『凍土に潜む影』
囮補給車に高速接近する“影”。
その速度は異常だった。
《追撃対象の速度、時速八十……九十……!
凍土装備の限界を超えています!》
「そんなバカな……!」
副官が青ざめる。
氷点下五十度を超える凍土では、
人間は長時間動いただけで肺が凍り、
機械は凍結して作動不能になる。
その地獄の中を、
黒い影は“吹雪と並走するように”滑っていた。
アニエスが息を呑む。
「これ……本当に人間なの……?」
「違う。
“凍土に最適化された部隊”だ」
俺――ユーリ・コールドウェルは、
影の軌道を見つめながら低く言った。
「恐らくイゴールの……
《氷走隊》」
「氷走隊……
南方軍が使う、あの“命を削る突撃部隊”!?」
「そうだ。
寒さで神経が麻痺した兵士を、
短時間だけ高速稼働させる……狂気の部隊だ」
アニエスの顔から血の気が引く。
「そんな……
自分の兵を道具みたいに扱って……」
外では吹雪が遠吠えのように唸り、
白い地獄の景色の中で囮車両のライトが揺れている。
《衝突まで残り十秒!!》
通信士が絶叫した。
「回避は!?」
アニエスが叫ぶ。
「無人車両に回避機能はない!」
副官が叫び返す。
囮車のカメラには、
白い吹雪の奥から迫り来る“黒い影”が映っていた。
その姿は、
まるで氷原を跳ぶ獣のようだ。
「……イゴールめ。
囮と悟った瞬間、即排除か」
俺は息をのみ、囮車からの映像を凝視する。
《衝突――!》
白い世界が揺れ、
囮補給車は吹雪の中で横転した。
鉄が砕ける甲高い音が、しばらく基地に響き渡る。
しかし――そこで終わりではなかった。
《影、停止しました……!
囮車両の残骸の前に“立って”います!》
「立って……?」
アニエスが画面に目を凝らす。
吹雪の中に、ひとりの兵士が立っていた。
全身黒の防寒装備。
呼吸の白煙すら見えない。
その姿は、人ではなく“影”だった。
その影は――
“こちらの無人カメラに向かって手を上げた”。
「……っ!」
司令部の空気が一瞬で凍りついた。
アニエスが震え声で言う。
「これ……気づいてるわよね……
私たちがここから見てるって……」
「気づいている」
俺は、胸が強く締めつけられるのを感じた。
「この距離、この行動……
これはただの工作員じゃない」
影はゆっくりと、
囮車の残骸の側面に“何か”を刻みつけていた。
「中佐! カメラ拡大します!」
映像が寄る。
残骸に刻まれた文字が露わになる。
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《“誤差ゼロの男”へ。
次は本番だ。》
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アニエスが息を止める。
「……ユーリ、これって……」
「ああ」
俺は、冷え切った喉を無理やり動かした。
「イゴール・ストルコフ本人の“予告状”だ」
影は吹雪の中で静かに振り返り、
まるでこちらを“見透かすように”無言で立ち尽くしていた。
氷点下五十度の風が基地の壁を震わせる。
その震えは、
まるで凍土そのものが“戦いの始まり”を告げているようだった。




