表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

第8話 面影を追って

朝靄が空気の中に残っている気がした。


館の食堂では、ジョージが火を起こしている。

焚き火ではなく、小さな調理用の火床。

その上でお湯が沸いていた。


鳥のさえずりと、薪の爆ぜる音だけが耳に心地よく届く、穏やかな朝の時間。


昨日の出来事から一晩中考えていた事を、彼にしっかりと説明しなければいけない。


そう、意を決して声をかける。


「ジョージさん」


振り返った彼の顔はいつも通り穏やかだった。


「昨日は妙な事を言ってしまい、ごめんなさい。私.....貴方のことを見ながら」


上手く言葉が出ない。

けれど、どうしても伝えたかった。


「.....夫の面影を重ねていたんです」


ジョージは、少し目を見開いた。

「夫?」と小さく問い返してくる。


きっと、私の姿が"幼い少女”に見えるからだろう。


それでも、ハッキリと頷いた。


「はい、私の名前は“伊原絢子”と言います。夫とは見合い結婚で、とても幸せだった。けれど、たった二年で......彼は病気で亡くなりました」


声が少し震える。


「ジョージさんの背中が、時々夫に見えて......。勝手に思い出していたんです。でも、それは私の一方的な投影だった......」


涙が溢れて、言葉が詰まる。

それでも──


「命の恩人なのに、貴方自身を見ようともしなかった。それが......ずっと申し訳なくて。本当に......ごめんなさい......」


少しの沈黙が流れる。

ジョージはゆっくりと頷き、それから私の目を真っ直ぐに見て、優しく笑った。


「その言葉.......。旦那さんが聞いたら、さぞかし嬉しいだろうな」


「そうでしょうか......」


「ああ、きっと.......。人は誰しも、恋しい人を思い出すものさ。似ているなら尚更だろう」


「でも!私は貴方に失礼を......」


「気にする事はない。君はちゃんと、謝ってくれたじゃないか。俺はそれで十分だ」


── 胸の奥に残っていたわだかまりが、解けていくのを感じた。


彼に"許された”から、というだけではない。

誰かに言葉にしたことで、ようやく、自分自身を納得させられた気がしたからだ。


ごめんなさい.....龍司さん。

あの頃、本当の事を言えなかったこと。

過去に縋って.......。


目の前に居た、貴方自身を見ようとしなかったこと。

いくつも重ねてきた後悔が、少しだけ晴れた気がした。


もう、貴方を引きずらない。

けれど、決して忘れはしない。


貴方が側にいてくれた時間は、今でも確かに、私の中にある。

だから私は、前に進める。


「ありがとうございます。ジョージさん」


涙を拭い、ようやく安心して息を吸う事が出来た。

ジョージは黙って、お湯が入ったポットを持ち上げる。

「ほら、紅茶くらいは入れられるぞ」


「……いただきます」


彼なりの気遣いに、心が救われる思いがした。


♢♢


紅茶の湯気がゆっくりと立ちのぼる。

静かな空間で、私はもう一度深く呼吸をした。


これで……良い。


ようやく、心の奥底でそう思えた。


「少し、歩いてきます」


そう、ジョージに告げて小屋を出る。


朝露を含んだ草の匂いが、ほんのりと鼻をくすぐる。

無意識に足が向かったのは、村の丘の小道だった。


そこは、時折ルーカスが一人で佇んでいた場所。


“あの夢”を見て以来、何処か彼を遠ざけようとしていた。


(でも……今ならきっと、向き合える)


チュピィィィ……。


不意に、どこからか小鳥の鳴き声が聞こえてきた。

空を見上げると、白い鳥が一羽、ゆっくりとこちらへ舞い降りてくる。


(綺麗……)


近くで見ると、それは明らかに、普通の鳥とは違っていた。

羽根はガラスのように透明で、光をまとった幻想的な鳥。


そのくちばしには、一片の小さな紙切れが挟まれている。

まるで差し出すかのように、鳥は私の目の前で羽ばたいていた。


少し戸惑いながらも、手を伸ばすと──

指が触れた瞬間、鳥はそっと光に変わって消えてしまった。


小さな紙切れだけが、手の中に残る。

それはルーカスから届いた、小さな手紙だった。


短く、一行だけ記されている。


【君が呼んでくれるのを待っている】


その言葉が、胸の奥に静かに届く。

温かくて、でもどこか寂しくて。

それでいて……優しかった。


「ルーカスさん」


思わず彼の名を呼ぶと、風が一度だけ、枝葉を優しく揺らす。


彼に向き合う決心がついたこと……。

それが今の私には、何よりの一歩だった。


絢子さんの本名がようやくでましたね。

伊原絢子(旧姓:白崎)さんです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