第93話 心情
『紅茶を淹れましょうか』
サイドテーブルに向かうダニエルを横目で見ながら窓を開けると、乾いた風が体をなでるように吹き抜けた。
改まって話……?
思いあたることなど……。
爽やかな風を受けながら、水龍は壁一面の書棚にぼんやりと目を向けた。
背表紙に書かれている表題はこの国の歴史書や気候風土を記した物。治水対策の資料や近年の収支報告書……人間の国の物まで多岐にわたる。
『陛下は昔から勤勉ですよね』
テーブルの上に紅茶を置きながらダニエルの視線も多種多様な書棚に向けられている。
『王となる身には全て必要な知識だ。むしろまだ足りないくらいだ』
ソファーに座り、コクリと淹れたての紅茶を味わう。
ダニエルの紅茶はその辺の侍女が淹れたものより数段うまい。毒味の必要もないから、この部屋で紅茶を味わうときは決まってダニエルが淹れている。それくらい水龍にとってダニエルは気を許してる相手なのだ。
『改まって話など……どうした?』
『……気付いていないんですか?』
『先日から言ってるが、お前は何が言いたいんだ?』
『では、はっきり言いますが、水龍さまは水姫を前にすると顔が緩んでいます』
『……は?』
美麗な柳眉が僅かに歪む。
『目元が優しいし、声に出して笑ってることもありましたよね。 普段は食べない菓子を執務室に届けさせたり、今までにないような心配りをしています』
『……女性は菓子が好きだろう?
ここで仕事を手伝ってもらうのだから、休憩時を気遣うことくらい普通だ』
『……普通? そうですね。臣下の私が気に留めるのは普通です。
でも今までの陛下はどうでしたか?
令嬢は顔と名前が一致していれば問題ない、と言ってしまう程度の関心で、常に距離を取っていました。
そんな陛下が菓子にまで心を配って迎えた相手。私から見たら十分、普通ではないんですけど?
──あとは、先日の晩餐会。
品数を減らすように指示したり、食材も食べやすい物に言及したとか……。そんなことは初めてですよね!』
にこりと笑うダニエルは楽しそうだ。
『……どこからそんな情報を……』
『もちろん近侍頭のレミス殿です。
終始とても和やかな会食だったと聞いていますよ』
『はぁぁ〜……』
頭を軽く抑えて項垂れる水龍。
王たる自分にプライベートなど無いのはわかっているが、筒抜けすぎるのではないか?
しかも……以前の自分と比べるとか……
『本当にお前は性格悪いな』
『ありがとうございます。
ちなみに侍女長の水姫の評価は、嘘が苦手で空気を読むことができる女性であり、それなりの教育やマナーを受けてる家庭で育っただろう、と報告を受けてます。あとは陛下の容姿や地位にも必要以上に執着していないご様子……と聞いていますよ』
『……そうか』
──たしかにあの娘の行動は予測不能で、見ていると面白い。
それは認めよう……
だが彼女は……
時計の針の音が室内に響く。
時間としては僅かな沈黙なのに、なぜか空気が重くのしかかってきて、ダニエルは視線をずらした。
壁面に映る陽の傾きがそれなりの時間の経過を物語っている。
躊躇ってる場合じゃない
『……嫁うんぬんはひとまずおいといて、俺は水龍さま自身のこれからを考えて欲しいんです。
──王の仕事は多忙であり孤独です。
代わりはいないし、プライベートなんてあって無いようなものだし……。
だからこそ気を許せるような存在が必要でそんな存在を作って欲しいって思うんです』
ダニエルの口調が砕けてくる。
これはダニエルが秘書官というポジションから素の自分を出してきた時の態度だ。
『それが彼女だと? でも彼女は……水姫じゃないか……』
『……だから!? 彼女が前の水姫とは全く違う存在だって、とっくに分かってますよね!!
