第41話 生還のあとに
最後の記憶は暗くて冷たい湖のなか
ここは……
瞼の裏に強い光を感じて、重い瞼を無理矢理上下に開いてみる。するとランプの強い灯りが眼に飛び込んできて、眼の奥に軽い痛みをおぼえた。
「ミレイ!」
名前を呼ばれて視線を動かすと、リリスさんとニウさんがいた。ここは……ニウさんの家だ。
リリスさんは泣きながら手を握り、ニウさんは大きく息を吐きながら、ドカリと椅子に腰をかけた。
「寒くない?」
そう声をかけてくれたのはフリジアさんだ。その後ろにカイさんも見えた。
生きてる……。
ほっとした。
あの状況て生きてるなんて奇跡だと思った。
しかし、ほっとしたのも束の間。
頭がボーッとするなかで、リリスさんに泣きながらすごい剣幕で怒られた。良くも悪くも一瞬で覚醒した……。
フリジアさんに「リリス、気持ちはわかるけど薬師の仕事もしてね」と言われて、リリスさんはハッと、我に返ったほどだ。でも居候の私に、そこまで心を砕いてくれた事が嬉しかった。
ニウさんとカイさんも心配そうに声を掛けてくれて、つい『いつもの賑やかな声』を探してしまった。すると顔に出ていたのか、リリスさんは一瞬躊躇ったあと、無言で三人を運んできた。
妖精達はタオルを織り込んで作った、三つの簡易布団に横たわっていた。
顔は真っ青で、息も細く、ゼェゼェと肩で息をしていた。素人目で見ても普通じゃない事はわかった。
リリスさんを見ると、その表情は伝える言葉を探しあぐねいているようだった。
「そんな……どうして」
「……俺達が湖に着いた時は妖精達がミレイを助けてるところだった。突然、湖が光って割れたと思ったら、破れ目から丸い水の塊が出てきたんだ。そしたらなかにミレイがいて……。
あれは人間には絶対無理だし、自然現象でもない。こいつらの力だと思う……」
「妖精の治療なんてしたことないから、打つ手がなくてね……」
リリスさんの悔しそうな顔に空気が重くなる。
「そんな……」
みんなが私のために……?
……何が奇跡よ。奇跡なんかじゃなかった。
三人の笑顔や憎まれ口が走馬灯のように頭をめぐり、一筋の涙が零れ落ちた。
「あ……。なみ……だ」
そうだ、私の涙なら……。
以前、森の中で私の涙で回復すると言っていたし、実際、少しだけ回復したように見えた。
今の瀕死のレベルに効果があるかわからないけど、やらないより、まずはやってみよう!
ミレイの瞳に決意の色が浮かぶ。
パチン!!
「いったぁ……」
いきなり自分の頬を両手で叩いたミレイに周りはギョッとした。もう一度叩こうとしたところを、ニウの両手がそれを阻んだ。
「ミレイ、どうしたんだ? 自分を責めてるのか?」
「違うよ。……いや、違くないけど、私のせいだけど、でも今は反省よりも治癒が先なの」
「それはわかってる。でも、ばあちゃんでもわからないなら俺達にはどうしようもないだろう?」
「それなら、私の涙で回復できるって言ってたの」
「……はぁ? 涙?」
言ってる意味がわからない。
誰がそんなことを……?
「うん。説明はあとでするから、今は直ぐにでも涙が必要なの。
そうだ! ニウさん私の頬を叩いて! 涙が出るくらい強く」
「…………はぁ?!」
絶句したのはニウだけではなかった。しかし冗談と笑い飛ばせないほど、ミレイの顔は真剣だった。
「大丈夫! 恨み言を言ったりしないから、お願い!」
両手を合わせてお願いのポーズをしてみたが、ニウは全力で拒絶した。
「無理だよ」
「ニウさん!」
「無理なものは無理! ミレイだってさっきまで死にかけてたんだぞ。安静にしてろよ!」
「安静になんて──」
「ちょっと……。二人とも……」
見かねたカイが口を挟もうとしたが、二人の耳に届いてもいなかった。
更に二人はヒートアップしていく。
「大丈夫だって言ってるのに、何でわかってくれないの?! 今はこの子達を救うのが先なのよ!
