第98話 水龍の欲③
『しかし寝ろと言われてもな、先程起きたばかりだぞ』
ごろりと横になりながら、呟く水龍に
「寝るしかない状況は苦痛ですけど、忙しい日々のなか、二度寝ができる環境はまさに至福の瞬間ですよ!」と、力説した。
『……そうなのか?』
「二度寝……したことないんですか?」
真顔で無い、と答える少年が少し不憫になった。
「じゃぁ、眠くなるようにしりとりとか……。
あっ駄目だ。生活環境が違いすぎる」
う〜ん。と少し大きめの独り言を呟く。
こいつはおもしろいくらいに心の内が駄々漏れだな。
上向きになったミレイの、形の良い耳に華奢な首、微かに動く唇を呆然と眺める。
「そうだ。お互い一つずつ質問するのはどうですか?
一問一答形式で! もちろん答えられないものはパス可能です。どうでしょう?」
『それはいいな。そうしよう』
おぉ……。意外とノリノリ。
てっきり呆れ顔で『仕方がない』とか言われると思ってたのに、こんなところは子供っぽいなあ〜。
クスクスと笑うミレイに気づき、苦虫を潰したような顔をして水龍は話を促した。
『では、お前から言え』
「私からですか? う〜ん。水龍さまいくつですか?」
『忘れた』
「……」
おぉい。初っ端から一刀両断だよ〜。
会話の繋ぎようもないなぁ〜。
「そっ、そうですか……。では次は水龍さま」
『あ〜……お前の好きな色は?』
「色? 色は……青ですかね」
『青。青が好きなのか!?』
水龍は身を起こして問いかけた。
「はい。あとは緑や薄紫色とか好きですよ」
『そ……そうか』と何故か落ち着かない水龍に、今度はミレイが質問をした。
「水龍さまの好きな色は?」
『私も青が一番好きだ。次は黒……だな。
あまり気にしたことないが……』
「黒い服多いですよね。似合ってますけどね」
『そうか?』
「はい。この銀色の髪が良く映えます。
紫とか白に銀糸の服も似合いそう。
……あっ! えんじ色もいいかも!」
『すごい出てくるな。では今度、服を新調するときの参考にさせて貰おう』
「ほんとですか! 嬉しい〜」
二人で笑いあっていると、徐ろにミレイが言い出した。
「あの〜。つかぬことをお聞きしますが、水龍さまは今は子供に退行してますよね? そしたら王様ではないってことですか?」
『どうだろうな。体だけ退行してるのであって、思考や記憶は変わらないからな』
その返答に「そうだよね〜。無理だよね」と独り言を零すと、水龍は『何か悩んでいるなら話してみろ』と言ってくれた。
優しいなぁ〜。
これだけ優しい人なら……イケるかもしれない。
「実はですね。私、水龍さまにある想いがあって……でも王様だし、ずっと我慢してたんです」
水龍の脳裏に、我先にと自己主張を繰り返す令嬢や胸の空いた服であからさまなアピールをしてくる女達が思い起こされた。
そういえば、この東宮に待ち伏せをして突撃してくる令嬢もいたな。
もちろんそんな礼儀知らずは出禁の処置をとっている。
警戒と落胆を滲ませる水龍の隣で、ミレイは話しを続けた。
「ハグしたいんですけど……いいですか?」
『ハグ?』
「ハグっていうのは親愛の情を交わすことです。
ほら、お友達になった記念に?」
ぎこちなく笑いかけるミレイに、水龍が胡散臭い視線を投げかける。
『……いかにも今思いついたような理由だな』
「ははっ……。えーーと。い、異種族間交流の……一環だと思ってもらえたら?」
『異種族間交流ねぇ〜』
言葉を重ねるが、やっぱり無理そうだ。
ミレイは潔く白旗を上げた。
「……すみません本心はですね、水龍さまが可愛いくてハグしたくなったんです」
『…………はっ?』
ミレイは身を起こし、ヤケクソとばかりに本音を吐露した。
「だから、お子様の水龍さまが可愛すぎるんです!
この姿にはもう会えないと思ってただけに、ご褒美感が半端なくて……!」
『ご、ごほうび? この姿がか?』
意味がわからない……。
でも、少なくともあの女達とは違う……か?
「はい! くるっとした瞳にプニプニのホッペ。
話し方は大人なのに、無意識の仕草が悩殺的にかわいいんです」
『意味がわからない……』
今度は言葉にしてみた。
思考が停止するとは……こういうことだろうか……。
でもミレイの瞳は今までに無いほどに熱を帯びている。
なぜ……?
「あの! これが本当に最後かもしれないし、
少しだけギュってしてもいいですか?」
『……なにを言ってるんだ?』
「今だけ無礼講ってことで! ……駄目ですか?」
軽く身を引いた水龍に、ミレイは少し強引すぎたと反省した
まずい。このままじゃ私、変態扱いされちゃうかも!
