序の口
この世に曖昧な事情があってはならない。
この世に存在する限り全てのものには優位や順位がつけられるのは然るべきであり、個人は気の毒にも思うがかえって今日の世には至便至利のものたりと雖も過言はない。
全ての事情の審判、裁判、それらの判断の簡略化。
私情や権威に関わらず公平なジャッジをくだし、一般社会でも派閥による争いや日常会話で無為に時を過ごし非生産的に時間を浪費する事はなくなる。
そんな夢のような空想を実現する為に常設されている国会上院
“結論争議委員会”
全ての物には何らかの価値があり、優位劣位がある。
数字で見える物なら言うまでもないが、個人の思想や好み、机上の空論となればいくら話あっても答えは無く不毛な議論で終わるのが関の山。
しかし、それらを決定してしまえば何かを決める際二度と争う事はなくなり、何事もスムーズに事を進めるのは確かであり事実。
それらを決める為に存在するのが結論争議委員会そのものである。
法律が公布されるのとは違い、議員全員での採決や両院の議決などは無く、審査され議案を付託された担当議員個人達で話し合い、最終的なジャッジを1人の最も適当な最終結論代理人が下だすと言うもの。
これまで可決された例をあげると「業務中の同僚を苗字以外で呼ぶのはありかなしか」や「エスカレーターの立ち位置は右か左か」「綺麗な景色は高層タワーからか山からか」など
これらを決める様は議会というよりは裁判に近くデータや一般論、トリッキーな弁明どんなものを使っても良しとしている。
特に何らかの政策を実現させる為に必要とは言えないような訳の分からないものや、わざわざ国会上院が話し合うにはくだらない議題ばかりとも思うが、決めておいて損はないものも多くあり、一般社会に於いても無駄な議論を無くせば、またその時間に別の作業を行う事や、独自の間違った教育法が蔓延する事もなく既存概念が一律になる事により無駄な衝突を無くすと言ったメリットもある。
故に委員会はどんなテーマであっても真剣勝負。
また議論し勝ち取ったものが自分の功績やキャリアとなる為、ぞんざいに議論する者や投げやりになる者はもっぱら皆無。
国民達も何かを決める際の簡略化や判断材料になる為、今となっては国家全体を見ても必要不可欠と言っても過言ではなくなっている。
小説家になろう様にて『無能な村人は不老不死だったようです〜不老不死のおかげで命と引き換えの呪文は撃ち放題な上に、呪いの装備付け放題な挙げ句、餓死寸前の生命力を食う精霊に出会った俺は勇者を目指す〜》と言う作品を書いております。何卒一読していただきたく思います。