第94話 はじめての散歩
無機質な石畳の廊下に二人分の硬い靴音が響き渡る。
ここは王宮本宮の一階。
薄暗い廊下の両側には倉庫を思わせる扉がずらりと並んでいた。
ロスがいなかったら廻れ右!で、引き返したかも……。
それくらい場違いな雰囲気が漂っていた。
明るい方に歩みを進めると、石柱と簡易な手すりが並ぶ開放的な廊下が広がっていた。
奥に見えるのは……城壁……かな?
庭に面した廊下と奥に聳えたつ城壁の間には綺麗に手入れをされた庭園があり、多くの人や子供の姿も見えた。
「こども?」
官僚や衛兵が数多くいる王宮内で、子供やファミリーの姿が不思議に思える。
『こちら側は小さな庭園がいくつかあって、今の時期は一般解放されてるんだ。見頃の花も多いみたいでな、市民からも人気が高い』
「そうなんだね……」
庭園に近づくと、植え込みの芳しい若葉の匂いや可憐な花々の少し甘い匂いに包まれる。
辺りを見回すと来場者に混じって数名の庭師が木々の剪定をしたり、枯れた花を摘んで景観を保っていた。
「クウに目立たないようにって言われたけど、平気なの?」
『ものは考えようだ。見られたくないのは王宮内の者達だろ? 外部の者からみたら騎士と侍女が王宮を歩いているのは不思議な光景じゃない』
「たしかに……」
ちらりとロスを見上げる
『……なんじゃ? その目は?』
「なんでもないよ〜」と誤魔化したけど、さすがに『ロスが頭を使ってるのが意外に思えた……』は、失礼かな、と思って口を紡ぐ。
しかしそんな私の思考を読んだかのように、ロスはニヤリと笑うと痛いくらいに私の頭を撫で回した。
『ようは潜入と同じ考えだ。異物にならないためには、そこに溶け込むのが一番だからな』
「この紙の束もカモフラージュ用ってこと?」
『その通り。遠目なら仕事で付き従ってるように見えるし、顔を見られたくなかったら口元を隠すアイテムになる』
「口元?」
『あぁ、プロならともかく素人は口元が見えないだけで、顔の印象があやふやになるんだ』
「そうなんだ。ロスすごいね!」
思わず感嘆の声を上げるとロスは得意げに笑ってみせた。
その時、すぐ近くの庭園から女性の甲高い声が聞こえてきた。
『ちょっと! 私が散策してるのに視界に入ってくるなんてどういうことかしら!?』
『もっ申し訳ございません』
『そうよ! 汚らしいお前達が視界に入ったら、せっかくの花々が台無しだわ!』
『そもそも手入れは開園前にやっておくべきことではなくて? 職務怠慢だわ。お父様に言いつけてクビにして差し上げますわ』
『クビってそんな!』
『あら。上流階級の私達に意見するつもり?』
見るとドレスを着た三人の女性が庭師らしき老人二人に詰め寄っている。
「なにあれ……」
周りの人達はそっとその場から離れ、とばっちりを受けないように距離をとりはじめた。
ミレイが眉根を顰めていると、ロスは『自分が行くから姫は絶対にここから動かないように』と言い残し、女性達の方に向かって歩き出した。
『失礼、御令嬢方。いかがされましたか?』
『なによ! うるさっ……あら? 貴方は……』
振り向きながら更に罵しろうしていた令嬢はロスを見るなり態度を変えた。
『あの……もしかしたら騎士団長のヤン様ではなくて?』
『えっ。あのヤン様!?』
『はい、いかにも。騎士団の団長職を預かっております
フェルノ・ヤン・ガブラスと申します』
丁寧に一礼をして、爽やかに微笑む騎士団長に令嬢方は一瞬でポ~っとなり、周りも俄にざわついた。
令嬢達は先程までと同一人物なの? ……と疑問に思うような変わり様で、喜々としてロスに自己紹介をしている。
……なにあれ……。ドン引きだよ。
ロスの後ろにいる庭師は思わぬ助け舟にホッとした様子だったが、相手が騎士団長だとわかると、今度はあわあわと挙動不審な態度になった。
あれよね……。助けてもらって安心したけど、助けられた舟が大型船すぎて、居心地が悪いって状態……だよね。
気の毒なおじいちゃん達に少し同情してしまう。
『……ところで、少し前から見ていたのですが、この庭師は令嬢方に何か粗相をしたのでしょうか?』
庭師二人の肩がビクリと揺れ、令嬢達もピンク色の空気を一瞬で引っ込めると、バツの悪い表情を見せた。
『えっ。……その、粗相というか……身の程をわきまえないから……』
『せっかく庭を楽しみにきたのに……ねえ?』
隣の令嬢に相槌を求めたが、緑のドレスを着た令嬢は俯いたままだ。
『そうですか。庭を楽しみに来場されたのですね。
たしかに色とりどりの庭園は見事ですよね』
ロスがニコリと笑みを浮かべると、令嬢の一人が幸い……とばかりに乗ってきた。
『ええ。そうなんです! この美しい花々を愛でにきたのに、この者達が邪魔をするものですから……つい、ね』
『ええ。美しくあるためには、常に美しい物しか視界に入れないようにしていますの。それなのにこの者達は……。まったく、空気の読めないこと!』
ここからでもロスの貼り付けたような表情がわかるのに、あの人達は目の前にいて何で気づかないんだろう……。
『そうですか……』
ロスは後ろを向くと二人の庭師の肩をポンと叩いた。
『良かったですね! 貴方方が丹精込めて育て上げた花達が褒められましたよ』
『『えっ……?』』
二人の庭師は戸惑い、令嬢達もキョトンとした顔をしている。周りで成り行きを見守っていた者達の空気もざわついた。
『観賞を邪魔をされたくないくらい、ここの花はキレイだと、御令嬢方は言ってるんですよね?
