第97話 水龍の欲②
「あの……これは一体……」
ミレイの疑問ももっともだ。
気持ちよく寝てたところをいきなりクウに起こされて、気づいたら水龍の部屋。しかも当の本人はまた子供に逆戻りしてたのだから……。
『姫。こういう状況だから、元に戻る手伝いをしてほしいの』
申し訳なさそうに話すクウの傍らで、何故か水龍さまは不機嫌そうだ。
「別にいいけど、この前のは偶然じゃないかな?」
『いいえ。あの時も私共はいろいろ試していましたが、何の成果もありませんでした。だから唯一結果を出した水姫に縋るしかないのです』
「縋る……って大げさだなぁ〜」
ダニエルの良いように、ははっと笑ってみる。
『何も難しいことはありません。前回と同じようにしてもらえれば大丈夫です。それでは私は仕事の調整をしてきますので、何かあればオーブでお知らせ下さい。
水姫様、よろしくお願いしますね』
ダニエルが謎の圧をかけて部屋を出て行く。
なんなの……いったい。
そうしている間にクウが朝食の準備を済ませてくれた。
『お二人共、お食事の用意ができました』
今朝のメニューはハード系のパンとキッシュに似たパイ料理、鳥みたいなお肉に緑色のポタージュとデザート。
……そう。朝からこんな可愛い子とご飯を食べれるなんて幸せなこと。でも、これはいったい……。
私がチラリと謎ポタージュに目を向けると、水龍さまの意地悪るそうな笑い声が聞こえてきた。
『マンドラゴラのスープは苦手か?』
「マ、マンドラゴラ?」
『あぁ。根が人型をしているが、薬草としても重畳されていて、煮込むととても美味な上に栄養価も高い』
マンドラゴラって……
おいおいファンタジーですか?
思わず一人ツッコミをしてしまう
たしか引き抜く時にすこい声を発するとか言う……あの一部に有名なマンドラゴラ?
それをグツグツ煮込んだスープ?
いやいや……。飲める気がしない。
目の前では可愛いお子様がゲテモノ?スープを普通に飲んでいる。そしてそれを給仕してるのは私の友達……。
あーー。リリスさんの野菜スープが恋しいなぁ。
そんな現実逃避をしている私を見て、水龍さまはクスクス笑いながら『苦手なら残してよい』と言ってくれた。でも手もつけずに残すのは失礼、と思って一口啜ってみる。
……おいしい
脳と味覚は美味しいと感じてるのに、何故か拒否反応が出てしまう。無言でそっとスプーンを置いて、パイを食べる。
うん美味しい!
純粋に食事を楽しむなら、やっぱり余計な知識は入れない方がいいのかもしれない。
『ミ……いや。お前は美味しそうに食べるな』
そう言いながらパンを頬張る水龍さま。
なあにあれは? 頬袋?
ちぎったパンは恐らくいつものサイズ……。
習慣ってこわい。
「美味しいですから……」
緩む頬を叱咤して、ポーカーフェイスで残りのパイを口に運ぶ。
あーーん、してあげたい!
私のそんな下心を紅茶と一緒に嚥下して、朝食が終わった。
クウも退出すると二人だけの空間。
この前の再現ってことは、ベットに二人でってことだよね……。
ミレイはチラリと天蓋付きのベットを見やる。
客間のような豪華絢爛ではないが、細部にまで細やかな彫り物を施された、落ち着きのあるベットだった。
室内を見渡しても、そこまで広くなく過度な装飾はなくて家具も少ない。でもどれも重厚感のある厳選された良い物だということはわかる。
『そんなに面白いものは置いてないぞ』
ふと、耳に届いた声に他人の部屋をジロジロ見すぎたと反省する。
「ごめんなさい! 王様の部屋だからもっと広いと思ってたから……」
いやいや、これは何気にディスってる?
内心、ひやりと焦る……。
『あぁ。ここは寝所だからな。
ここ以外にも執務室と応接室。隣は浴室だ。寝所からこちら側は基本的には限られた者しか入れない』
「そんなに!?」
『少しは王様らしいか?』
またもやクスリと笑われ、何故か顔が赤くなる。
「もう、いいです!
それよりもこの前の再現ですよね? それならゴロンって横にならないと……。このベット以外にどこか横になれるところはありますか?」
『いや、ない。そもそもこのベッドでいいだろう?』
「でも自分のベッドに他人が寝るって嫌じゃないですか?」
そう言われて水龍は少し考えこむが『お前ならいい』と見上げて言った。
お前ならいいって……なに!?
