『毒補給の影』
凍土の夜明け前。
気温は氷点下五十七度。
風速十数メートルの吹雪が軍用基地を叩きつけ、
外に出るだけで肺が凍りつくような痛みが走る。
そんな極限環境の中、緊急通信が鳴り響いた。
《報告!
第四前哨基地で暖房機が一斉停止!
凍傷者、二十名以上!》
「……何だと?」
俺――ユーリ・コールドウェルは、
凍るような言葉を吐きながら報告書を握りしめた。
この気温で暖房が止まるということは――
“死刑宣告”と同じだ。
「昨日、ハイカロリー燃料を十分に送ったはずだろう。
なぜ止まる……?」
副官が震える声で続けた。
「第七補給隊からの報告では……
タンク内の燃料が“火力を維持できない”状態に……!」
「火力を維持できない……?」
燃料が凍る?
いや、凍結温度はもっと低い。
ではなぜ――。
「中佐!」
駆け込んできたのは救護班の軍医だった。
外を走ってきたのか、眉毛が白く霜で固まっている。
「前線の兵士が言っています……
“燃料の匂いが薄い”と!」
「匂い……?」
「はい。
“水っぽい匂いに変わっている”と。
加熱量が落ちている証拠です!」
胸の奥が氷の塊で潰されるような感覚が走った。
「……燃料に“何か混ぜられた”か」
「どうやって? どこで……?」
「分からん。
だが――これは自然現象じゃない。」
その瞬間、吹雪まみれのアニエス少佐が戻ってきた。
「ユーリ! 南方軍の進軍速度がまた上がってる!」
「……燃料が薄められているのに、どうやって保つ?」
「わからない。でも――」
アニエスは息を整え、低く言った。
「“薄めてでも進む覚悟”で動いている……
そう考えるしかないわ」
その言葉に、俺はある人物の名を口にした。
「……イゴール・ストルコフ」
「そう。
あの男は“効率”ではなく“恐怖”で動く。
補給がギリギリでも突っ込ませるタイプ」
副官が震える声で追加報告を読み上げる。
「中佐……
第弐十七補給隊から回収した燃料に、
“沈殿する異物”が確認されました」
「沈殿?」
「はい……燃料と混ざりにくい物質です。
微量ですが、明らかに“人為的な混入”です」
アニエスが呆然とつぶやいた。
「……これって……」
「ああ」
俺は静かに言葉を絞り出す。
「イゴールの“毒補給”だ」
「届いた燃料は普通に見える。
だけど火力が弱く、暖房機を止める。
兵士は凍え、不信が広がる」
アニエスは歯を食いしばった。
「補給担当を疑わせるため……?」
「その通り。
補給が信用されなくなった軍は、前に進めない」
司令部の空気が、一気に濁った。
《追加報告!
第三陣地にて、“補給部の誰かが裏切った”という噂が発生!
兵士たちが動揺しています!》
「……来たか」
アニエスが苦い顔で言う。
「これがイゴールのやり方よ。
“戦わずに心を折る”。
最悪に効率的で……最高に卑劣」
吹雪が窓を叩きつけ、
まるで誰かが笑っているように聞こえた。
俺は拳を固く握りしめる。
「燃えない燃料……
補給の信用崩壊……
心理への攻撃……」
すべてが繋がる。
「これは“補給へのテロ”だ。
イゴール・ストルコフ……
いよいよ本気で来たな」
凍土の闇は深く、
その奥底で氷の悪魔が嗤っている気がした。




