだった子供のために、彼女が編みかけていた小さな靴下が入っていた。
五年前、その命が零れ落ちてしまったあの日から、彼女の時間は止まっていたのだと、男は今さら気づく。自分は「前を向こう」という言葉で、彼女の悲しみに蓋をし、無理やり引きずり回してきただけだった。
指先に触れる布の感触や、写真の中の眩しすぎる笑顔が、鉛のように指先に絡みつく。袋がいっぱいになるたび、部屋は広くなるはずなのに、空気はどんどん重く、息苦しくなっていった。
ゴミ集積場に指定の袋をいくつか置く。カサリ、と乾いた音がして、自分たちの十年間がアスファルトの上に無造作に転がった。
部屋に戻ると、そこには完璧な静寂があった。埃一つない床。整えられたシーツ。男はふと、壁にかけられた鏡を見た。
「ああ、そうか」
彼女が言った「空っぽ」という言葉の意味が、ようやくわかった。彼女の悲しみを「重い」と疎んじ、共有することを拒んだ自分の傲慢さが、彼女を空っぽにし、そして今、自分をも空っぽにしたのだ。
キッチンには、彼女が愛用していたマグカップが一つだけ、ぽつんと残っていた。不燃ごみの袋に入れ忘れたものだった。
彼はそのカップを抱きしめ、冷え切った床に崩れ落ちた。捨ててしまった袋の中身よりも、手元に残ったこの小さな陶器の重みが、今の彼には耐え難いほど重かった。