上流階級特有の遠回しな褒め方は私達のような者には分かりずらいですが、きっと美しい花を育て、管理してる者達への賛美のはずです。
……あれ? 違いましたか?』
『なっ、なにを言って……』
『そうですわ!』
反論しようとした令嬢に、俯いていた緑のドレス令嬢が割り込んできた。
おそらくロスの空気と周りの冷ややかな視線を感じて、分が悪いと思ったのだろう。
『そうですわ! 私達は褒めて差し上げようと思いましたの。勘違いなさらないで!』では……と、他を促して三人の令嬢はその場を後にした。
残った庭師は何度もロスに頭を下げて、奥の方に姿を消した。
『ロス! アレを宥めちゃうなんて凄いね!』
『……あの手の令嬢はプライドだけは高いからな〜。そこだけ気をつければ、会話の誘導は可能なんだよ。
まぁ、人によるけどな!』
庭園の端を歩きながら、角を曲がると衛兵が二人立っていた。ロスを見るなり慌てて敬礼をするところを見ると、偉い人なんだなぁ〜……と今更ながら隣の大男を見上げる。
『まぁ。腹黒じいさん達に比べたら、自己主張が強いだけのわがまま令嬢は可愛いもんだよ』
『腹黒じいさん……』
『そっ。姫も極力関わらないようにした方がいいぞ。
関わったら最後……ねちっこく付け回されるから。自分はやり合わずに敵前逃亡を決めてるけどな〜』
「騎士団長なのに?」
ハハッと笑うロスにミレイも軽口で答える。
『意味のある負け試合なら買うけど、ただ憂さを晴らしたいだけの相手に、付き合う理由はないだろう?』
「理由はわかるけど、負け前提なのはビミョー」
ツッコミを入れたところ『化かし合いは専門外』とのこと。たしかにロスには似合わないね。
騎士団の兵舎は王宮と違って、きらびやかな装飾の類は一切なく、無機質で頑丈なコンクリートの壁で出来ていた。
ロスの案内で建物の中に入ると、同じ幅の道が三つに分かれていて、思わず足を止めてしまう。
『姫、こっちだ』
「この道は撹乱用……とか?」
『へえ~。よくわかったな』
「昔、そんなような本を読んだことがあるの」
昔、歴史書で読んだことがある。
かつてお屋敷が同じような造り。グルっと周るように作られたのは、望まない客を撹乱する為だった……とか、なんとか……。本当のところはわからないけどね。
階段を登り奥に進むと、微かに男達の声が聞こえてくる。
ロスに示された石造りの窓から下を見ると、屈強な男達が剣を片手に打ち合っていた。
『ヤァーー!』
カン カン カーーン!
ガキン!!
鈍い金属音があちらこちらから響き渡り、その鍛錬の激しさが伝わってくる。窓から身を乗り出さないように注意しながらそっと覗いてみる。
『今日の鍛錬は強者揃いだから見応えあるぞ』
「……すごいね〜」
感嘆の息がもれる。
黒の半袖シャツはピッタリしていて、隆々とした筋肉がよくわかる。
ガキン! と互いに衝突する度に盛り上がる筋肉と、男達の真剣な顔。
これは……ヤバい
現代の鑑賞用ではない、実際に酷使されてる本物の筋肉……。
顔半分を覆ってその場でうずくまると、ロスが心配そうに声を掛けてきた。
「ごめん。大丈夫……です」
『……? なんで敬語なんだ?』
つい邪な目で見てしまったから、恥ずかしさが先にたつ。
「なんでもないよ」
平静を装って立ち上がり、ロスの胸をポンポンと叩いた所で、下から突き上げるような声が届いた。
『あーー! 団長だぁ~。なにしてるんですかーー!』
『本当だ。団長だ』
『侍女? 隣にいるの侍女じゃないか?』
おおぅ……。見つかった。
慌ててそっと身を隠す。
『えーー! 団長なにやってるんすかー!
