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『凍土補給戦記(フローズン・ロジスティクス)』  作者: 済美 凛


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『零域の裂け目』

氷点下六十二度。

 零域――吹雪の中心は、

 世界そのものが沈黙したかのような凍てついた闇だった。


 アニエスはその中へ、一人で踏み込んでいた。


 


【アニエス視点】


 視界は三メートルもない。

 凍った雪が肌を刺す。

 風はまるで獣の遠吠えのようだ。


(やっぱり……ここ、普通じゃない)


 コンパスの針が何度も狂い、

 足元の感覚は氷の膜に吸い取られるように薄い。


 そして――


《ピッ…………ピピッ……!》


 携帯気温計が異常音を鳴らした。


「また温度低下……!?

 氷点下六十五度……冗談でしょ……」


 この温度は、装備越しでも皮膚が焼ける。


(イゴール、あんた一体……ここに何を仕掛けたのよ)


 その時だった。


 


 地面が、鳴った。


 “バキ……バキィ……”


 氷が割れる音。

 それがすぐ近くから、じわりと迫ってくる。


「……嘘でしょ」


 アニエスは一歩後退した。


 だが――遅かった。


 


ゴォォォ――ッ!!!


 地面が縦に裂けた。


 白い裂け目が巨大な口のように開き、

 氷煙が噴き上がる。


「うわっ――!」


 アニエスは雪上へ飛び退く。

 辛うじて落下を避けた。


(危なかった……!

 これ、自然じゃない……!)


 割れ方が不自然だ。

 まるで “誰かが氷を下から押し上げている” ような――。


 


 その時、裂け目の奥から――


 黒い影がゆっくりと立ち上がった。


 氷に張り付くように動き、

 その体はまるで人間ではない。


 アニエスは息を呑む。


「あんたたち……氷走隊アイスランナー……!」


 影は三つ。

 全身を凍結装備で固め、

 目だけが野獣のように光っている。


 彼らは、凍土に適応させるために

 神経温度を限界まで下げられた“突撃兵”。


 動きが異常なのは当然だ。


 


「……来るッ!」


 アニエスは銃を構えるが――


 彼らは風のように速かった。


 一瞬で三方向に散開し、

 足音すら雪に吸われる。


「あっ……!?」


 後ろを振り返る暇さえない。


 氷走隊の一人が背後から襲いかかり、

 アニエスは雪上に倒された。


「くっ……!」


 膝で踏みつけられ、銃が弾かれる。


 氷走隊は言葉を発しない。

 だが、その行動だけで十分に伝わる。


 “捕らえろ”――と。


「私を……餌にするつもり……!?」


 零域へ誘う。

 ユーリを引きずり出すために。


 そう理解した瞬間、

 アニエスは歯を食いしばり、体を捻る。


「……ふざけないで。

 私は簡単には利用されない!」


 氷走隊の腕が滑った。

 アニエスは氷穴へ転がり、

 地表に戻ろうとする――


 


 そこで。


“見ていたぞ”


 吹雪越しに、誰かの声が聞こえた。


 低く、凍てつき、

 氷の粒のように鋭い声。


 アニエスは顔を上げた。


 吹雪の奥に――

 ひとりの男が立っていた。


 白い霜に覆われた毛皮。

 血色の良い頬。

 氷の瞳。


 イゴール・ストルコフ。


「やっと姿を見せたか……

 “北の計算士”の片腕よ」


 アニエスは叫んだ。


「ユーリには……触らせないッ!!」


 イゴールは、一歩だけ近づき――

 笑った。


「触りたいわけではない。

 ただ、“動かしたい”だけだ。」



---


【ユーリ視点】


 報告を聞いた瞬間――

 俺の視界が真っ白になった。


《アニエス少佐の熱源が乱れています!

 氷走隊らしき反応三……四!!

 中佐、どうしますか!?》


「……」


 頭の中では、

 無数の計算式が同時に走り始める。


 気温、地形、吹雪、装備重量、敵速度――

 すべてを分析しようとする。


(……間に合わない)


 初めて、

 “計算が追いつかない”という感覚に陥った。


「中佐、指示を!

 応援を送りますか!?」


「だめだ……

 零域に部隊を入れれば、全滅する」


 声が震えていた。


 自分でも気づいていた。

 これは恐怖だ。


(アニエス……

 戻れ……戻ってくれ……)


 胸の奥で、冷たいものが砕ける。


 その瞬間――

 端末が一つの“誤差”を弾き出した。


「……誤差……?」


 風向のノイズ。

 吹雪の密度変動。

 それらが一か所に収束している。


(あそこに……何かがある)


 希望の糸だった。


「零域の“北西二十度”に微弱な隙間がある。

 そこから風の流入が起きている」


 副官が息を呑む。


「つまり……そこだけ、吹雪が薄い!?」


「ああ」


(アニエス、まだ……助かる)


 俺は立ち上がった。


「全隊、救助網を準備しろ。

 風の隙間を利用して、アニエスを必ず回収する」


「了解!!」


 吹雪の音が、凍土全体を震わせる。


 イゴールの罠は牙をむいたが――

 一筋の道は残されていた。


『零域の裂け目』(漢数字版)

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