『司令部を出る者』
【凹地・アニエス視点】
耳鳴りが続く。
雪はまだ舞っている。
吹き飛ばされ、地面に伏せた体を起こした瞬間――
目の前に“黒い影”が立った。
イゴール・ストルコフ。
爆撃の中心にいたはずなのに、
彼は微塵も揺らいでいなかった。
「……硬い……っ……!
あなた……ほんとに人間なの……?」
「さて、どうだろうな」
イゴールはアニエスから目を逸らさず、
氷走隊へ短く合図を送った。
「囲め」
(まずい……!)
氷走隊が四方から滑るように現れ、
アニエスたち救助隊は包囲される。
味方兵が震えた声を上げた。
「少佐……! どうしますか……!?」
(どうにも……できない……
風の揺れが戻って……
氷走隊の動きが読めるようになったとはいえ……
数が違う……)
イゴールが近づく。
「ユーリは、よく読んだ。
まさか“あの瞬間”に砲撃を合わせてくるとはな」
彼は微笑んだ。
「――だからこそ惜しい。
あと、ほんの一歩だった」
一歩……?
何が……?
アニエスが口を開こうとした時。
ヒュッ――!
氷の刃が、頬をかすめた。
「きゃっ……!」
「止めろ」
イゴールが手を振ると、氷走隊は動きを止めた。
「殺すな。まだ使い道がある」
(……使い道……?)
その意味に背筋が冷えた。
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【本部内部・ユーリ視点】
「中佐!!
北東から氷走隊四体、南から二体侵入!!
本部内部、戦闘区画に交戦が拡大しています!!」
「暖房管は?」
「最大出力でも抑え切れません!!
空気が冷えすぎて……っ!」
爆音が響き、照明が揺れた。
本部の天井が軋む。
(……もう限界に近い)
計算では捌き切れない。
補給線も射線も、風の乱れによってモデルが崩壊する。
(この状況を“後方”から制御することは……不可能に近い)
副官が叫んだ。
「中佐!!
このままでは本部機能が凍結します!!
設備部隊、限界!!
このままでは……っ!!」
「分かっている」
俺の声は驚くほど静かだった。
(イゴールは“本部そのもの”を落としに来ている。
そして……アニエスが凹地で孤立しているのは――
あいつが意図的に作った状況だ)
胸が強く痛む。
(彼女を助けられるのは……
ここに座っている俺ではない)
指揮卓の上の地図。
風の線。
氷走隊の進行。
どれを見ても、“答え”は一つだった。
――行くしかない。
俺は立ち上がった。
「中佐!?
どちらへ……!」
「本部を出る」
作戦室がざわつく。
「む、無茶です!!
外は氷走隊だらけで――!」
「だからだ。
司令室からでは届かない戦場がある」
副官の声が震える。
「い、いや……中佐は……戦場に出ないはず……!
あなたは後方で、冷静に、完璧に――!」
「完璧に、では救えない状況だ」
自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。
(完璧にこだわって……
失った命がある……)
「……行かせてください、中佐」
後方通信兵の少女が言った。
「わたしたちが……守りますから。
あなたが出るなら……本気で守ります!!」
他の兵たちも声を上げる。
「中佐を外に出すなら……
俺たちの仕事は“ここを死守すること”だ!」
「任せてください!
絶対に……戻れる場所を残します!」
胸が熱くなった。
(……俺は……
こんなにも支えられていたのか)
ヘルメットをかぶり、外套を羽織る。
「後は、任せる」
「中佐……!!」
扉が開く。
吹雪が怒号のように入り込み、
本部の空気を奪っていく。
(アニエス……
今行く)
俺は凍土へ踏み出した。
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【凹地・アニエス視点】
イゴールがゆっくりと手を挙げた。
「さて……
そろそろ“彼”が動く頃だ」
(ユーリ……!
あなた……来る気なの……?)
イゴールは愉悦を隠さずに言った。
「ユーリ・コールドウェル。
お前が司令室を出た瞬間から……
この戦いは新しい局面に入る」
氷走隊の刃がアニエスの喉元へ向けられた。
「さあ、アニエス。
お前には、“彼を誘う旗”になってもらう」
(くっ……!
ユーリ……絶対来ちゃダメ……!
ここは……!)
だが――
凍土に、確かに足音があった。
ザッ……ザッ……ザッ……
吹雪を切り裂き、
黒い外套の影が一つ、凹地へ向かっていた。
イゴール「――来たな」
アニエス「ユーリ……!!」




