第95話 昼食会
「お招き頂きありがとうございます」
『堅苦しいものではないから楽にしてほしい』
ミレイは着席すると目の前の水龍に微笑み、ゆっくりと周りを見渡した。
ここは庭園の一角にある東屋。
庭園と言っても昨日訪れたこじんまりとした庭園ではなく、王族のみが入ることを許されている庭園。
花々も豪華絢爛に主役級の美しい花が咲き誇り、奥に続くアーチには細かな装飾が施されている。
いきなりこんな場所に招かれて、楽にしてほしいと言われても……。
メッセージカードには夜の会食ではないので、楽な服装で……と書いてあったけど、王様との食事にいつもの服ではラフすぎる、ってことで結局侍女さん達に綺麗にしてもらったのよね。
「お花ありがとうございました。とても綺麗でした」
『気に入ってもらえたか?
好みの花や色など何も知らないからな、適当に見繕ってしまったのだが、まぁ気に入ったのなら良かった』
──『適当』……会社でもよく使われていた言葉。
ほどよい意味の『適当』なのか、いい加減な意味での『適当』なのか判断に困る時があった。
あとは男女なら照れ隠しの『適当』もあるけどね。
……うん。この場合は最初の『適当』かな〜。
水龍さまが誠実な人なのはなんとなくわかるし……。
とりあえず無難な笑顔で返した。
それを少し離れたところから見ていたダニエルは人知れず溜め息をついた。
『……今度は何を画策していますか?』
そんなダニエルに話しかけたのは、近侍頭として場を統括しているクウだ。
『人聞きの悪い。ただ我等の王にも癒しが必要と思っているだけです。実際、こちらが進言しないと休憩も取りませんし、王の心身の健康を保つのも我々側近の仕事の一部ですよね?』
『それは同感ですが、利用して良いものとそうで無いものの区別は重要ですよ』
隣に並び立ち、笑みを浮かべ、クウに至っては指示を出しながらも意識は互いの腹を探り合っている。
水龍とミレイに軽食が出され、端からみると会話もはずんでいるようにみえる。
『レミス殿は何においても陛下が一番だと思っていましたが、その認識を変えなければいけませんか?』
『変える変えないは貴方の胸中の話なので、私には関係ありません。でも敢えて言うなら、陛下を第一に考えることに変わりありませんよ。
……ただ一生かかっても返せないくらいの恩を受けた人がいまして、その人が軽んじられたり、利用しようとする輩には思い余って本気で排除……いえ、対応してしまうかもしれません。
自身の感情も制御することができない若輩者で、お恥ずかしい限りです』
垂れ目を更に下げて微笑む様子は、愛らしさも漂うが、言ってる内容は可愛げの欠片もない。
ダニエルも片方の頬だけつり上げて微笑み返す。
『珍しく饒舌ですね。肝に命じておきましょう。
貴方とは仲良くしたいと思ってますので』
『仲良くねぇ〜。真意を計りかねますね。
こんな場所での会食など、貴族達の格好の話の種です。妃争いの牽制の為だけに姫を使うのはご遠慮いただきたい。
……まぁ、後ろ盾とする計略なら内容によってはお手伝いしますけどね』
クウも指示を出しつつ、隣をチラリと見る。
ダニエルの表情から推測すると、概ね内容は合っているように思えた。しかしその底は見抜けない。
飄々としてても、陛下の第一の側近なのだ。
『仲良くしたいは本音ですよ。水姫とも、ね。
悪用するつもりは今のところありませんから。
貴方もそうですが、宰相と騎士団長、国の要職についてる方を敵にまわすのは陛下の治世にとって良いものではありません。進んで隙を作るような愚かな真似をするはずが無いでしょう……ねえ?』
『……それには同意します』
その様子を目端にとらえていた水龍もまた、内心溜め息をついていた。
あいつらは何をやってるんだ?
目の前のミレイは昨日の散歩の様子を話してくれている。
子供達が庭園で遊ぶ様子が可愛かったとか、初めてみる騎士団の訓練に興奮したとか……。この国に来てから、こんな風にはしゃぐミレイを初めて見た。
その様子は可愛らしく、こちらも微笑ましい気持ちで見ていたが、話がヤンの話に移ると頬を染めてその勇姿を称えるものだから、思わず会話を遮ろうとしてしまった。
……抑えた己の理性を称えたい。
昨日ダニエルが言っていたのは、このことか……
『初めての散策を騎士団長にまかせて良いんですか?』
意味がようやくわかった。
この笑顔は私が引き出したかった……
私に向けられたかった……
他の男を称える様を、ただ聞くことしか出来ないとは……
「水龍さま? 大丈夫ですか?」
その言葉に引き戻され、正面のミレイに『何でも無い』と返す。
「もしかしたら眠れていないんですか?」
『……少しな……』
「寝不足は辛いですよね〜。
体を動かすといいと聞きますし、少しお散歩しませんか?」
その朗らかな笑みに惹かれ、あぁと返す。
東屋を抜けて、色とりどりの花のアーチを抜けると庭園の奥に行き着いた。
そこは青のグラデーションで構成されていて、青い空と相まってどこまでも青が続いているような錯覚をする。
「きれい……」
さわさわと揺れる花々に目を奪われる。
『見事だろう? 青は王族の色だ。ここが王家の庭と言われる由縁だ。』
「たしかに……水龍さまの瞳も綺麗な蒼色ですよね」
ミレイは正面からじっと水龍の瞳を見つめ、二人の視線が絡み合う。
水龍の手がゆっくり動き、ミレイの腕に触れようとした瞬間……
「やっぱり……隈できてますよ」
『くま?』
そっと腕を下ろした。
「目の下が薄っすら青くなってます」
『そんなことは無い。龍王の回復力は常人のものとは違う』
気まずそうにそっと視線を逸らすも、ミレイの右手が水龍の頬に触れ、また視線が絡み合う。
「回復力とか関係ないですよ。体の疲れは知らずに溜まるものです。……また、添い寝してあげましょうか」
最後はイタズラっぽく、こそっと呟くと水龍の方が体を後ろに逸らした。
『なっっ……!?』
「……冗談ですよ〜?」
さらりと言うミレイに水龍はたまらず大きな溜め息をついた。
『そろそろ戻るか?』
水龍にエスコートをされて再びゆっくり歩みを進める。
『ミレ……いや。水姫。……何か困っていることはないか? 必要なものとか……』
「必要なもの?」
『あぁ欲しい物でもいい……。例えば宝石とか』
「宝石!? いやいや要らないですよ」
『そうなのか?』
「はい。管理できませんし、つける機会もありませんから」
『そんなの日常でつければいいじゃないか』
不思議そうに聞いてくる水龍さま。
はい。セレブ思考!
