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第18話 「見えない糸と、響き合う音 (後編)」


道真の「オーケストラ」と「蜘蛛の巣」の比喩は、重く張り詰めていた2年B組の空気に、一石を投じた。


ミーティングが終わった後も、遠藤航も吉田小百合も、そして他の生徒たちも、どこか釈然としないながらも、真の言葉を胸の内で反芻しているようだった。


自分の発した音が、自分の揺らした糸が、クラスという一つの共同体にどんな響きを、どんな震えをもたらしていたのか、考えずにはいられなかったのだ。


橘凛は、この微妙な空気の変化を逃さなかった。翌日の放課後、彼女はまず遠藤を呼び止めた。


「遠藤君、昨日の話だけど…あなたのクラスを盛り上げたいっていう熱意は、本当にすごいと思う。ただ、もしかしたら、その熱意が強すぎて、周りの声が少し聞こえにくくなっちゃってた部分もあったのかもしれないね」


遠藤は最初、ムッとした表情を浮かべたが、凛の真摯な眼差しと、昨日の真の言葉が頭をよぎり、黙って凛の言葉に耳を傾けた。


次に凛は、吉田たちに声をかけた。


「吉田さん、遠藤君もね、クラスを良くしたいっていう気持ちはきっと私たちと同じだと思うんだ。だから、ただ不満を溜め込んでしまうんじゃなくて、どうしたらもっとみんなが納得できる形になるか、具体的なアイデアとして伝えてみるのはどうかな?」


吉田たちは、俯きながらも、凛の言葉に静かに頷いた。


凛の働きかけで、その週末、遠藤と吉田、そしてそれぞれの意見に近い数人の生徒たち、さらに中立的な立場の数名が集まり、少人数での話し合いの場が持たれた。


最初は、お互いに遠慮したり、逆に感情的になったりしかけたが、凛が辛抱強く間に入り、「相手の意見の良いところはどこだと思う?」「どうすれば、お互いのやりたいことを少しずつでも実現できるかな?」と、建設的な対話へと導いていった。


時折、話し合いの様子を遠巻きに見ていた真が、「相手の靴を履いてみる、ってのも大事だぜ。自分の足に合わねえかもしれねえけど、なんでその靴選んだかは分かるかもしれねえだろ?」などと、絶妙なタイミングで助け舟を出すこともあった。


長い話し合いの末、変化が生まれた。遠藤が、ふっと息を吐いて言ったのだ。


「…悪かった。俺、自分の考えが絶対正しいって思い込んでた。みんなの意見、ちゃんと聞いてなかったかもしれない」


その言葉を皮切りに、吉田も「私たちも、ただ文句ばっかり言って、ちゃんと話し合おうとしなかったのは良くなかったと思う…ごめんなさい」と頭を下げた。


堰が切れたように、お互いの本音が少しずつ語られ始めた。


そして驚いたことに、遠藤の独創的なアイデアと、吉田たちの現実的で細やかな配慮は、決して相反するものではなく、むしろ組み合わせることで、当初のどちらの案よりも魅力的で、かつ実現可能な新しい企画へと昇華していく可能性を秘めていることに、全員が気づき始めたのだ。


その日を境に、2年B組の雰囲気は劇的に変わった。


新しい企画案のもと、生徒たちはそれぞれの得意なことを生かし、自発的に準備に取り組み始めた。


遠藤は持ち前のリーダーシップを発揮しつつも、以前のように独断で進めるのではなく、こまめに周りの意見を聞き、調整役もこなすようになった。


吉田たちも、ただ指示を待つのではなく、積極的にアイデアを出し、細かい作業も丁寧にこなしていく。


以前のような不満や対立の代わりに、活気と笑顔、そして何よりも「みんなで一緒に創り上げている」という一体感が、教室を満たし始めた。


準備が大変な時も、「大丈夫?手伝おうか?」「こっちは任せとけ!」といった声が自然と飛び交うようになった。


文化祭の準備は、驚くほどスムーズに進んだ。クラスの出し物である「体験型ミステリーカフェ」の脚本、内装、衣装、宣伝、全てにおいて、生徒たちの創意工夫が凝らされ、完成度は日に日に高まっていく。


作業の合間には、遠藤と吉田が冗談を言い合って笑っている姿も見られるようになった。


それは、数週間前には考えられなかった光景だった。


凛は、クラスが一つにまとまっていく様子を、心からの安堵と喜びをもって見守っていた。


そして、改めて真の存在の大きさを感じていた。


彼は決して誰かを断罪したり、強制したりするわけではない。


ただ、物事の「見方」を少し変えるような、本質に気づかせるような言葉をそっと投げかけるだけだ。


しかし、その言葉が、人々の心を動かし、関係性を変え、より良い方向へと導いていく。


「道君、ありがとう。あなたのおかげで、クラスがまた一つになれたわ」


ある日の放課後、凛がそう言うと、真はいつものように笑って答えた。


「よせやい、委員長。俺は蜘蛛の巣をちょっと揺らしただけだぜ。あとは、みんなが自分で最高のハーモニーを奏でようと、一生懸命チューニングした結果だろ?」


文化祭本番まで、あと数日。


生徒たちの顔には、達成感と期待感が溢れていた。


教室には、心地よい疲労感と、本番への高揚感が入り混じった、特別な空気が流れている。


道真の「じっちゃんの知恵」は、またしても彼らの心に温かい灯をともし、困難を乗り越える力を与えてくれたようだ。


しかし、多くの人々が集い、様々な感情が交錯する文化祭という大きなイベントは、また新たな人間模様や、予期せぬ出来事を引き起こすのかもしれない。


そしてそれは、彼らがこれまでに学んできた「心のカギ」を、今度は自分自身の力で使いこなすための、新たな試練となるのかもしれなかった。


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