第78話 結界①
ふわりと一陣の風が吹く。
霧がかっていた湖に朝日が差し込む。
ここに着いた時はまだ薄暗かったし、微かに陽が差し込むくらいだったよね。ウンディーネの言う通り結構経ってるかも。
街中ならきっと店が並び女達が買い出しに出てくる頃だろう。
クウン。
服の中から苦しそうな鳴き声が聞こえてきた。
「あ、ごめんね苦しかったよね。出る直前まで前を開けておこうか」
頭を撫でると目を瞑って身を委ねるような素振りをしてくる。
「そうだ。とりあえず名前を決めよう。
ここやっぱり王道のシロかなぁ〜」
『……シロ?』
「安直すぎる? でも呼びやすい方がいいと思うんだよね。……ダメかなぁ?」
『かまわない。名をヨばれるなんて……久しぶりだ』
妖精達の方を見ると、まだウンディーネと話をしていたので、そっと手の平にシロを出してあげた。
「シロはずっと一人でここいたの?」
シロはコクリと頷いた。
「そっか。それは寂しかったね」
『さび……しい?』
「一人は寂しいものでしょう?」
『ワカラない 。サビしいという感情もワスれた。
ただあの子のことは気がかりだが……』
「あの子……? シロの子供かな?」
『…………あぁ。でも……ワタクシに親をナノる資格はない。ワタクシはあの子が恐ろしかった。いずれコロされると、ソレばかり考えていた』
「……乱暴なお子さん……だったの?」
シロはゆっくり首を振った。
そして『いつも無表情でなにを考えてイルのか……ワカラらなかった』と続けた。
シロの脳裏に、無言でジッと見つめてくる我が子の姿が思い浮かぶ。
もう遥か昔……顔も覚えていない。
気づくとワタクシを見ている。
責められているようで、怖くて……オソロシくて……。その強大な力でいつか殺されるとワタクシは毎夜うなされていた。
そしてあの日……。
ふわり。
優しく触れてくるニンゲンの手。
優しい瞳。
こんな風に撫でられるのは幼子の時以来だった。
ワタクシを撫でる者などいなかった。
……キモチがいい
……『安心』とはこういうものだろうか?
……これがぬくもり
……私はあの子にこんな風に触れたことがあっただろうか。 親としてあの子に……
『ひめーー。こちらに来るの』
「わかったすぐ行くねーー! シロ狭いけど入って。
私と一緒が一番安全だから」
ワタクシは護られたいワケではないのに……。
ニコリと笑うニンゲンを一瞥すると、するりと服の中に入った。
役にたてたら……
妖精の口から古き龍族の言葉が紡がれる。
なつかしい……な
地面に陣が描かれ、一人の妖精の体が発光する。すると妖精から成人男性の姿へと変化した。
──そうか、あの糸目。アレは宰相の息子だったのか。……あの生意気なコドモが成人するほどの歳月が
経っているのだな。
妖精達が湖に飛び込み、ニンゲンの女と精霊も入水する。目指すは遥か湖の奥深く。
◇ ◇ ◇
ひたすら下に……下に……
僅かに差し込んでいた光も、もう届かないところまできた。
──甘かった。
舐めてたつもりは全くないけど、これはウンディーネがいなかったら私は確実に死んでるよーー!
深さもだけど、スピードが尋常じゃない!
通常、水中に潜るには減圧症を考えて計画的に潜るもの。
──ちなみに減圧症とは、身体の中に存在する気体が環境圧の低下により体内で気化して気泡を発生し、血管を閉塞させてしまうこと……らしい。
たしか潜水の深度と時間、何メートル潜ったら何分休むとか……いろいろあったはず……。
そんなの全部すっ飛ばして自転車並みのスピードで潜ってる。
いや。これはもはや滑空では……?
水中だけど滑空でわゎーー!?
目を瞑ってウンディーネにしがみつく。
私の唯一の命綱!
ぜっったい 放さない!!
ブワン!
急遽、体がブワっと持ち上がったと思ったら急停止した。
止まる時まで自転車みたい。
安全運転なんて言える状況ではないけどね……。
ゆっくり目を開いてみたが、周りは真っ暗で何も見えない。
いや、真下に膜……が見える?