私がいた世界にも指輪やネックレスに宝石のついたアクセサリーは売ってるし、私も日常で付けてたよ。
でもこの世界の宝石の感覚がまず違う。
あんな控えめな物ではなくて、ショーやパーティに付けてくるような綺羅びやかさなのだ。
それを日常で……? ないわ〜……。
『どうした?』
「あーー。宝石は大丈夫です。
……それよりもお願いしたいことならあります」
願い? と聞いて、水龍は一瞬身を怯ませた。
「こちらの国に来た時に協力してくれて、私を面倒みてくれてた人達と連絡がとりたいです」
水龍の目が僅かに開かれ、意外そうな表情が見てとれた。
「それはどういう表情ですか?
無理ってことですか?」
『いや、少々意外でな……』
「意外?」
水龍さまは、あぁ。とだけ答えたあと、私の話を促した。
願いと言うからにはもっと贅沢したいだの、妃にしてくれだの……そんなのを想像していたのだが……。
『いいだろう。レミスに届けさせるから手紙を書け。
ただし人間の国と連絡を取る以上、検閲は受けてもらうが、いいか?』
「はい! 大丈夫です。ありがとうございます!」
ミレイが嬉しそうに、満面の笑みをこぼした。
それは庭園の花にも劣らないくらい眩しいものだった。
駄目かと思ったけど、聞いてみて良かった〜。
これでみんなに龍王国に着いたよって言える!
東屋に戻ると花が活けられ、ティータイムの準備がされていた。
『そうだ話をしておくことがある。今度夜会を開くことになった』
「夜会……ですか?」
『そうだ。水姫のお披露目をして、広く賓客であることを意識づける。そうすれば行動制限もある程度は解除できる』
「行動範囲が広がるのは嬉しい限りですが、夜会は……」
ミレイの表情にははっきりと『乗り気がしない』と物語っていた。
『失礼、水姫様。夜会であればそれ相応のドレスや宝飾品を陛下より送らせて頂きます。
誰よりも美しく着飾り、龍王陛下の隣に並び立つことで、みんながあなたに羨望の眼差しを向けることは間違いありません』
ダニエルが一歩前に出て夜会のアピールを始めた。
「いや、どんなに着飾っても水龍さまの隣にいたら、みんなのっぺらぼうですよ」
『のっぺらぼう?』
「いえ、なんでもないです。それよりもドレスですか……」
高いヒールにキツキツの衣装……苦しいんだよね。
それに水龍さまの隣にいたら絶対アレが始まるよ……。
夜会の定番『ご令嬢によるいじめ』
きっと呼び出しと言う名の前菜から始まり、複数での取り囲み。
メインはお嬢様らしい美辞麗句での罵り口上。
フィニッシュは突き飛ばして『ごめんあそばせ。ホホホホホ〜!』と退場だろう。
いやだなぁ〜……。
そういうのは物語だから良きスパイスとなって面白さが加わるのであって、自分が受けたいとは思わない。
「書面で通達でいんじゃないですか?」
『すでにやっている。やっているが……納得しない者もいるのが事実だ』
そうでしょうね〜。
「このままでもいいですよ。今のところ実害はないですし」
『実害があってからでは遅いのだ』
『それに水姫様は現状、客人扱いになっています。
もっとご自身の地位を向上させたり、確固たるものにしたいとか思わないんですか?』
「はい」
そのまんま答えた。
『…………えっ!?』
そしたら何故か驚かれた。
水龍さまは目を軽く見開き、ダニエルは僅かに口を開けてポカンとしている。クウに至っては口元を抑えて肩を震わせていた。
あれ絶対笑ってるよね!
私がそういうの興味ないって知ってるはずなのに!
「地位向上とか興味ありませんから、今のままでも大丈夫ですよ。夜会やドレスとかお金かかりそうだし……。
そう言えば市街地の復旧工事が必要なんですよね? それならそのお金をそちらに回してください」
『水姫様。貴女はなんて出来た方なんだ。
自らのことよりも我が国の国民の事を考えてくださるとは……。少し貴女のことを考え直さないといけませんね』
ダニエルが両手で握手をしてくる。
周りの侍女さんも涙ぐみ、何故か騎士達も感動している。
なにこれ……。
慌ててクウの方を見ると、とても良い笑顔でにこやかに笑っていた。
『ミレイありがとう。でも大丈夫だ。お前が気にするほど我が国の国庫は逼迫していない。
ダニエル、予定通り夜会を開く。主要官僚だけでよい、通達を急げ』
『了解しました』
ダニエルが一礼をして、その場から離れる。
あれ? ……あれぇ〜?
夜会を回避するために、お金がかかるって言ったのに、何だが美談のようになっちゃった。
結局、夜会は決定になったし……どうしよう〜。