第62話 心を整える
「ミレイ」
村長さんの家に着いた途端、フリジアさんからハグの出迎えがあった。
「あなたしばらくうちに住むんでしょ。大歓迎よ」
「すみませんが、よろしくお願いします」
満面の笑みのフリジアさんと新聞を読んでる村長さんに挨拶をすると、村長さんは「フリジアの圧が強かったら言いなさい」と、謎のアドバイスをくれた。
「もう。どういう意味かしら? それよりも今日は子供達と遊ぶのよね。夕飯は一緒に作りましょう」
そう言って闊達に笑うフリジアさんに圧倒されつつも、その元気さが今の私にはちょうどいいと思えた。
ミレイが広場に行くと、すでに数人の子供達が遊んでいた。
「ミレイ!」
「ミレイだぁ〜!!」
可愛らしい声が広場にこだまする。
そうだ。この広場でスタンプ遊びをしたんだよね。素材集めから準備が大変だったけど、でもみんなが……。
「ミレイどうしたの?」
ハッとして視線を下げると、アリッサが心配そうにこちらを見ていた。
「なんでもないよ」
そして子供達と遊び、午後はフリジアさんの果樹園を少し手伝った。夜を迎える頃にはくたくたで、いろいろ考える余裕もなく、ベットに入った。
キィー……。
ミレイの寝ている客間のドアが少し開き、廊下の明かりがミレイの顔をぼんやり照らした。
「寝てるのか?」
「!?」
驚いてビクッと反応したフリジア耳元で、ニウの掠れた声が問いかける。
パタン。
「ニウ、あなたね〜。女の耳元で話しかけるのは意中の子だけにしておきなさい。間違っても母親にすることじゃないわ」
「なっ!? 何言ってるんだよ」
冷静にダメ出しする母親に、ニウは耳と言わず顔までも赤く染め上げた。しかしそこは成人男子、反論を試みる。
「そもそも寝てるんだから、起きないように声を潜めるのは人として当然だろう!?」
「そうね。当然の配慮だけど、これが年頃の男と女だと様相と意味合いが変わるのよ。そんなこともわからないの? ……あなた大丈夫?」
いよいよ頭を振ってダメだしされた挙げ句、大丈夫? と、心配までされては男のプライドもガタ落ちだ。それに母親の口から『年頃の男女』なんて単語を聞くのも、正直恥ずかしい。
「……じいちゃん」
口で勝てる気がしない母親との舌戦に、早々に助けを求める。すると村長は溜め息を一つつくと、新聞を畳みながら「フリジア、その辺にしておきなさい。ニウも適当に流すくらい出来なくてどうする」と、真っ当な言葉で仲裁した。
「……ごめん」
助けを求めた祖父にまで叱られてシュンと気落ちするニウに、村長は歩みよりヒソヒソと小声でフォローを入れる。
「お前の母さんは聡明で最強だからな。言い負かすにはあと30年は必要だ」
「じいちゃんは勝てるのか?」
「……勝ててると思うか?」
「……思わない」
「正直すぎだ」
そう真顔で返したニウに、村長は頭をぐりぐりして笑って見せた。
「あなた達……聞こえてるけど?」
背後からフリジアが問いかける。
ハハッと笑う男二人にフリジアは尚も畳み掛ける。
「ところでニウ。同じ屋根の下だからと言って間違いは起こさないでね。主にお風呂場と客間。わかってるわね?」
「わかってるよ!? 当たり前だろ」
母親の言わんとしている事がわかり、顔の赤みがぶり返す。
「う〜ん。風呂場でバッタリは王道じゃないか?
それくらに夢を見させてやってもいいだろう」
「お父さん何を言ってるの? 夢を見るのも妄想するのも自由だけと、行動に起こすのは別問題なのよ。それにミレイのナイスバディを直に見たら──」
「母さん!!」
母親の暴走が止まらない。
「股間 大爆発ってか? ハッハッハーー」
祖父の暴走も止まらない……。
「おとうさん……」
「じいちゃん。大工仲間で言うような下ネタを家族の前で言うなよ……」
ドン引きである。
「あーー、すまん」
「とにかく大丈夫だから変な心配するなよ!」そう言って玄関に向かうニウに、フリジアが声をかけると「ペールのところに行ってくる」と言って足早に家を出て行った。
「ふむ。からかい過ぎたかな」
「大丈夫でしょ」
「……で、ミレイは大丈夫なのか?」
「詳しくは書いてないけど、妖精達と何かあったみたいね」
昨日の夜、リリスから手紙が届いた。
この世界での手紙のやり取りは主要都市なら配達員が配る方法もあるが、田舎では専用の鳥を飛ばす方法が主流だ。クウガという鳥は覚えさせた場所にしか飛べないが、方向感覚に優れていて夜目も効くので重宝されている。
「水姫関連か……?」
「もし水姫関連だったらどうするの? 村長さん」
新しいお茶を淹れながら茶化すように、でもその眼差しは思いの他、真剣だった。
「どうもせんよ。ミレイはミレイだ。
今後村に住みたいのなら歓迎するし、そうしなくても村の一員であることに変わりはない。……何より、あの子には村の子供を守って貰った恩もある」
「そうね」
「天秤にかけるような真似はしたくないが、それでも守れる範囲で守ってやろう」
ふふっとフリジアが笑みを零す。
「なんだ?」
「んーー。やっぱり村長だなぁってね。あとは思ってたより男前だったことにびっくりしたわ」
そこが人として、村長としての着地点でしょうね。
可愛い孫の初めての想い人。何が何でも守ってやる!って、言えないところが辛いところ。
まぁ、私も同じだけどね。
「なんだそれは。それよりも畑の方はどうだ? 収穫が上がってるって言ってたが──」
その後は村の話題や近くの農村地帯の情勢の話で夜もふけた。
──この平穏な日常は当たり前ではない。
日々を懸命に生きていると、実感するのは難しいが、それでもこの『日常』を護っている者がいるのも事実だ。それは身近な者であったり、目に見えない者……いろいろだろう。
かつて龍王に愛されたこの国は、長い年月をかけて変化した。そして龍王不在の今も尚、一部の『献身』の上にその平穏な日常は成り立っている。
もし、その『献身』が終わりを見せた時、そこに生きる者はどういう反応をするのだろう。
精霊、動物、人間……。
自分達が生かされていたことに気づくだろう。
護られていたことに気づくだろう。
愛されていたことに気づくだろう。
終わりはもう……近いのかもしれない。