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第4話 「言葉のブーメラン (後編)」

道真の「言葉はブーメラン」という言葉が投げかけられた後、2年B組の昼休みの空気は、明らかに変わった。


あれだけ賑やかだったBさん、Cさんたちのグループは、どこかバツが悪そうに押し黙り、ひそひそ話も聞こえてこない。


他の生徒たちも、どこか真の言葉を反芻しているかのように、静かにそれぞれの時間を過ごしていた。


(本当に、止まった…)


橘凛は、その変化に内心驚きを隠せない。


自分がどれだけ正論を訴えても梨の礫だったのに、真のあの飄々とした一言が、これほどまでにクラスの空気を変えてしまうとは。


田中誠一君は、教室の隅で相変わらず本を読んでいたが、その肩からは少しだけ力が抜けているように見えた。


教室を満たしていた自分への悪意ある視線や囁き声が消えたことに、彼自身も気づいているのだろう。時折顔を上げて周囲を窺うその目に、昨日までの怯えは薄らいでいた。


その日の午後、現代文の授業でのことだった。


先生が作品の解釈について問いかけると、教室はいつものように静まり返った。


誰もが指名されるのを恐れて目を伏せる中、田中君が、ほんの小さな声で、しかしはっきりと自分の考えを口にしたのだ。


それは、以前の彼からは考えられないことだった。


クラスの数人が、驚いたように田中君を見た。


以前なら、そこで誰かがクスクスと笑ったり、無視したりしたかもしれない。


しかし、今日は違った。


隣の席の男子生徒が、「あ、それ俺も思った」と呟き、前の席の女子生徒も小さく頷いた。


それは本当に些細な反応だったが、田中君の顔がわずかにほころんだのを、凛は見逃さなかった。


昼休み、真はいつものように購買のパンを齧りながら、自分の席で漫画を読んでいた。


しかし、その目は時折、田中君の方に向けられている。


そして、ふとしたタイミングで、田中君が読んでいた文庫本の背表紙を見て声をかけた。


「お、田中じゃん。それ、SFの古典じゃね? 俺もそれ、昔じっちゃんに薦められて読んだけど、ラストのどんでん返しがヤバかったよなー」


突然話しかけられて驚いた顔の田中君だったが、真の気さくな口調と共通の話題に、少しずつ表情が和らいでいく。


「道君も…読んだことあるの?」


「おうよ。あの作者の他の作品だと、短編集に入ってる『星屑のメモリー』ってやつも泣けるぜ。読んだことあるか?」


真はごく自然に田中君の隣に腰を下ろし、会話を続ける。


その周りに、SF好きの男子が一人、二人と集まってきた。


いつの間にか、田中君は一人ではなくなっていた。


凛は、その光景を遠巻きに見ていた。真は、ただ噂を止めただけではなかった。


田中君が再びクラスに溶け込めるよう、さりげなく、しかし効果的に橋を架けていたのだ。


言葉の暴力性を指摘するだけでなく、言葉が持つポジティブな力、人と人とを繋ぐ力をも示しているように見えた。


(ただ否定するだけじゃ、何も生まれなかったんだ…)


凛は、自分の未熟さを痛感すると同時に、真のやり方に深い感銘を受けていた。


放課後、BさんとCさんが、田中君の机の近くを通りかかった。


二人は一瞬ためらった後、小さな声で「田中君、この前のプリント、よかったら…」と、余分に持っていた授業のプリントを差し出した。


田中君は驚いた顔をしたが、「あ、ありがとう」と受け取った。


それは、直接的な謝罪の言葉ではなかったかもしれない。


けれど、そこには確かに、昨日までとは違う空気が流れていた。


その日の帰り道、凛は思い切って真に話しかけた。


「道君」


「んー? お、委員長じゃん。どしたの、俺のサインでも欲しくなった?」


いつもの軽口に、凛はもうムキになって反論する気も起きなかった。


「あなたの言葉…本当にすごい影響力ね。今日のクラス、全然空気が違ったわ」


「まあな。言葉ってのは、使い方次第で劇薬にも万能薬にもなるってことよ。どうせなら、人を元気にしたり、笑わせたりするために使った方が、自分も周りもハッピーだろ?」


真は事もなげに言う。


「あなたの…その、じっちゃんから教わったの? そういう、言葉の使い方とか、物事の見方とか…」


凛の問いに、真は少しだけ遠い目をした。


「んー、まあ、そんなとこかな。あのじっちゃん、口癖みたいに言ってたんだよ。『言葉を磨け、心を磨け。そしたら世界はもっと面白く見えるぞ』ってな。俺はまだ、全然磨けてねえけどな」


そう言って照れ臭そうに笑う真の横顔は、いつものお調子者とはまるで別人に見えた。


凛は、もっと彼の話を聞いてみたい、と思った。


彼が口にする「じっちゃんの知恵」の奥には、きっともっと深い何かがある。


そして、それは自分自身がこれから生きていく上でも、大切な道しるべになるような気がした。


「もしよかったら…また、あなたのじっちゃんの話、聞かせてくれないかしら」


真は少し驚いた顔をしたが、すぐにニッと笑って言った。


「おー、いいぜ。ただし、授業料は購買の焼きそばパンな!」


二人の間に、今までとは違う、穏やかな風が吹き抜けたような気がした。


しかし、そんな穏やかな日々ばかりが続くわけではない。


数日後、学校ではある「事件」が起こり、生徒たちの間に新たな動揺が広がることになるのだった。


それは、真の「八つのカギ」の次なる扉を開くことになる出来事の始まりだったのかもしれない。


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