──既に手遅れな気もするが……。
『……はあ〜。仕方が無いな』
「えっ!? いいんですか?」
思いもよらない言葉に顔を上げて、まじまじと水龍さまを見た。
『話せと言ったのは私だ』
その真摯な相貌に……やられた……。
これが漫画なら胸に矢が刺さってるだろう。
『さっさと済ませろ』
「了解しました!」
業務の一環のような色気のかけらも存在しないが、お言葉に甘えてギュッと抱きしめてみる。
懐の中にスッポリ入るこの手頃感に、サラサラの髪も撫でてみる。
ちっちゃくてかわいい〜……!
身じろぎせずに付き合っていた水龍だが、あまりにさわさわと撫でられるので、落ち着かない。
でもミレイの拘束はとける気配もないので『そろそろ……』と声をかけた。
「あっ……つい。ありがとうございました。
変なお願いをしてすみません」
『変な願いの自覚はあるのだな』
呆れたように声をかけるも、その耳はほんのり色づいていた。それに気づかないミレイは「ははっ……」っと空笑いをして、自身の頬をかいた。
「でも小さくて可愛いものを見ると触りたくなりませんか? 」
『ならない』
「えーー。少なくとも人間は可愛い生き物を見ると抱きしめたくなる種族なんですよ」
『そんなばかな』
「まぁ、種族は言い過ぎかもしれないけど、でも触りたくなるんです。だからありがとうございました」
『ふん。満足したのなら良い。
いい加減寝るぞ、このままだと仕事にならん』
「あ〜そうでしたね」と二人で再度、横になる。
そこでふと気づく。
前回の通りにするのであれば、ミレイが水龍を抱きしめて寝たのだ。
それに気づくと、二人は顔を見合わせてプッと爆笑した。
「もうちょっと冷静になれてたら、こんな恥をかかなくても良かったのに〜!」
思わず枕に顔を埋め、足をバタバタさせてるミレイに、水龍は『なかなか興味深い、異種族間交流だったぞ』と、追い打ちをかけるように茶化した。
改めて言われると異種族間交流とか種族とか、無理ありすぎ!?
稚拙な言い訳しか思いつかなかった自分が恥ずかしい。
今更ながら体温が上がってくる。
俯いて顔を隠すも、その両耳は真っ赤になっていた。
チラリと視線だけ動かして「水龍さまも私に何かお願いごとがあったら言ってくださいね」と言うのが精一杯だった。
水龍さまはその様子を見て楽しそうに
『考えておこう』と言った。
そのままミレイの体を向かせ、胸元に近づくとミレイはそのままギュッと抱きしめた。
『おい、ミレイ。苦しい』
「わざとです!」
『お前はいろいろ稚拙だな』
ふふっと笑い声が聞こえる
「お子様は寝る時間です。お姉さんが寝かしつけをしてあげるので、さっさと寝て下さい」
八つ当たりとも取れるセリフにも、水龍の忍び笑いは止まらない。
そっとミレイの腰に手を回す。
ミレイの鼓動が一瞬跳ねる。
あれ? あれ〜?
なぜドキッとした?
私は断じてそういう趣味はないぞ!?
──もういい、さっさと寝よう。
前回と同じなら寝ておきたら元に戻ってるはず!
ミレイは高鳴る鼓動を無視して眠りについた。
水龍の頭上で聞こえてくる一定の寝息。
寝たのか……。
まったく先ほど起きたばかりだろうに。
それに寝なければならないのは私の方だぞ……。
体を起こして、寝息をたてて穏やかに眠る様子を眺めてみる。
可愛いのはどっちだ……。
まったく相変わらず読めないヤツだな。
まさかこの私に可愛いなどと言う者がいるとはな……。
龍王は畏怖の存在。
尊敬はされても、そこには壁が存在する。
決して超えられない、超えさせてはいけない壁。
でもミレイを見ていると、そんな今までの常識が必要なのか?という気になってしまう。
『私の願いか……』
私が欲しいものは……
そっと顔にかかる髪を掬い、髪先に口付けた。
今はまだ、その時ではない……
今は まだ……
ミレイの頭を抱えてそっと抱きしめ、目を閉じた。
甘いにおいがした……
鼻腔を擽る 蠱惑的な甘いにおい……
◇ ◇ ◇
不意に意識が浮上する。
あれからどれくらいの時間が流れたのだろうか……。
時計を見ると、一時間程寝ていたらしい。
己の手の平を見て、ほくそ笑む。
──やはり思っていた通り。
退行はコントロールできる。
隣で眠るミレイの髪をすく。
指を通る感触も肌の温もりも心地いい。
「……んっ……」
『起きたか?』
無言でジーー、と自分を見つめた後、再び瞼が閉じられた。
その様子にクスリと笑い、ベットから出た。
胸に灯るのは 幸福感。
私をこんな気持ちにさせるのはお前だけだ……ミレイ。




