現代生活初体験
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**深夜の佐藤家**
深夜の佐藤家は静寂に包まれていた。客間の灯りはすでに消えているが、部屋の中からかすかな軋む音が聞こえてきた。覚空は布団の上に座り込み、目を閉じて静かに修行をしている。彼の呼吸はゆったりとして深く、部屋全体が何とも言えない静けさに満ちているようだった。
しかし、その静けさはすぐに破られることとなった。
「ぐぅーー」
空気を切り裂くような腹の音が響き渡った。覚空の腹が、空腹を訴えているのだ。
彼はゆっくりと目を開け、僅かに眉をひそめた。「奇妙だ……貧僧がこれほど腹を空かすとは。ひょっとすると昼間の妖気の影響で真気が消耗したのかもしれぬ。」
覚空は平らな腹を軽く押さえながら思案し、修行の妨げにならないよう少しの「精進料理」を探すことを決めた。そっと部屋の扉を開けると、忍び足でキッチンへと向かった。
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**佐藤家のキッチン**
覚空はキッチンの扉を押し開けた。薄暗い部屋には、小さなナイトライトがぽつんと灯っているだけだった。彼は周囲を見渡し、すぐに「冷蔵庫」と書かれた奇妙な金属製の箱を発見する。
「貧僧、このような物を見たことはない……おそらく何かの収蔵法具か。」覚空は考え込むと、その金属箱の扉を慎重に開けてみた。すると、冷たい空気が流れ出し、中にはさまざまな食べ物が収められていた。
「食物を寒気で保存するとは……妖物の仕業に違いない!」彼は低く呟きながらも、中の食材に目を奪われる。そして、透明な容器に入った「そば」と、隣に置かれた「しょうゆ」と書かれた瓶を手に取った。
「これならば精進料理として適しておる。」覚空は頷くと、それらをキッチン台に置いた。
さらに目を向けると、奇妙な機械を発見する。それは「電子レンジ」だった。
「なんだ、この物体は?数多のボタンが並んでおるが……」覚空はじっと電子レンジを見つめ、戸惑いながらもボタンを手当たり次第に押してみた。
「ピッ——」
電子レンジが動き出し、中の皿がゆっくりと回転を始めた。低く唸るような音を立てるその様子に、覚空はすぐさま警戒態勢を取る。「なんと、妖気を放っておる!」
彼は金剛伏魔拳の構えを取り、目を鋭くして電子レンジを見据えた。わずか20秒後、「ボン!」という小さな爆発音が響き、中のそばが散乱してしまった。
覚空は驚きの声を上げる。「やはり妖物!貧僧の気を逸らそうとするとは不届き千万!」そう叫ぶや否や、彼は電子レンジに掌を叩きつけ、その機械を大きく凹ませてしまった。
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**佐藤家の夜の危機**
「ドン!バタン!ガタン!」キッチンから次々と異様な音が響く。
熟睡していた凛はその音で目を覚まし、寝ぼけ眼を擦りながら、隣の壁を軽く蹴って怒鳴った。「おい、覚空!夜中に何やってんのよ!」
返事はない。
「またあいつ、変なことしてるんじゃ……」凛は不機嫌そうに眠そうな目をこすりながらキッチンに向かった。扉を開けた瞬間、彼女は目の前の光景に絶句した。
「ちょっと……なにしてんのよーーーーーーー!?」
キッチンはまるで嵐が通り過ぎたかのようにめちゃくちゃだった。電子レンジは凹み、床にはそばと醤油が散乱し、冷蔵庫の扉は開けっ放しで冷気が外に漏れ出ている。そして覚空は麺棒を握りしめたまま、真剣な顔で立っていた。
「安心せよ、施主!」覚空は堂々と宣言した。「貧僧、たった今妖物と激闘を繰り広げ、ついにこれを封じたのだ!」
「妖物?まさか……電子レンジのこと!?」凛は凹んだ機械を指さし、口元を引きつらせた。
「その通りだ。」覚空は頷いた。「この物体から強烈な妖気を感じ取り、家の安全を守るため貧僧が出手したのだ。」
凛は頭を押さえて深くため息をついた。「あんた、どんだけ時代遅れなのよ!電子レンジはただの家電よ!妖怪なんかじゃない!」
覚空は一切動じず、「だが、この物体が自ら熱を発するとは尋常ならざるものだ。」と主張した。
「だからそれが現代の科学だってば!」凛は怒り心頭で足を踏み鳴らした。「あーもう!本当に迷惑な古代人!」
覚空は軽く手を合わせ、「施主よ、たとえ誤解であれ、この地を守るためならば貧僧は一切悔いを残さぬ。」
「そんなこと頼んでないの!」凛は歯を食いしばって叫んだ。「明日、電子レンジ代を弁償してもらうからね!」
覚空は合掌し、「貧僧、財は持たぬが、庭掃除など奉仕でお詫びしよう。」
「お詫びなんかいらないから出て行ってよ!」凛は頭を抱えながら崩れ落ち、力なくキッチンの床に座り込んだ。
翌朝、佐藤家のリビング
朝日が差し込み始めた頃、凛はひどい寝不足の顔で部屋から出てきた。目の下にははっきりとしたクマができており、疲れた様子でリビングに向かう。
「あー、なんか頭が重い……」彼女は自分の頭を揉みながら、キッチンから漂う妙な匂いに気が付いた。「なんか……焦げくさい?」
不審に思った凛は匂いの元を辿り、キッチンへと向かった。そして、そこで見たものに一瞬固まった。
「……何してんのよ?」
キッチンでは覚空がエプロンを身に着け、大きな鍋を使って何かを煮込んでいた。彼の真剣な表情と、その鍋から漂う焦げたような不思議な匂いが凛の不安を煽る。
「施主、おはようございます。」覚空は振り返り、微笑みながら言った。「貧僧、昨夜のご迷惑を償うべく、早朝より精進料理を用意させていただきました。」
「精進料理?」凛は目を細めながら鍋の中を覗き込む。そこには、焦げた豆腐と色のくすんだ青菜が沈んでいる清湯が煮立っていた。
「これ、絶対おいしくないでしょ……」凛は眉をひそめながら呟いた。
「施主、これは少林寺秘伝の精進料理。味よりも心身を清める効果に重きを置いた一品です。」覚空は堂々と宣言した。
「いや、そういうのいらないし。」凛は半分呆れながら、一応、箸で豆腐をつまんで口に入れた。しかし、噛んだ瞬間、彼女の表情が一変する。
「ぶっ!!……なにこれ、しょっぱい!!!」凛は咳き込みながら叫び、水を急いで飲んだ。「あんた、どんだけ塩入れたのよ!?これは塩ラーメンじゃなくて塩の塊でしょ!」
覚空は驚いた顔で答えた。「貧僧、塩を入れることで気を高める効果を狙ったのですが……少々多かったようですね。」
「少々!?これ完全に塩分過多で死ぬレベルだよ!」凛は怒りながら鍋を指さした。「あんた、料理なんてできないなら最初から手を出さないでよ!」
覚空は深く反省しながら合掌した。「施主、申し訳ありません。次回は必ず、施主のお口に合うものをお作りいたします。」
「次回なんかいらない!」凛は頭を抱え、「お願いだから、もう私のキッチンに入らないで……」と呟いた。