第75話 アルヒの森①
ここがアルヒの森かぁ……。
この奥に龍王国に繋がる中央湖があるのよね。
村を出てからニウさんに教えてもらった。
この森はアルヒの森と言って森全体が国の直轄地にあたり、『始まりの地』とも言うらしい。
それと言うのも初代国王がこの国に流れ着き、国を無事に興すことができた感謝の意を込めて、森の奥に神殿を建立して神々を祀っていることが起源とされている……らしい。
国から派遣された特別な神官が礼拝してたけど、その神官も何代にも渡り、姿を見せていない。だから人々は神殿は廃墟となった……という認識みたい。
水龍さまが眠ったことと関係あるんだろうな〜。
でも人間は中に入れないからその思うのも仕方ないよね。
『廃神殿のある森』って思ってたから、もっとおどろおどろしい森を想像してたけど、目の前の森は寂れてるわけでも、廃れてるわけでもない。
成人男性の腰回りくらいありそうな太い木々が力強く生い茂り、鬱蒼としてるため、異様な威圧感を生み出している。
うーーん。南の龍湖の森が『優しいお母さん』系なら、この森は『オラオラ系の強面おじさん』……かな。圧がスゴい!
なんて馬鹿なことを考えるくらいにはミレイ落ち着いていた。
「なんだかオレ達の住んでる森と同じ様な気配だな」
『間違ってはいないわね』
馬車の中から妙齢の女性の声が聞こえてきた。アウローラだ。
昨夜はアウローラが抱いて寝てくれたので、久しぶりに体も痛みもなく、ぐっすり寝られた。
私を慮ってくれたんだろうけど、精霊が作ったウォーターベットは極上品だったなぁ〜。
幌を覗きこむと大量の水甕と一緒に、アウローラと他の精霊がいた。その隣には妖精達が感慨深い様子で森を眺めている。
『……本当にここまで来れたのじゃな』
『奇跡のようじゃ』
「奇跡……ってひどい言われようだな。オレのこと信じてなかったのか?」
不貞腐れた顔をしてるニウさんの顔にも疲れがみえる。それも仕方がない。
馬にも慣れてない、野営も初めてのミレイの体調をみつつ、絶えず周りも警戒して過ごしてきたのだ。
『そういう意味ではない』
『揚げ足とりをしないの。ニウのことは一応、認めてるし……信じてもいるの』
クウは腰に手を当てて、そっぽを向きながら言った。
「……なまえ!? 今、オレの名前呼んでくれたよな!?」
「えっ……? 何言ってるの。名前なんて前から呼んでたでしょ?」
「いや、初めてだよ!?
……もしかしてオレのいないところでは名前呼びだったの?」
驚きを隠せないニウにクウは『そんな訳ないの! 自惚れないの!』と間髪入れずに否定した。でもニウのニヤニヤ顔を見ると失敗したらしい。
『お前のことは好かぬが………まぁ。良き人間であることはわかる……のじゃ』
「ロス。お前もか〜」
その言葉にニウは思わず手を伸ばしたが、小さな足で手のひらを蹴られ、ニウさんはしょんぼりしながら手の平をさすっていた。
『調子にのるな!……なのじゃ』
「……はぁ。お前達もまた来いよ。
リリスの家で待ってるからな。…………ミレイも」
不意うちのニウの優しい瞳にドキっとした。
昨夜の会話が思い出される。
『そろそろいいかしら〜? ここに長く停まってるのも不自然よ』
そんなジャレた空気もアウローラのひと言で現実に戻された。
──いよいよだ。
『そうじゃな。ニウ、わしからも礼を言う。いろいろありがとう。
そなたやリリスみたいな人間がいたから我らは人間を嫌いにならず済んだのじゃ。
みんなの助けがあったから前を向くことができ、こうして今も笑い合うことができている。
──目覚めた王国の者達は、あの時から時間が止まっているかもしれん。だからこそ我らの存在が、我らの言葉が意味を持つ。
これからもそのままでいてくれ。……ありがとう』
「そんな……そんな、永遠の別れみたいに言うなよ。また来いよ! オレはお前達のこと……その、友達だと思ってるから」
尻すぼみに小さくなった声は三人の妖精にもしっかり聞こえた。
サンボウはニコリと笑い、クウとロスは照れくさそうにわざと無表情を作った。
『まぁ……友達くらいなら、なってやってもいいの』