あまりの大きさに湖の一部だと思っていた『水の膜』こそ龍王国と人間界を隔てる結界だった。
ゴクリ
自然と喉が鳴る。
「……みんなは?」
『あそこにいるわよ』
示された先に、一人の成人男性とその両肩に2人の妖精がいた。サンボウは一度振り返るとミレイに向かってニコリと微笑んだ。
暗闇の中、ぼんやりと明るい光を纏ったその笑みはとても綺麗で、ミレイはなぜかゾワリと総毛だった。
なに……? なんで……
なんだか嫌な予感がする……。
何か言おうと思っていても言葉が続かない。
ロスとクウはサンボウの後ろで手の平を合わせていた。恐らく自分の妖力を体内で練っているのだろう。
サンボウは眼下を見つめて、緊張の面持ちで龍王国に張り巡らされている結界を見つめた。
何百年と経っているのに、綻びも劣化も無いとは……。
我が王は本当に素晴らしい御方だ。
でも今はこれをなんとかしなければ……。
わしが何とかしなければ……。
不意にサンボウの肩に重みが加わった。
『なんて顔をしてるのじゃ。失敗も成功も共に分かち合うぞ! よいな!! ……ここにいるのはお前だけではないのじゃ』
『そうなの。ここまで一緒にやってきて最期の最後に忘れられたら悲しいの』
『忘れたわけではないのじゃ。
……ただ我が王はやはり偉大な御方だと思ってな』
妖精達は再度眼下の結界を眺める。
『じゃな、破れる気がせんのじゃ』
ハハ〜っとロスが笑った。
『ロス。たとえそれが事実でも、目も当てられないほどガチガチに緊張しまくってる今のサンボウに伝える必要なんてないの』
『緊張がほぐれるじゃろう?』
『どこがなの! これだから脳筋は……』
クウは呆れて首をふっているが、なんなら先のクウの一言の方がひどい気がするが……。
『ガチガチだろうがやってみよう。
……お前達の力を貰えるのだろう?』
サンボウが糸目を更に細めて笑った。
『あぁ! 全部やるぞ!』
『全部はダメなの! 脳筋はまだ仕事があるんだから調節に気をつけるの!』
『脳筋は無いだろう!? せめて名を読んでくれ!
大好きな姫からもらった大事な名じゃ』
『悪かったの。裏での呼び方が表に出ちゃっただけなの』
『……それはそれでどうなのじゃ』
はぁ、と溜め息をついたロスを見て、サンボウはクスリと笑うと肺に溜まった空気を押し出した。
不安も共に押し出すように……
そんな妖精達をミレイ達は少し離れたところから見ていた。
「ウンディーネもう少し近寄れない?」
『危険だから駄目よ』
「ここまできたら同じだよ。一蓮托生でしょ?」
ウンディーネは苦笑いをすると、少し距離をとりつつ真横にまで移動してくれた。
サンボウが印を結んで何事か呪文を唱えている。
私にはわからない言葉
それが口惜しい いつだって共にありたいのに……
『あのモノの言葉を知りたいノカ?』
突如頭に鳴り響く。
これは……シロ?
『知りたい』と心で念じる
『……では、ヒタイを寄せよ』
『ヒタイ?……額?』
言われた通りに胸元のシロに頭を近づけるとシロの口が額に当たり、キスをしたような形になった。
「??」
『……多分これでヘイキなはずだか……』
不安気な言葉とは裏腹にサンボウと思わしき声が聞こえてきた。
いつもの声より低いけど、これはサンボウの声だ。
胸に迫るものがある。
『 ── 水分神よ
天空を舞い踊りし龍の煌めきよ
大いなる力を
幻灯の如く この身に宿し給え 』
結界の一部に幾重にも構築された陣が出現し、浮かび上がる。
握り拳に力が籠もる
おねがい……
『 古の龍による 護国の力を解き放ち
今こそ絶対の境界を超えん
我が名は──── 』
ブワァンーー!
眩い光と見知らぬ文字が浮かび上がり、陣の中央に向かって渦を巻くように力が集まる。
それは自分で自分を攻撃しているような光景だった。
『 我に力を! 龍 楼 斛 』
サンボウが結んだ印の中心から凝縮された光の矢が渦の中心、陣の中心へと放出される。
ただ一心に 結界に向かって──
暗闇だったはずの湖底は光に呑まれ、その逆巻く風の勢いにウンディーネも必死に堪えて水牢を維持する。
『ウンディーネ!』
『……だ、だいじょうぶよ』
『…………みごとな陣だ。でも……』
シロの思念が伝わってくる。
凄いエネルギーがただ一点を貫こうとしている。
……ただ。
……結界が綻びる様子は伺えない
『舐めていたわけではないが
亀裂の一つも…………入らないとは……な!』
サンボウの顔が歪む。
『サンボウまだなの! まだヤレル!!』
『あきらめるなーー!!』
背後の二人の体がより一層力強く発光する。
『駄目だ! よせ二人とも!! 』
『わずかでいいのじゃ! わずかでーーー!!』
『穴よ あいてーー!!』
『やめろ! 力を抑えろ! 死ぬぞーー!!』
三人の尋常ではない様子が伝わってきて、ミレイも水牢ギリギリまで寄って無意識に叫ぶ。
「サンボウ、ロス、クウーー!!」
どうしたらいいの
どうしたら……




