第68話 和解
『別に隠れていたわけではないですよ。ミレイの剣幕に出るに出られなかったのです』
そう言って森の長が木陰から出ると、白い毛並みが月明かりの下で煌めいた。
「……動物が……喋ってる?」
ニウの反応にミレイは「これが正しい反応だよね〜私、麻痺してきたかも」と思った。
「こちらはこの森の長なの。瑞獣っていう珍しい種族みたいで、人間の言葉も理解してるのよ」
「……すごいな」
ニウさんとリリスさんが感嘆の吐息を漏らすと森の長も悪い気はしないらしく、誇らかな顔をしていた。
『それよりもミレイ。さっきのは私に対する嫌味かしら〜?』
「嫌味? 何のこと?」
ウンディーネが腕組みをしながらグイっと顔を近づけてきた。私がキョトンとしていると、ニウさんが僅かに袖を引っ張り、耳打ちをした。
「ほら、あれだよ。昨日、ウンディーネさんが『人間は利己的で強欲』って言ってただろ? だからそれを捩ったのか……って言ってるんだよ」
「あーー、そう言えば……。だから聞いたことあったんだ。
でも、ちょっと待って。そしたら私、ウンディーネのセリフを丸々パクった挙げ句、本人の前で意気揚々と語ってたの!?」
「…………ん? まぁそうなるのか?」
「いやーー!」
ミレイが顔を抑えてのたうち回っていると、その様子を見ていたウンディーネは『パクったって何よ。……本当に調子狂うわ』と、独りごちた。
『よくわからないが、姫は変わらんの』
『あぁ……我らが知ってる姫じゃ』
『そんな短期間で性格なんて変わらないですよ。とくに人間の時間なんて、我々の瞬きほどです』
『森の長か。今日この場に来るとは聞いていないが……』
『私も来るつもりありませんでしたが、ミレイに来てくれと頼まれて、足を運びました。
それよりも良いのですか? 月が湖面に写し出されてきましたが……』
少し会話をしている間に木の隙間から見えていた月は天空へと昇り始めていた。術の行使には満月の力を使う必要があり、湖面に月が映っている間に始めて真上にきた時がベストのタイミングなのだ。
『そうじゃ! 我々にこんなにのんびりしてる時間はないのじゃ。急いで陣を組まねば!』
慌ただしく妖精達が湖畔へと移動した。
それを見たミレイが妖精と湖の間に立ち、行く手を阻む。
『姫。恨みつらみもあるだろうが、頼むから今は我らに従ってくれ。本当に今しかな──』
サンボウの話の途中でミレイは妖精達を両手で鷲掴みにすると、そのまま反転して湖に飛び込んだ。
「ミレイ!」
『ミレイ!』
口々に名を呼ばれたが湖面に消えたミレイには届かなかった。
それから間もなく、湖面からプハーーっとミレイが顔を出した。手には妖精達がギュッと掴まれたままで、彼等は瀕死の形相で怒りの言葉を口にした。
『なっ何をするのじゃ! このバカ娘!』
『はぁはぁ……死ぬかと思ったの!』
『いや、死ぬじゃろう……あれは』
「ふふっ。みんな元気だね~。良かった! 」
『良くない! 何を考えておるのじゃ!』
サンボウは時間がない焦りと、ミレイの妨害に怒りが湧き上がってきた。
姫のためなのに……何故わかってくれないのじゃ!