相手は子供だって分かってても……ちょっと……。
ミレイは心を鎮めるように静かに息を吸った。
「ところで……私の名前。なんで途中まで言いかけて、お前に言い直すんですか?」
目線の高さを合わせてジトリと睨むと、今度は水龍のほうがピクリと肩を震わせた。
『そんなことは……』
「ありますよね? 何度かありますよ。
それとも名前で読んではいけない理由がありますか?」
『特に決められてはいないが……』
とたんに水龍さまの歯切れが悪くなった。
「教えて下さい」
ミレイは水龍を脇の下から持ち上げて、ソファーに座らせた。
『なっ、なにをするんだ!』
「だって踏み台がないから」
『そんなものは無くても平気だ』
そう言うと両手を座面に置いてヒョイと飛び降りた。ミレイが慌てて手を差し伸べたが、なんと水龍は宙に浮いていた。
「えっ……!?」
浮いていたわけじゃない。
良く見ると足下に小さな水の渦が見える。おそらく先日、騎士団兵舎でロスがやっていたものと同じものだろう。
『この前は妖力を戻す必要があったから、なるべく力を使わないようにしていたんだ。力が戻ればこの通り、台など要らない』
「なるほど。……あれ?
この前は力を使いすぎて退化したんですよね? だから温存する為に力を使わないようにしてた……」
『そうだと言ってるだろう』
ソファの上で足を組むと、フイと横を向く水龍。
「じゃあ、今回退化した理由は?」
その言葉にビクリとして『それは……』と、横を向いたまま言い淀む。
数秒の沈黙……。
「言えないならいいですよ。機密的な物もあるだろうし」
そう言うとミレイはニコっと笑い、水龍は気まずそうに視線を反らした。
「そうそう名前です。……何か呼べない理由があるんですか?」
小首をかしげて問うミレイに、水龍は頭をガシガシとかき回すと、ミレイの方を向いた。
『さっきも言ったが決められているわけではない。
ただ、この国の上流階級と呼ばれる役職や地位のある者達は、親しい者以外には名を呼ばせない、呼ばないと言った暗黙の了解があるのだ。
──すり寄る者達を抑制する意味もこめてな。
特にそれが男女だと顕著で、親しくない異性から名前……ファーストネームを呼ばれることを嫌う者も多い』
「なるほど、わかりました。
王族ならそういう教育もうけてますよね? だから呼ぶのに躊躇った?」
推察して覗きこむように水龍さまの表情を見ると、バツが悪い顔をしていた。
『……その……とおりだ』
「私はもう親しい仲だと思ってたんですけど……ね。
なんだかすみません」
『そんなことはない!
謝る必要もない。私だって……その……自惚れではないか、と……。私はバートン達ほど共に過ごしていないからな』
少し耳を赤くして俯く水龍さまが、年相応の子供らしくて、可愛くてたまらなくなる。
「じゃあ。水龍さまお友達になりましょ!
それなら私の名前を呼んでもらえますよね?」
『とも……だち……?』
唖然とする水龍
「あっ。駄目でした? ひょっとして不敬罪とか……?」
『駄目ではない。……ないが、そんなことを言われたのは初めてで……』
しどろもどろな水龍にミレイが提案する。
「それなら私に合わせてもらえませんか?
私のいた国では男女で名前……ファーストネームを呼び合うことは珍しくないんです。だから私に合わせたって事でどうでしょう? 異種族間交流です!」
『異種族間交流……』
「はい。そうしないと私は誰にも自分の名前を呼んでもらえませんから……。
それは少し淋しいし……どうですか?」
少し緊張した顔で真っ直ぐみつめるミレイ。
水龍はその優しさが嬉しくて、こそばゆい気持ちもあって、少しぶっきらぼうに『わかった』と返すと、ミレイは「よかった〜」と朗らかに笑みを零した。
水龍はソファから降りると
『ミレイ』と、呼んで手を差し伸べた。
なんだろう……。
呼べと言ったのは自分だけど……なんと言うか……。
少し躊躇いがちに手を差し伸ばすミレイ……。
でも、そのちょっとした違和感はすぐに解消された。
何故なら、身長差があるだけにエスコートというよりは、小さい子供が手を引いてる光景にしか思えないからだ。
やっぱり可愛いなぁ〜……。
これだってどう見ても『お姉ちゃんこっちこっち〜!』……だよね。
あーー。ギュッってしたい……。
ベットに着くと二人で腰をかけた。
チラリとこちらを見た小さな水龍さまに、ミレイはある提案をしてみる。
それに水龍はひどく動揺して、わずかに抵抗をこころみる。
──きっとクウがここにいたら、生暖かい視線か自分の主君に同情の視線を送っただろう……。
ミレイはやっぱりミレイなのだ……。