比べられることも括りで判断されることも、どちらも辛いことだって誰より分かってるはずなのに、どうしてその思考から抜け出せないですか!』
『……』
先王とは何かにつけて比較され、民や臣からは『龍王』と言う括りで覆われ、常に一歩引かれている。でも私には先代のように自ら入って行くこともできない……。
『周りとの交流が苦手なのは、王様だし別にいいですよ。それを察して動くのはこっちの仕事だし……。
でもそんな水龍さまが無意識に自分から動いているのが彼女なんだ! その日常が普通ではないし、オレから見たら他のどの令嬢よりも彼女は「特別」だと思います!』
『特別……か』
ダニエルは冷めた紅茶をグッと飲み干して席を立つとサイドテーブルに向かう。
背中越しの会話は尚も追求を止めない。
『昼寝だってかなり驚きました。
まさか貴方がパーソナルゾーンに他人を入れるなんて思いもしなかったから』
『あれは……あいつが勝手に……。
それに子供の姿で抵抗できなかったからな』
子供のようにそっぽを向く主君に心の中で溜め息をついた。
はぁ……? 抵抗出来なかった?
最強の龍王が?
──あの時は力はほぼ戻っていた
でも戻る気配は無くて
何かキッカケが必要なんだろうと思っていた
でも、そのキッカケが何かわからなかった
みんな途方に暮れていて
もしこのままだったら……と
正直、ゾッとした
そんな自身のキッカケとなるくらいの存在。
それを「特別」と言わなくてなんて言うんだ……。
無意識にティーポットを握りしめる。
肺に溜まった淀んだ空気を押し出すように息を吐き、チラリと後ろを見ると、自身の主は足を組んで物思いに耽っていた。
『……そう言えば水姫は今頃どの辺りを見学してるんでしょうね〜。騎士団長の隣にいる女性なんて注目の的だろうなぁ〜。ただでさえ団長はモテるから。
騎士団演習も今日は上位者ばかりだったはずだから見応えあるでしょうね』
『……なんなんだ突然……?』
『いえいえ。うっかり水姫が誰かに惚れちゃったり、求愛されたり……とか考えまして』
『惚れ……。求愛!?
何を突拍子も無いことを……』
僅かに身を起こし、組んでいた長い脚を地面におく。
『ありえますよ。行動の制限はしてましたが、恋愛に関しては何も伝えてませんからね』
新しい紅茶がテーブルに置かれ、前のカップが下げられる。
『……』
『それなりに警戒心はあるようなので、一目惚れはなさそうですが、ヤン団長相手だとその警戒心も皆無ですよね』
『……まあ、な』
『あの人は普段はあんな感じですが、ひと度剣を握れば同じ男でも惚れ惚れするような勇姿ですからね〜。女性からのアプローチが途絶えないのもわかります』
『……だからと言ってミレイは色事に興味があるようには見えないな』
もう一度背もたれに体を預け、脚を組み直して腕組みする仕草は絵画のように美しいが、その顔はやっぱりオモシロくないって顔をしている。
………ミレイ。 ミレイねぇ〜
初めて聞いたな。女性の名前を呼ぶところなんて……
ダニエルは手の平で口元を覆い隠して、喜びを噛み殺す。
畳み掛けるなら、きっと今
──攻め時は 一瞬だ
『そうでしょうか? 水姫は人間の年だと成人女性らしいですよ。
実際、可愛いというか綺麗と言うか、つかみどころがない感じがいいですよね〜。容姿だって絹糸のような黒髪に透き通った瞳。スラリとした健康そうな体型は龍族好みですし……。多分モテますよ。
年頃の娘なら恋愛に興味があるのは普通ですよね? 』
『……それは……』
『騎士団に反応するなら、好みのタイプは強い男なんですかねぇ?』
『…………そう……なのか?』
二人の視線がぶつかり合う。
よぉし!!!!
