第9話 君の名を呼ぶとき
館に戻ってからも、折に触れてあの手紙を思い出す。
【君が呼んでくれるのを待っている】
その一文が、胸の奥で何度も反響する。
彼は、待っていると言ってくれた。
なら……今後は自分がその言葉に応える番だ。
深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
そのとき──
チュピィィィ。
また……あの音。
空から光を纏った鳥が、ふわりと窓辺に降り立った。
この前と同じ鳥。
けれど、今回はくちばしには何も咥えていない。
毛繕いをしながら、どこか“待っている”ような視線を向けて来る。
その仕草にそっと頷き、机の引き出しから紙片とペンを取り出す。
手は少し震えていたが、不思議と……心は静かだった。
【会って話がしたいです。あなたの話を聞かせてほしい。それから、私の事も話したい 】
それだけの言葉を書き、丁寧に紙を折る。
鳥の前に差し出すと、くちばしがそっと手紙を咥え、そのまま音もなく、空へと消えていった。
まるで、“願い”ごと運んでいくように。
私は空を見上げたまま、そっと呟く。
「待っているから……」
声が風に溶けていく。
これでいい。
今は、これだけで十分だった。
── その場に、しばらく佇んでいた。
風が少しだけ強くなり、木々の枝が揺れる。
鳥の羽音も、もう聞こえない。
(そろそろ帰ろうかしら)
今日はもう来ないだろう。
そう思い、立ち上がりかけたとき──
「あの手紙、読んでくれたんだね」
声が背後から届いた。
驚いて振り返ると──
彼が立っていた。
木漏れ日の影に佇むルーカス。
彼は少しの疲労と、安堵が混じり合った表情をしていた。
その瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
「君が僕の事を呼ぶとは、思っていなかった」
「はい……。私、貴方と話がしたくて」
少し沈黙が落ちる。
けれど、それは重苦しいものではなかった。
ルーカスが一歩だけ近づき、息を整える。
「君に、無理をさせている事は分かっていた。でも、あの夢の後……。どうしても、何か伝えずにはいられなかった」
思わず目を伏せかけて……。
けれど、思い直すように彼を見た。
「貴方が一体誰なのか、少しだけ分かった気がします」
ルーカスは目を見開き、そして、ふっと小さく笑った。
「やっとだ……。君の目が、ちゃんと“僕”を見てくれた」
「でも!まだ全部は、思い出せてはいないんです。
何が真実で、何が夢だったのか。あの頃の事も、貴方自身の事も……」
まだ、断定は出来ない。
もしかしたら、ただの思い違いかもしれない。
「それでも話してほしい。私に、貴方と交わした“約束”を、教えてください」
ルーカスは一瞬だけ息を止め、目を伏せた。
「分かった。君がそう言ってくれるなら、全てを話す。“あの約束”を……。僕が、この世界で何をしてきたのかを」
木漏れ日の中で、彼の言葉を受け取る準備ができた気がした。
そう……ようやく。
本当の意味で、向き合える。




