第13話 彼には届かないのに
柔らかな光が瞼の裏を染めていた。
僅かな揺らぎと温もり。
絢子はその温もりに包まれたまま。
夢と現の境を彷徨っていた。
(ルーカス……?)
彼の腕に抱かれている。
そんな、根拠のない確信でさえ──
絢子にとっては、安らぎだった。
だが、目を開けた瞬間。
その幻想は、あっけなく崩れ去る。
「──えっ!」
視界に飛び込む、見知らぬ少女。
「ようやく、お気づきになられましたね」
絢子よりも少し幼い姿の彼女は──
何処か、機械的な微笑みを浮かべていた。
いまいち状況が飲み込めずに、 絢子は反射的に体を起こそうとした。
だが、上手く力が入らずに視界が揺れる。
「あまり無理をなさらないでくださいませ」
「あの、ここは一体?」
「法王庁の客室でございます。絢子様の魂が不安定だった為、一旦こちらにお連れしました」
(法王庁……確か……)
「──ッあの!」
絢子は、咄嗟にリュシアの言葉を思い出す。
居ても立っても居られずに──
縋るように、目の前の少女に尋ねた。
「ルーカスは、いま何処に?」
彼女は一瞬だけ、表情を曇らせる。
「お答えできかねません。まずは、絢子様の安定が優先です」
少女は絢子の背を、なだめるように摩る。
「それなら、彼はもう……“断罪”されてしまったの?」
絢子の問いに、その小さな手が一瞬止まる。
「いいえ。ルーカス様は現在、地下の拘束房へと連行されています」
「良かった……まだ、間に合うのね。お願いします!どうか、彼に合わせてください」
「接触は禁じられております」
「でも──!お願いします。ただ黙って、彼を失うわけにはいかないの」
何度も頭を下げ、面会を望む絢子を──
少女はただ、感情を失った表情で見つめ返す。
「どうか落ち着いてくださいませ。処刑は“現段階では“行われません」
「えっ……」
「まずは、お二人の”魂の共鳴“を記録するようにと、法王様がお命じになられました。そして、聴取を経た後に最終判決が下されます」
「それは、猶予があるということ?」
「はい。ですが、今回の接触は”記録対象“としてです。ルーカス様の罪が覆る訳ではありません」
それはあくまでも、危険因子を監視する為に与えられた時間に過ぎない。
「それでも……お会いになられますか?」
──例え、そうだとしても。
「お願いします。行かせてください」
「──ッ!そう……ですか……」
絢子の言葉に、少女は信じられないものを見るかのように、一瞬だけ呆気に取られる。
だが、次の瞬間には──
「それでは、ご案内いたします」
あの機械的な笑みに戻ってしまっていた。
♢♢
絢子は促されるままに、廊下を進んで行く。
法王庁の内部は意外にも、荘厳さよりも機能性が優先された、簡素な造りになっている。
足音が廊下に響く度──
絢子の呼吸が浅くなり、不安が渦を巻く。
そうして、重厚な二重扉に辿り着いた。
「《監視室》でございます。音声、触覚、魔術の一切は遮断され、ルーカス様が絢子様の姿を認識する事はできかねます。何卒ご理解くださいませ」
少女はそう前置きをすると、ゆっくりと重厚な扉を開いていく。
中に入った瞬間──
空気が一変した。
冷たく、湿り気を帯びた無機質な空間。
窓も無く、四方を透明な隔壁に覆われた、石造りの部屋。
薄闇に照らされたその先に──
ルーカスがいた。
手足に枷を嵌められ、全てを諦めたかのように、俯いたまま微動だにしない。
「ルーカスは、何も語ろうとしないの?」
「そのようです。拒絶も弁明もせず、口にするのは絢子様の名だけだと……」
「そんな……」
絢子は震える指で隔壁のガラスを撫でた。
「目の前にいるのに……。こんなにも、遠く感じるなんて……」
わかりきっていた。
覚悟はできているはずだった。
だが、こうして現実を突き付けられるたび──
これほどまでに、自身が無力な存在であるということを、絢子は嫌でも突き付けられる。
──コン、コン。
不意に訪れたノックの音。
監視室の扉が開かれると、少女は控えめに頭を垂れた。
「お待ちしておりました、書記官様」
何処か神経質そうな顔つきをした、青年が立っている。
彼は眉間に深い皺を刻み、絢子の側まで歩み寄ると、隔壁の向こうを一瞥した。
「確かに、“繋がって”はいるな」
その低く冷たい声に、絢子は不意に身構えた。
「どなたですか」
「絢子様、この方は書記官の──」
「待て。これから“罪人”となる者に、名乗る必要などないだろう」
“書記官”と呼ばれた青年。
彼は少女の説明を手で遮り、再びルーカスに目を向けながら続ける。
「最近、原因不明の異常が多発していたようだが。まさか、エルフどもが隠していたとはな」
「……」
絢子自身が、この事態を招いている元凶であること、リュシアとルーカスを危険に晒した後ろめたさに、何も言い返せなかった。
「おい、面会はここまでだ。これ以上の接触は、裁定に“不利”な誘導と見なされかねん」
書記官の青年が少女に指示を出すと、彼女は小さく頷き、絢子に一歩近づく。
「さぁ、戻りましょう。絢子様」
絢子は名前を呼ばれると、ようやく意識がこちらに戻ってきた。
「はい……」
絢子は最後にもう一度、ルーカスを見つめた。
(彼に犯させた罪を償えるのなら、私は何を犠牲にしても構わない)
彼に届かない、決意を胸に抱えながら。
扉がゆっくりと閉じていく。
その音はまるで──
運命に蓋をするかのように、重く響いていた。




