第56話 無鉄砲の収穫①
『水姫様』
耳元で穏やかな声が聞こえてくる。
ズズっと鼻水を啜って、首に絡めた手を外す。
「水姫様なんて堅苦しいし、私の方が歳下ですよね。ミレイでお願いします」
素直な笑みを投げかけると、長の空気も少し和らいだ気がした。
『……わかりました。……ミレイ』
もしかして……長との距離が少し近くなった?
『それで確認ですが、ミレイは治癒の力があるのですか?』
「他の人に効くかわからないけど、少なくとも妖精達には効いてます」
『じゃあ。私が試そうか?』
アウローラはそう言って私の目尻にたまっていた涙を一滴 掬うとペロリと舐めた。
『う〜ん。今のところ効果はあまり感じないけど後から効いてくるの?』
「わりと直ぐに効いてたかも…… 」
『それならやっぱり龍族にしか効かないのかもね』
『ふむ。そうなりますね』
傍観していた長もアウローラの様子を見て頷く。
「あの〜。私の治癒の力が何か関係あるんですか?」
森の長は少し考える素振りをしたあと、ついてくるように促した。
ここがサンボウ達が言ってた奥の部屋? なんだか空気が変わったような気がする……。
長に指し示された先には岩の壁がくり抜かれ、小さな箱が置かれていた。丁重に箱の中身を見せてもらうと、なかには腕輪が仕舞われている。
リングの部分には見事な細工が施されていて、その中央には透明な水晶のような宝石が嵌め込まれ、何百年前も昔の物であるにも関わらず、美しい腕輪だった。
「きれい……これが宝珠の腕輪」
何故だろう……懐かしい気持ちになる。
長に促されて腕輪を手に取ると、ミレイは自然と腕に嵌めていた。まるでそうするべきだ、と言われてるように……。
すると徐々に石から淡い光が発していき、ミレイの体を包み込むように覆いだしだ。
『あなたは本物の水姫ですね 』
「……そう……みたいです」
ミレイは淡い光を放つ石に魅入られたように目を離なせないでいた。眼の前の超常現象にもそれほど動揺せずに、アウローラと長の話は続いていたが、ミレイはその会話を遠い場所で聞いているような感覚だった。
『綺麗なものね〜。
それで何をもって水姫だと確信したの?』
『私も口伝で聞いているだけなので真偽はわかりませんが……宝珠は水姫の選別もできるらしいですよ』
『選別? まさか。ただの腕輪が?』
おかしいとばかりに笑うアウローラの声が微かに聞こえてくる。
私の意識がはっきりしてれば「本当みたいです」って言えるのにな……。
なんだろう……。頭が回らない……口が動かない?
『ただの腕輪ではないと言うことですよ。長年、眷属の方が探すだけの代物なのです』
『……それを長年だんまりを決め込んで、今も渡さないでいるのは誰よ』
咎めるような声音でアウローラが問いかける。
『……やっぱり、そこですか。
最初から不機嫌を隠そうともしていなかったので、原因があるだろうとは思っていましたが……』
長は苦笑いで会ったばかりの事を思い出していた。
『眷属の方にも言いましたが、何百年とここに有るのです。既に宝珠は森の生命線となっているので、おいそれと渡せません。
それに……水姫も言いましたよね?
森の生き物はずっと宝珠と暮らしてきたから、そういう意味でも出来るだけ渡したくなかったんてすよ。
──今、思えばなんて独りよがりな考え方だったと思いますが……』
『あっそ。まぁ〜気付けただけ良かったんじゃないの? ところで選別って本当なの?』
『ふ〜。落ち着きが無いですね。
……口伝だと偽物や相応しくない者が身につけると攻撃するらしいですよ。反対に宝珠が認めると光り輝くと伝承されています。まさかそれを目にする日がくるとは思いませんでしたが……』
尚も光輝く宝珠と、同じ様に光の中に佇んでいるミレイに吐息が溢れる。
冷たい岩肌が温かい光で温められているような気がします。
ミレイ……貴女は温かいですね……。
森の長は神々しいものを見るように、じっとその光景を見つめていた。
──二人が話をしている間もミレイの頭の中では、今まで自分が見たこともない映像が途切れとぎれに流れていた。
………大きな白いたてもの……のなか?
たくさんの人……。
あー……そうか。
これは昔……のえいぞう。
きっと何百年も前のできごと。
前にウンディーネに見せて貰っていたからか、ミレイはすんなりと昔の龍王国だと受け入れた。
でも、なんでいきなり……?
もしかして……腕輪のきおく?
視界が流れていく
奥まった小さな部屋
階段の上に台が置かれていて……その上に 箱?
二人の男の声が聞こえてきた……。
『ようやく明日は眷属の儀だな』
『あ〜長かった。早く明日が終わってくれって思うよ』
『ははっ。同意は遠慮しておくよ。陛下に聞かれたら恐ろしくて仕方がない』
『陛下もかなり水姫に入れ込んでるみたいだぜ。
仕事の合間に頻繁に会いに行ってるみたいだし、この宝珠だって職人を呼んで磨かせたらしいぞ。やっぱり美人なのかな〜』
『美人かどうかは知らないが、その話はオレも聞いたよ。
でも、オレ宰相補佐官がぼやいてるのを聞いちゃって……さ。ここだけの話だけど……水姫が男と逢引してたらしいぞ』
『なんだよ、それ浮気じゃん!』
『ばが! 声が大きい! それに滅多なこと言うな。天下の龍王陛下が人間の男におくれをとったなんてシャレにならないぞ』
『……たしかに。でもそれ本当なのか?』
『補佐官殿の愚痴では、お偉いさん達は嫁入り前だからナーバスになってるだけだの、友人との別離くらいで騷ぎ立てては龍族の沽券に関わる、とか言って相手にしなかったらしい』
『あの内務宰相殿もか』
『ああ』
『へ〜。あの完璧主義者がね〜』
『仕方がない。水姫の眷属の儀が終わったら、すぐに婚約式だからな、どこの部署も目が血走ってて笑えるくらいだ』
『まったくだ。お陰でデートにも行けねぇよ』
キィー。
入口のドアが開き、文官らしき老齢の男と二人の騎士が入ってきた。
『お前たち随分暇そうだな?』
『そんなことありません! 失礼します』
男達は一礼すると、慌てて部屋を出て行った。
『まったく。おい、あの男達拘束しておけ。噂が広がっては動きづらいからな。
このままいけば宰相の失態は免れん。
ククッ。周りの声に流されるなんぞ偉そうにしてても、所詮若造だ……』
一人の騎士が指示をだし、男達のあとを追った。
『良いのですか? 宰相を失脚させては国策に翳りが出そうですが……』
バシッ!
『そんな事あるか、馬鹿者が! あんな若造一人に国が左右される訳がない。
──何が名家だ。何が「智の一族」だ。私はあいつの親父に散々辛酸をなめたのだ』
『……陛下の婚約者はどうされますか?』
『なに、陛下にはうちの孫娘をくれてやる』
顎髭をなで回し、ニヤニヤ笑う様子を遠い視点で眺めていたミレイは「上からバケツを被してやりたくなるくらい不愉快な気持ち」とはこういう事か、と妙に納得したものだった。
男は徐ろに宝珠の腕輪を手に取って眺めると、ポイっと乱暴に台の上に戻した。
『何が水姫だ。人でも龍でもない、ただの半人前ではないか、そんなものが王妃だと……ふざけるな』
男の仄暗い呟きに体を這い回るような寒気を感じて咄嗟に目を瞑った。
えっ……どういうこと?
水姫って……多分水龍さまの婚約者だったのよね……?
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