もしかして逢引ですかーー?』
『逢引中ーー??』
ここは三階。
私は死角にいたはずなのに下から見つけるとか、さすが騎士。視力も良ければ声量も半端ない。
それにしても逢引かぁ〜。
その言葉のチョイスは駄目だよ〜。
ダニエルに散歩禁止って言われ、クウにもなるべく見つからないようにって念押しされているのに、こともあろうか『逢引中』。
ミレイは今更だけど、体を隠して頭の中をフル回転させて誤魔化す方法を考えてみる。
どうしよう……何も浮かばない。
焦るミレイの横でロスはあっさり返答を返していた。
……ミレイとは真逆の答えを……。
『ばれたか〜。自分は絶賛、逢引中でお楽しみ中だからお前達はそのまま鍛錬してろ〜』
窓から身を乗り出して、三階から笑い飛ばす団長と一階から野次を飛ばす団員たち。
『ズルいっすよーー! 俺も逢引したいです!』
『彼女さん顔みせて〜!』
言いたい放題だ……。
『そうじゃないだろ!
団長、それよりも訓練つけて下さーーい!』
『たしかに!! 団長! お願いしまーーす!』
なぜか『訓練』の大合唱が起きてしまった。
そんな私の焦りを他所に、ロスはしょうが無いなぁ〜と、笑うと『姫ごめんな!』とペロリと舌を出した。
「えっ? ……なにが?」
なんだか嫌な予感がする……。
『しっかり捕まってろよ!
せーーのっ!!』
ロスは私を横抱きにすると、こともあろうか私を抱えて
……飛び降りた
ここは三階だったはず!
「ひゃぁーー! うそでしょぉーー!」
凄い振動を想像して、ロスの首にギューっとしがみついたが、何故かストンと地面に降りたった。
「?? ……えっなんで……?」
『姫を抱えて無茶するわけないだろ?』
そう笑うロスの足元を見ると、小さな水が渦をまいていた。
「十分無茶してるから!
それにこんな方法あるなら先に言ってよ! バカ!」
『いや〜悪かった悪かった』
確信犯だろう、目の前の男は『焦る姫は可愛いなぁ〜』とヘラヘラ笑っている。
ミレイは悔しくなって、思いっきり頬をツネ上げると『いってーー!』といい反応が帰ってきたので、とりあえず良しとした。
「ふん、騎士団長様ならこんなの何とも無いでしょ!」
ふくれっ面でプイっと横を向くと、ロスは『ごめん、ごめん。代わりにいいもの見せるから機嫌なおしてくれ』と私を降ろした。
──そしてロスのいう『いいもの』とは現代を生きてきた私にとって本当にいいものだった。
カンッ カーーン!
『ハァーー!!』
ガキンッッ!!
『つぎ!』
一対十の対打戦。
一はもちろんロスで、他の十人は騎士達。
真ん中の一人を十人で一斉攻撃かけると言うのだから、なかなか鬼畜だと思う。しかも騎士は三十人はいるから普通に考えて三交代制だ。
「これ、安全面は大丈夫なんですか?」
私はロスに渡されたハーフマントを頭から被って、隣にいる副団長さんに恐る恐る聞いてみた。
『問題ありません。対打戦の中央に位置する者は指導の意味も兼ねてますので、役職付きの者しか許可してませんから』
「……なるほど」
圧倒的実力差があるからこそ可能で、時間のない役職付きの人に、多くの人が稽古をつけてもらう為のシステムなんだろう。
そんな内情を聞いてるうちに、一組目が終わって蹲ってる者はズルズル〜っと場外に出された。
軽快に二組目が始まる。
「あれ? 団長の剣って、もしかして木剣ですか?」
『よく気づきましたね。
団長はパワーもあるので普通の剣で手合わせすると、下手したら騎士のアバラが折れてしまうんです。だから敢えて折れやすい木剣で、セーブしながら戦ってもらっています』
一対十なだけじゃなく、セーブが必要ってどんだけなのよ〜!?
──実際、ロスは強かった。
普段の大雑把なイメージを塗り替えるくらい、無駄の無い動きで一撃で相手を沈めていく。
それはまるで、躍動する野生動物の狩りを思わせるような、そんな靱やかな美しさ
相手を射抜く視線は真剣で……強くて……ミレイは幾度となく助けられた記憶を思い出した。
姿が変わるとこんなにも印象が違うのね……。
これはヤられるでしょう……。
妖精のロスを知らなければ……
うん……マズかった……。
『しゅっ、終了です!』
三交代をあっという間に終わらせると、ロスは私の方を見てニカリ!と、いつもの笑顔で笑った。
これぞ『ギャップ萌え』……ですね。
やばい。私の心臓キュンキュンしてる〜!
その後、簡単に立ち回りの指導もして、団長らしいところも見れたけど、終わりはやっぱり逢引トークだった。
私は終始苦笑いをするしかなかった。
私とロスの関係は、最終着地点は『いいところのお嬢さんの護衛兼案内』で落ち着いた……みたい。
……本当に?
そんなこんなで私の『はじめての散歩』は終わった。
つかれた〜……。
いつもありがとうございます!
今回はロス回になりました。