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第6話 「消えた善意と心のカギ (後編)」


募金の一部が消えた日から数日が過ぎたが、2年B組の空気は依然として重く、澱んだままだった。


誰もが口には出さないものの、互いの顔色を窺い、教室の隅ではひそひそと誰かを疑うような声も聞こえてくる。


橘凛は、クラス委員としての責任と、クラスメイトを信じたい気持ちの間で板挟みになり、心労はピークに達していた。


毎朝、募金箱を確認するたびに、減ったままの金額と、そこに込められたはずの善意の行方に胸が締め付けられる思いだった。


道真は、相変わらず飄々とした態度を崩さなかったが、その目は教室全体を、そして特定の数人を注意深く観察しているようだった。


犯人捜しに躍起になるわけでもなく、かといって無関心でもない。


彼の視線は、時折、クラスの中でも少し派手なグループに属する男子生徒、木村(仮名)のあたりに向けられているように凛には見えた。


木村は最近、どこか落ち着きがなく、真と目が合うとサッと逸らすような素振りを見せていた。


ある日の昼休み、真は木村が仲間と話している近くで、わざと聞こえるように独り言ともつかないことを呟いた。


「人間さあ、欲に目がくらむと、普段は見えてるはずのモンが見えなくなるんだよな。目の前の小さな石ころにつまずいて、派手に転んじまうみたいによ。失くしたものは金だけじゃないかもしんねえぜ? 正直さとか、友達からの信頼とかな。そういうのは、取り戻せるうちに動いた方が、後々のためだと思うけどなー」


木村の肩が、ほんの少し強張ったのを凛は見逃さなかった。


その日の放課後、凛が一人教室で残務整理をしていると、真がひょっこり顔を出した。


「よお、委員長。まだ浮かない顔してんな」


「道君…だって、このままじゃ…」


「まあ、そう焦んなって。蒔いた種は、いつか芽を出すもんさ。良い種も、悪い種もな」


真は意味ありげにそう言うと、「俺はもう帰るけど、戸締り頼んだぜ」と軽く手を振って去っていった。


(蒔いた種…?)


凛は真の言葉を反芻したが、その真意はまだ掴みきれなかった。


翌朝、凛がいつものように少し早めに登校し、教室の後ろに置かれた募金箱に目をやった時、思わず息をのんだ。


募金箱の脇に、小さな茶封筒がそっと置かれていたのだ。


震える手でそれを開けると、中には数枚の紙幣と硬貨が入っていた。


金額は…先日なくなったのと同額だった。封筒には何も書かれていない。


(戻ってきた…!)


凛の目から、安堵の涙が溢れそうになった。


ホームルームで凛がそのことを報告すると、教室は一瞬の静寂の後、大きな安堵のため息と、ざわめきに包まれた。


「よかったぁ…」


「誰が返してくれたんだろう?」


「やっぱり、このクラスの誰かだったのかな…」


犯人が誰だったのか詮索するような声も上がりかけたが、そこで真がいつもの調子で口を挟んだ。


「まあまあ、結果オーライってやつじゃねえか。ちゃんと戻ってきたんだから、それでいいじゃん。きっと、本人も深く反省してんだろ。な?」


真の言葉には、どこか全てを知っているような響きがあったが、彼はそれ以上何も言わなかった。


そして、諭すように続ける。


「誰だって間違いは犯す。大事なのは、その間違いに気づいて、それを正そうとする心を持つことだ。今回のは、その勇気が出たってことだろ。それは、褒めてやってもいいんじゃねえか?」


真の言葉に、クラスの空気から棘が抜け、少しだけ温かいものが流れ込んだように感じられた。


木村は、俯いたまま黙っていたが、その耳は少し赤くなっているように見えた。


放課後、凛は教室を出ようとする真を呼び止めた。


「道君、ありがとう」


「ん? 俺は別に何もしてねえぞ。名探偵みたいな推理も、犯人への直接対決も、なーんもしてない」


真は肩をすくめる。


「でも、あなたがいなかったら、クラスはずっとギスギスしたままだったかもしれないわ。あなたの言葉が、きっと誰かの心を動かしたんだと思う」


凛の言葉には、心からの感謝と、真への深い信頼が込められていた。


真は少し照れ臭そうに頭を掻くと、いつものように笑った。


「ま、俺のじっちゃんも言ってたからな。『正しい行いってのは、暗い夜道でも迷わないための、自分だけの灯火みたいなもんだ』ってさ。誰だって、たまにはその灯火を見失うこともある。でも、また見つけりゃいいんだよ」


「じっちゃんの…灯火…」


凛は、その言葉を胸に刻んだ。


真の言葉の源泉である「じっちゃんの知恵」は、単なる古い教えではなく、今を生きる自分たちの心にも響く、普遍的な力を持っているのかもしれない。


募金箱は再び善意で満たされ始め、数日後には無事に福祉施設へ届けられた。


クラスには以前のような明るさが戻り、生徒たちの間には、この一件を通じて何か大切なものを学んだような、そんな空気が流れていた。


真は相変わらずお調子者ぶりを発揮していたが、凛の彼を見る目は、もはや以前のそれとは全く異質なものへと変わっていたのだった。


日常が戻ったある日のこと、クラスでは健康診断の結果が返却され、一部の生徒たちの間で不規則な生活や体調不良が話題に上り始めていた。


それは、また新たな「心のカギ」が開かれる予兆なのかもしれなかった。



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