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『凍土補給戦記(フローズン・ロジスティクス)』  作者: 済美 凛


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9/40

『囮の補給車』

氷点下五十四度。

 午前と午後の区別がつかないほど空は白く、

 吹き付ける風が砂のように雪を叩きつけてくる。


 こんな地獄で、

 補給車両一台を動かすだけでも命がけだ。


 だが今から動かす“それ”は――

 ただの補給車ではない。


「……本当にやるの? この作戦」


 アニエス少佐が眉を寄せ、俺をまっすぐ見た。

 地図上には一台のルートが描かれている。


「“囮の補給車”……?」


「ああ。偽物だ」


 俺――ユーリ・コールドウェルは、

 凍えた指でルート線をなぞりながら説明する。


「本物の補給車は動かさない。

 代わりに、燃料タンクを空にした囮車両を送る」


「でも……そんなの、敵に見破られない?」


「見破られるかどうかは問題ではない」


「え?」


「重要なのは、

 敵に“疑わせる”ことだ。」


 アニエスは息を呑んだ。


「……イゴールと同じ手を使うのね」


「心理戦には心理戦で返す。

 イゴールが毒補給を混ぜた地点に、

 こちらも“偽物の補給”を近づける」


 副官が不安げに口を挟む。


「ですが中佐、この気温では……

 囮車両に乗る乗務員が危険では?」


「乗務員は不要だ」


 俺は簡潔に答えた。


「無人走行だ。

 凍結地帯用の自走プログラムで、三時間は動く」


「無人……!?」


「イゴールの手口を逆手に取る。

 彼は必ず“混入地点に近づくもの”を監視している。

 囮でも、反応をすればそれでいい」


 アニエスがゆっくりとうなずいた。


「つまり……囮車両に反応した“影”を追えば、

 混入地点と敵工作員を絞り込めるってことね」


「その通りだ」


 吹雪が窓を揺らす。

 氷の粒が叩きつけるその音は、

 どこか鉄の爪で壁を引っかくようだった。


「問題は……敵がどこまで反応するか、ね」


 アニエスが小さく呟く。


「イゴールは単純ではない。

 こちらが囮を使うと読んで、逆に――」


「“無視する”可能性もある」


「そう。

 だから緊張感があるわけだ」


 俺は小さくうなずき、

 囮補給車に取り付けた“熱源センサー”を確認した。


「敵が囮に接触した瞬間、

 センサーが熱変化を拾う。

 イゴールがどれほど周到でも、

 こちらを観察しない限り混入地点は維持できない」


「つまり……観察の瞬間を捉えるってわけね」


「その瞬間だけでいい。

 そこから逆算すれば、正体に辿りつける」


 アニエスは大きく息を吸い、

 吹雪の音に負けない声で言った。


「――囮車、出すわよ!」


《囮車両、起動開始!》


 外の雪原に止められた無人補給車のエンジンが唸り、

 ゆっくりと動き出す。


 白い地獄へと一台の影が吸い込まれていった。


 


 ――三十分後。


《報告!

 囮車両の後方に、微弱な“熱源反応”!

 距離にして二百メートル!》


「……来た」


 アニエスの声が震える。


「追尾……?」


「いや、これは“観察”だ。

 敵が位置を確認している」


 俺は即座に地図に反応地点を打ち込む。


「この角度、この距離――

 混入地点は第八中継所で間違いない。」


「やった……!」


 アニエスは、思わず拳を握りしめた。


「ユーリ……あなた、本当に読んでたのね」


「イゴールが混入地点を守るなら、

 必ず“動きを確認する”必要がある。

 囮に反応した時点で答えだ」


 だがその時――。


《追撃反応!

 囮車両に高速接近する影を確認!

 速度……尋常じゃありません!》


 アニエスが青ざめる。


「ちょ……追ってきてる!?

 囮だって気づいた!?」


「いや、違う」


 俺は冷えた息を吐いた。


「これは……

 “囮を壊しに来た”動きだ。

 イゴールの反撃が始まった」


 吹雪が壁を叩き、

 基地全体が軋むような音を立てた。


 凍土は牙を剥き始めている。

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