『おそらく。
さっきだって言ってたでしょ。ロス大好き! ……って。それも満面の笑みで』
『……そう……だったな』
『水姫の笑顔可愛いですよね〜。あの笑顔を自分に向けてもらえたら……とか思いませんか? 』
『それは……まぁ……。……裏表のない笑顔だと思う』
水龍の顔がふわりと綻ぶ。
そこには王としての厳格さも冷たさも感じられない。素の笑顔だった。
そんな顔できるんじゃないか……。
ダニエルの顔も意図せず緩み、胸に込み上げてくるものを感じた。
『なんだ……?』
『今、心に残ってる感情が偽りない水龍さまの感情だとおもいますよ。
──それにいつまでも言い訳だけをゴテゴテに装飾した男はハッキリ言ってカッコ悪い!』
『カッコ悪いか。……初めて言われたな』
フッと水龍が笑い、ダニエルも声に出して笑った。
『とりあえずまた食事に誘ってみるのはどうですか? 見学はどうだった? ……とか話題には事欠かないでしょ』
『……そう、だな。……うん。誘ってみるか』
やっと一歩前進か……?
窓の外では燃えるような夕陽が雲を照らしていた。
いつもなら明日のスケジュールを組む頃だけど、今日はまだまだ終わりそうにない。
残業確定だけど、こんな有意義な残業なら大歓迎だな。
ダニエルは立ち上がると、そっと未決済書類の束を水龍の前に置いた。水龍は目を一回り大きくさせると、湧き上がった疑問を秘書官に投げかけた。
『食事に誘うのではなかったのか……?』
『今日は無理です。決まってるでしょう。さてお仕事です……陛下』
有能な側近とは笑顔で全てを黙らせる。
それは主君でも例外ではない……
◇ ◇ ◇
水龍とダニエルが秘密の話をしている頃、部屋に戻ったミレイは侍女の手を借りて着替えをすませた。
紺色の長めのワンピースに白のエプロンに白い手袋。
これぞ、The 侍女服!
こんな格好の女の人、異世界ものの定番だよね〜。
悪役令嬢の侍女とかね!
コスプレのメイド服とは違って、品があってテンションが上がる。鏡の前でクルッとしてみると、目の前の侍女さんの制服と若干違うことに気付く。
「なんだか服が違うような……」
『はい。水姫様がお召になっている侍女服は、騎士団兵舎務めの制服となっております』
「騎士団兵舎?」
『はい。部署ごとに制服のデザインが違います』
「なんで?」
『他部所の者が安易に出入りしないようにするためだな』
クウがヒョコッと顔を出して教えてくれた。
「防犯対策ってこと?」
『あぁ。他部所の者がうろついていたら、それだけで目立つし、場合によっては職質可能としてある』
「でも私みたいに制服さえあれば出入りできるんじゃないの?」
私の問いに速やかに侍女さんが答えてくれた。
『制服の支給は部所長と侍女長の印が揃わないと支給されません』
「それは大変そうだね。
あれ? こんなに早く支給されたのは……」
ちらりとクウを見る。
『陛下の許可を得たし、指示を受けたのが私だからかな』
「だよね〜」
コンコン
『おおい〜。もういいか?』
隣の部屋からロスが顔を出す。
「ごめんね。お待たせ!」
『おぉ! かわいいぞ。姫!』
おじいちゃんが孫をほめるような口調だけと、まぁいいや。
『ヤン団長、くれぐれも目立たないようにお願いしますよ』
『大丈夫だ。任せておけ!』
ロスの満面の笑顔にクウはスン……と表情を無くす。そして不安気な重い息をついた。
『いくぞ。姫!』
「うん! ク……じゃなかった。レミスさん。侍女さん、行ってきます」
バタン!
突拍子もない行動を取る二人のタッグに不安要素しかないが、水龍さまが許可したこと。
『何もないことを願おう……』
クウは扉を見つめて、もう一度深い溜め息をついた。