それだけ言うとクウはそのまま森に向き直り、知らない言葉を唱えだした。するとその小さな体から光が放たれ、その光と共にクウの体は徐々に大きくなっていく。
「「えっ!? 」」
ニウとミレイが目を見開き、驚いていると突然ニウの後ろから凄い勢いで水が現れた。
薄い水の膜が左右に拡がり、まるで水カーテンのような圧巻な光景だった。するとその水もピタリと止み、しばらくすると今度は僅かな熱を伴い、霧のようなものに変化していく。
「なっ……なにが起きてるんだ」
『簡単な蜃気楼を作ってるのよ。こうすれば向こうからは霧と森しか見えない』
アウローラは事もなげに言ったが、この地の気候で蜃気楼はまず有り得ない。
「これが精霊の力……すごい……」
ニウは自分の後ろで繰り広げられる、まるでショーのような光景に目も心も奪われていた。
『姫、円陣の中に入りクウの懐近くにいてくれ』
サンボウの声でニウは我に返り、森に視線を移した。するとこちらでも非現実的な光景が拡がっている。
地面には見たこともない模様と文字が浮かび上がり、中心には人型のクウとミレイ、肩に二人の妖精が乗っていた。
『姫、これから転移するから動かないでね』
ミレイは頷くとクウの服にぎゅっとしがみついた。
「ニウさん、ワズ、アウローラに精霊達、みんなありがとーー! 行ってきます。大好きだよーー」
クウの肩越しに笑顔で伝える。
もしかしたら本当に戻れないかもしれない、死んじゃうかもしれない……そう思うと、最後は笑顔でお礼を言いたかった。
「ミレイ!!」
体がふわりと軽くなったと思ったら、凄まじい熱を感じた。
しがみつく手に力を込める。
・・
・・・・
・・
視界が歪む直前、ニウさんの心配そうな顔が見えた。
『姫、目を開けて大丈夫なの』
そっと目を開けると、そこには自分より背の高い成人男性がいた。
「……クウ?」
『うん。転移術を使うには元の姿じゃないと無理だから……』
「そうなんだ……びっくりしたよ〜。
ふふっ……クウもカッコいいね」
それは初めてウンディーネと出会い、昔の龍王国の記憶を見せられた時のこと……。クウ一人だけ会わなかったことに不貞腐れていたことを思い出した。
つい最近のことなのに、随分前のことのように感じる。
クウは少し頬を染めてニコっと笑った。しかし次の瞬間、ポンっと元の妖精の姿に戻ってしまった。慌てて手を差し伸べてキャッチすると、当の本人はスヤスヤと……寝ていた。
「……えっ……クウ?」
『無理やり成体に戻るから、かなりの妖力を消費するのじゃ。このまま少し休ませてやってくれ』
サンボウの言葉に安堵して周りを見渡すと、森の中は微かな霧で潤み、一帯の空気がまるでリセットされてるかのような清々しさが漂っていた。
外から見るのと全然違う……。
むせかえるような土と木の香りに、湖面は霧と陽の光で乱反射してキラキラと輝いている。
自然が呼吸をして、森が、湖が生きているように思えた。
肺いっぱいに空気を吸い込み、ゆっくりと息を吐く……。それだけで自分も自然の一部になれたような錯覚をする。
カサッ……。
不意に背後から葉が擦り合わさる音が聞こえて、ロスがすぐに臨戦態勢に入る。
姿を見せたのは……
白い毛並みに蒼色の瞳の動物だった。
「……瑞獣? でも森の長とは違う……よね?」
そう。瞳の色が違うし何より眼の前の瑞獣は明らかに弱っていた。その獣は弱りながらも、目はギラつき突然の侵入者を警戒していた。
獲物を見ると言うより見定めるような視線に近いかも。人間……みたい。
『姫、警戒してくれ。この地は普通の動物は入れないのだ』
サンボウの声にハッとする。
「そうだったね……でも、この子弱ってるよ」
『それでも、だ』
『我等は今は妖精だが、元は龍王国の者だ! そなたは何故ここにいる』
水刀出現させたロスの後ろからサンボウが問いかける。
白い獣はサンボウの口上を聞いて目を見開くと、フフッ……と笑った。
それがまた、妖精達を刺激する。
『何故だと、聞いておるのじゃ!』
ロスの苛立つ声にも、水刀にも怯まない。
白い獣はほくそ笑み、前脚の傷をペロリと舐めるとロスとサンボウをスルーして、私を見た。
『オマえ、は……』