『凍土の対話』
【ユーリ視点】
吹雪の向こうから、
低く、凍りつくような声が聞こえた。
「――聞こえているか、北の計算士」
俺は息を飲む。
(……イゴール・ストルコフ)
姿は見えない。
だが、声の響きだけで分かる。
この凍土そのものが喋っているような圧だ。
「……聞こえている」
そう返すと、
吹雪が一瞬だけ静まった。
「面白い。
“恐怖で沈黙する”と、私は読んでいたのだがな」
「恐怖はある。
ただ、お前に告げる必要はない」
背後で副官が息を呑むのが分かる。
イゴールの声が、雪を踏みしめるように近づく。
「では聞かせてくれ。
なぜお前は、兵をそこまで庇う?」
(……は?)
「兵は資源ではない。
守るべき人間だ」
「ほう。
資源ではない、か」
イゴールは、まるで子どもをあやすような声音だった。
「では、資源より大切だと言うのなら――
なぜ“補給線”のために彼らを凍土へ歩かせる?」
(……)
「彼らは、歩かせられて死んだ。
お前の“完璧な最短ルート”のせいでな」
「……ッ」
「私から見れば、
“お前の方がよほど残酷”だ」
胸の奥で、氷の塊がひび割れた。
(俺が……残酷……?
違う……俺は……!)
「違う。
俺は最善のために――」
「最善? 最善とは何だ?」
イゴールの声には怒りも嘲笑もなかった。
ただ、事実を淡々と突きつける刃だ。
「最善とは“数字が喜ぶ道”か?
“人が生き残る道”か?」
(……ッ!)
喉が詰まりかける。
「お前は“数字に従う人間”だ。
だから私は――
“数字で揺さぶれば折れる”と確信している。」
それは侮辱でも挑発でもなく、
本気で分析した結果という口調だった。
(違う……違う……!
俺は数字だけで動いているんじゃない……!)
でも――
言葉にならない。
その時。
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【アニエス視点】
凍傷で痺れた身体で、
アニエスはただ耳を澄ませた。
(ユーリ……
負けないで……!)
イゴールの心理戦は、
言葉一つで軍を壊すほど強い。
そんな相手に、
ユーリは“声だけ”で立ち向かわされている。
(お願い……
折れないで……!)
氷走隊が包囲を解かないまま静止しているのは、
イゴールが“言葉で戦う気”だからだ。
(この人本当に……
ユーリを壊すためだけにここまで……!)
【ユーリ視点】
イゴールの声が、
鋼のように冷たく鋭く耳を刺す。
「聞かせろ。
お前の“価値観”を」
「価値観……?」
「補給線を短くするのが正しい。
人命を優先するのが正しい。
効率が正しい。
感情が正しい。
――で、どれがお前の正義だ?」
喉が熱くなった。
(何が……俺の正義……?
そんなもの……)
「……俺は……」
その瞬間、吹雪の線が揺れた。
アニエスのかすかな声が届いた。
「ユーリ……あなたが信じてきたものを……
そのまま言って……!」
胸の奥で、何かがほどけた。
(そうだ……
俺は“間違えたくない”んじゃない……
“助けたい”んだ)
息を吸い、
はっきりと言った。
「俺の正義は“誰も凍死させないこと”だ」
イゴールが、一瞬だけ黙る。
「……ほう。
それは……感情だな?」
「そうだ。
だが俺は感情を計算に組み込む。
それが俺の兵站だ」
吹雪が静まった。
(言えた……
初めて、数字ではない言葉で……)
しかし、次の瞬間。
イゴールが笑った。
「面白い。
ならば見せてもらおう。
“感情を組み込んだ兵站”が――
戦場でどれほど通用するか。」
氷走隊が一歩前へ進んだ。
「ユーリ・コールドウェル。
お前の救助隊は、あと十分で包囲される」
(――ッ!!)
「そして、お前のいる本部も、
すでに“こちらから見えている”」
視界がぐらりと揺れた。
(本部が……!?
見られている……!?
どうやって――)
「戦争を始めよう。
本当の意味でな」
吹雪が悲鳴のように鳴り響く。
イゴールの“本格侵攻”が始まった。