「死にそうになって怒るってことは、生きたいってことじゃないの? みんなは何をそんなに死にたがってるの?」
『……別に死にたいわけではない。ただ、情けないことにもう力がないのじゃ。
──全盛期はどう力を抑えるか考えていたのに、今は雀の涙ほどの力しか残っとらん。それならその僅かな力の使い時くらい、自分で選んでも良いではないか。自分達はそれくらいの仕事はしてきたつもりじゃ』
ロスが拳を握りしめ、俯いて言葉を紡いだ。
『……引き際はわかってるつもりなの』
妖精達の意思の硬さはその表情からも読み取れた。
「引き際ねぇ……。人の為に自分の生命を使うのは、何か美学があるのかもしれないけど、さっきみたいに何の力も持たない私と呆気なく死ぬことだってあるんだよ。死ぬ場所やタイミングなんて意外と思い通りにならないと思うよ。
──ねぇ。諦めないで一緒に未来を考えようよ」
『みらい……』
「精霊と妖精、森の動物そして人間も……。
この森と龍湖が無くなるのは避けたい事実なんだから、みんなで協力しようよ。まずは情報共有から!」
『情報共有?』
ミレイの言葉に周りの者達はどよめき、妖精達も動揺した。
『まっ、待ってくれ……さっきも言ったが、今はそんなのんびりと共有してる暇はないのじゃ!』
「こっちも言ったけど、もう一度言うわ。
今日の術の行使は中止して下さい。私は今は帰るつもりはないから」
力強く断言すると、サンボウの糸目がわずかに見開らき、本当に驚いているように思われた。
『では、姫は帰らずにずっとこの世界にいてくれるの?』
「クウ、私は今はって言ったでしょ。あと、みんなを犠牲にする方法は却下だから」
『意味がわからないのじゃ……。姫の言ってることは絵空事じゃ!』
ロスが語気を強めて反論する
「そうかもしれない。でも私にも考えがあるの。疑問も……。それを1つずつ紐解いていけば方法も見えてくると思うんだ。だからみんなの知ってる事を私に教えて」
ミレイは真剣な眼差しで全員を見回した。
しかし妖精達は納得していないようだった。
「ねぇ、みんな。みんなは今日、私の為に死ぬつもりだったんでしょ? それならその生命と時間を私にちょうだいよ」
突然の物言いにその場にいる全員が言葉を失った。
ミレイの頬を水が滴り落ちる。目線の高さは対等でもミレイの真意がわからなかった。
「私はみんなにもっと足掻いてほしいのよ。私の事を好きだと思ってくれるように、私もみんなのこと好きよ。そして私もみんなを支えたいの。護りたいのよ。
だから一度死んだと思って、その生命を私に下さい。
一緒に生きる道を探そうよ」
びしょ濡れのまま微笑む様子はお世辞にも見目麗しいものではない。
それでも『諦めるな』『足掻け』と、手を差し伸べてくれる様子に妖精達は身体中の細胞が一斉にわき立つような昂ぶりを覚えた。
サンボウ、ロス、クウの三人は互いに目配せをすると、地面に降り、片膝をついた。
『この生命は水姫様に捧げます』
『我等の生命、如何様にもお使い下さい』
それを受けてミレイも両膝をついた。
「あなた達の生命を預かります。一緒に生きる未来をみんなで探しましょう!」
そう微笑むミレイにウンディーネとアウローラも膝を付き、森の長は頭を垂れた。
その突然の行為に驚いたのは他でもない、ミレイだった。
「えっ……なに? みんな何してるの?」
『? 忠誠の儀ではないのですか?』
森の長は至極当然のように質問した。
「そんなつもりないよ。彼らとは和解のつもりなんだから」
『和解……?』
「そう。喧嘩してたからその和解だよ……仲直りとも言うかな」
『あれを喧嘩で済ませてくれるの?』
「もちろんだよ〜。クウ? ……泣かないで」
『クウ達のこと……嫌いじゃないの?』
『我等は自分たちの益の為に、姫に隠し事をしていて………利用しようとしてたのに……』
「もういいよ。終わったことだし。
──それにしても溺れなくて本当に良かったね。
水龍さまの眷属なのに溺れ死ぬなんて洒落にならないよね〜」
ハハッと笑うとその笑いが伝染したのか、湖畔では忍び笑いが響びき、サンボウとクウは『それは……』と口籠った。唯一ロスが反撃を試みる。
『コラ! 笑うな。我らは──』
「はいはい。『龍王の眷属』なんて、格好いい名前持ちの妖精でしょ?
でも私にとってはお喋りと無茶振り好きのおじいちゃん妖精だからね!?
そうだ。リリスさん、この子達拭いてもらえますか? このままだと風邪でポックリいっちゃうかも」
『不吉なことを言うなーー!』
『ポックリって……ひどいの』
ロスとクウの呟きが重なる。
「いいけど……あんたはまったく無茶するね〜」
「だって、おじいちゃんなだけに頭堅いし、血が昇ってるし、これは一度冷やした方がいいかな〜って思ったんです。想像よりも上手く冷えたみたいで良かった〜」
そう言ってブイサインをした私をニウさんがタオルで頭を叩いてきた。
「いったーー」
「だからといって夜の湖に飛び込むやつがあるか。
次やったら本気で怒るぞ」
「…………うっ。ごめんなさい」
これは──触らぬ神に祟りなし……ってやつだ。
『やっぱりミレイはおもしろいわね〜!』
『面白いですむのですか、これは?』
『まぁ、ミレイだから仕方ないでしょ〜』
アウローラが爆笑し、長は呆れている。
その様子を見ながらウンディーネは月を見上げた。
ちょうど湖の真上に月が昇り、湖面に新たな月が生まれた瞬間だった。月光が降り注ぎ、湖いっぱいに光りが満ちた。
そこにいる誰もがその光景に眼を奪われているなか、妖精達はわずかに視線を交わし微笑んだ。
ここ数日は月を見上げる度に葛藤が湧き上がり、苦しかった。
しかし今夜の月は穏やかで、今まで見てきたものよりも格段に美しく、光輝いていた。
『月とは美しいものじゃな』
誰かの呟きが静かな湖面に吸い込まれていった。