……大切なの! ちょっとくらい痛くても、私は我慢できるから!」
「わかってないのはお前だろ!! 意味もなく女、殴れるか!」
「意味あるの!」
「ねえよ! ……あったとしても……どんな理由があったとしても、好きな女を殴れるか!!」
「「…………!」」
「……………………えっ?」
たっぷり間を空けて、ミレイが間の抜けた声を上げた。それと一緒に張り詰めた空気は、ビミョーーな空気へと変化をしていく。
「あっちゃーー。ニウ、今じゃない。今じゃないよ〜」
シーンと静まり返る室内で、カイの声が鼓膜を震わした。
カイのひと言と苦笑いを見て、ニウはようやく自分が何を口にしたのか理解した。
「!?!!」
ニウはその場の全員と顔を見合わすと、顔どころかクビまで真っ赤に染め上げて、一目散に逃げ出した。
そんなニウを見て、リリスとフリジアは気まずそうに顔を見合わせた。
──それも仕方がない。
自分が取り上げただけでなく、幼い頃から可愛がってきた子が、自分の息子が、目の前で盛大な告白劇を演じたのだ。
……しかも眼の前には、今にも死にそうな小さな妖精がいる……。
カイのひと言は至言だろう。
本当に『今じゃない』……のだ。
「あーー。やらかしたうちの息子はおいといて、ミレイ、私達にわかるように話をして?」
そう口火を切ったのは、フリジアだった。
「そうだよ。薬師としても、今のミレイに強い衝撃を与えることは認められない。あとニウじゃなくても、あんな願いは誰も受付ないよ」
ニウの言葉に動揺していたミレイも、リリスの言葉で、自分がどんな非常識なお願いをしたのか、ようやくわかった。
自分が死にかけた後でも、知り合いが重症だったとしても、説明もなくいきなり「殴ってくれ」は有り得ない。
「…………すみません」
辛うじて、そのひと言を紡ぎ出したミレイに、か細い声が聞こえてきた。
『……その通り……じゃ。自分を傷付けるなど……もっての他じゃ』
「ロス!」
瀕死の顔で目を開けたロスは、尚も言い募る。
『そんな涙で……回復したくもない。……御免だ。
我らを……見くびるな』
小人のような小さな体に満身創痍の状態で、それでも威圧するには十分だった。
その目は誇り高き騎士の目だった。
ミレイはヒュッと息を飲んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい。そんなつもりはなくて……」
一筋、また一筋と流れ落ちる。
無理矢理、他人に殴らせてまで出そうとした涙。
ミレイは自分の安直さが情けなくて、恥ずかしくて、気付くと滂沱の涙を流して、嗚咽を漏らしていた。
『ひめ……どうしたの? 悲しい……ことでもあったの?』
顔を上げると、クウが顔だけこちらに向けていた。 サンボウも『無事で良かった』と口元を綻ばせた。
「二人共、意識……戻ったんだね。良かった……」
涙は止まる気配を見せなかった。
ミレイは濡れた手の平を見て、妖精たちに懇願した。
「お願いみんな。こんな涙じゃ嫌かもしれないけど、それでも回復するなら飲んで欲しいの!
……みんなを失いたくないの。おねがい……」
縋るように願うと、ロスは……
『水姫の涙には……力がある。それはどんな涙でも。
だからこそ、相手を想って流す涙に……意味がある。
その力は稀有な力。
龍王様の……御力の一端なのじゃ。……わかるな?』
……と、変わらずの細い声で、諭すように語りかけた。
ミレイは泣き腫らした目で「はい」とひと言、真摯に頷いた。ロスは満足そうに笑った。
「ひめ……我等は動く事ができん。情けないがな……。 姫が……こちらに来てくれないか」
サンボウの弱々しい声に鼻の奥がツンとなる。
ミレイは指の腹で涙を掬うと、そっと三人の口元に差し出した。
コクリ……と、飲み干すと妖精達はホッと息を吐いた。その後もゆっくりと時間をかけて繰り返される光景を、リリスとフリジアは黙ってみていた。
『姫、ありがとなの〜』
『うむ。九死に一生を得た』
『助かったのじゃ』
さっきまで瀕死の状態だった妖精が、目に見えて回復したのだ。
これには静観していたリリスとフリジアも「どういうこと?!」と詰め寄りたいのを、二人で目を見合わせて互いに牽制した。
「あーー。もう! いろいろと聞きたいこともあるけど、とりあえず寝な! 今のあんた達に必要なのは休息だ」
「……そうねぇ。今日はうちに泊まっていって」
リリスさんとフリジアさんに微笑まれたら従うしかない。実際、体がだるくてすぐにでも横になりたかったのだ。
「ありがとうごさいます。
……あの、リリスさんフリジアさん、心配かけてごめんなさい。あと、助けてくれてありがとう」
「うん。いつものミレイだ」
リリスさんは嬉しそうに笑うと、優しく抱きしめてくれた。
「……おやすみ、ミレイ」
頭をくしゃりと撫でられて安心したのか、間もなく寝息が聞こえてきた。
「あら、早すぎよ」
「仕方がない。脳が一時、酸素不足になったんだ。体が休息を欲しているのさ」
「……さっきのミレイにはびっくりしたわ〜。いきなり叩けって……」
「私だって同じさ。いつもは思慮深い子だからね。それだけ彼等が大切なんだろう」
リリスとフリジアは穏やかな顔で眠るミレイと顔色がよくなった妖精達を見廻した。
「……本物の水姫なのね」
「ああ。間違いないね」
「……そう」
「……ところで、ニウは?」
「カイが付いてるから大丈夫でしょ。それにそんなにヤワに育ててないわ?」
フリジアは悠然と微笑み、リリスは苦笑をして共に部屋を出た。