第40話 ミレイと水龍さま
あれからどれくらいの時間が流れただろう……。
実際には数秒でも、ミレイにとっては悠久の時のように思えた。
水龍の暗く蒼い瞳から眼を放せず、視線から全身、縛られている気分だった。
水龍も何の反応も返さなくなったミレイをじっと見つめると『死んだか……?』と抑揚のない言葉が頭に入ってきた。
それを聞いたミレイは慌てて『生きてます!』と強く念じた。
『この光の膜は多分、私の命綱だ』
直感的に悟るも、とりあえず事実確認に努めることにした。自己紹介すら、まだだった。
『あの、私はミレイと言います。
失礼ですが水龍さま……いえ、龍王陛下……ですか?』
『…………そうだ』
『やっぱり! そうなんだ。これが水龍さまかぁ……』
『これ?』
思わず感慨深くなって、心の中で呟いてしまったが、すぐに『マズイ……』と反省した。
水龍は気に触ったのか、僅かに眼を細めた。
今までの会話のなかで、初めてはっきりとした表情を見せくれたことに、ミレイはホッとした。
『良かった。寝すぎて表情筋、死んじゃったのかと思った〜』
安堵の表情を浮かべるミレイに、水龍は内心、動揺していた。
『不躾なだけではなく……無礼なやつだったの……だな』
そっと顔を背けた水龍に、ミレイは服を軽く引っ張ると、自身を指さして『やつじゃありません。ミレイです。ミ•レ•イ』と、心の中で念じて、ニコリと笑った。
すると今度は、はっきりと水龍の美しい柳眉が当惑するように顰められた。
『………お前はニンゲンのくせに……なぜ龍の気配を……まとっているのだ』
思念のはずなのに、不機嫌そうに聞こえるのはなぜだろう……?
『龍の気配 ? 』
『お前から……龍の気配を感じる。
それか……その指輪……だな』
ミレイの二の腕に添えていた手がそっと伸び、右手を掬い上げた。
その僅かな動きでミレイの体はより水龍に近くなり、頬が胸板に押し付けられた。突然の密着具合に思わず体に力が入ってしまう。
そんなミレイにお構いなく、水龍はミレイの指輪をじっと見つめた。
『近い、近い、ちかい〜!
ドキドキするからーー!
こっちは残念女子なのよ。慣れてないのよーー。
あ〜、もう。
……イケメンと密着……してる。
──って、あれ? 思念……だっけ?
これも聞こえてるんだよ……ね?』
ミレイの勝手に上がった体温が、ジェットコースター並みに急降下した。
コレを聞かれていたら恥ずかしすぎる!
悶絶ものだーー!
黒い豪奢な衣に顔を埋めつつ、水龍の反応が気になった私はチラリと見上げた。すると向こうもこちらを見ていたらしく、フッと笑った。
思念は何も伝わってこなかったが、明らかに嘲るような笑みだった!
『聞かれてたーー!』
僅かなの希望がなくなり、恥ずかしくても逃げられず、お姫様抱っこのまま顔を伏せて悶絶した。
『にげたい……』
しかも嘲るような笑みにも関わらず、一発KOされそうな自分も恨めしい……。
イケメン キライ……。
『恥ずかしいよぉぉ。でも、絶対わかってやってるよね、この人! あざといと言うか──』
『これは……宝珠だな』
『そう、ほうじゅ……って。えっ? 宝珠?!
これ宝珠なんですか?!』
『あまり……力は残ってないがな』
私はまじまじと指輪を見た。
中心に蒼い石が嵌め込まれた、シンプルでいて重厚感のある指輪だった。
『……あの、これは預かり物なんです。
糸目のおじいちゃんで…… 覚えてませんか?
宰相だった人なんです!
水龍さまにすごく会いたがっていて──』
『しらんな』
『そんな!! ……じゃあ。騎士団長は?!
少し好戦的だけど、仲間思いのいい人なんです!』
水龍の顔はピクリとも動かない。
思わず黒い衣に添えていた手に力が入り、ぎゅっと服を握りしめた。でも、声はどんどん弱くなってしまう。
『……あとはクウも。 近侍頭だって言ってました。食べるのが好きで、記憶力も良くて優しい人……なんです』
必死に訴えてみても、水龍は上を見上げるばかりで私の話なんて聞いてもいない。
『何やら騒がしくなったな……。
お前はさっさと戻れ』
『えっ? 戻れって……。貴方は?』
『……私も帰ろう』
『帰る? どこに?』
『この体も思念体だ。……私の体は眠りについている』
抑揚の無い感情がダイレクトに頭に響いてきて、まるで何事でもないように語る水龍に、ミレイはカチンときた。
『みんな、あんなに待ってるのに……』
ミレイはキッと水龍と向きなおると、おもむろに胸倉を掴んだ。
『だったら起きてください。みんな貴方を待っています』
ミレイと水龍の視線が正面からぶつかる。
……初めてのことだった
『…………まってる……か』
『えっ?』
『まぁ、いい。これっきりだ。
娘……その宝珠は持ち主に返せ。ニンゲンの手に負えるような代物ではない……よいな』
『…………はい』
強い瞳に気圧され、素直に頷いた。
するとミレイを支えていた水龍の体がふわりと消えた。淡く、光輝く球体も……。
『行っちゃった……』
センチメンタルにそんな事を考えていた。しかし、その直後、ミレイは自分の状況を鑑みた。
『いや、いや、行っちゃったじゃないよ!
どうしよう、待ってよーー!
いきなり放り出すとか人としてどうなの?!
もう最低ーー!』
ゴボッ ゴボゴボ……。
ミレイの体は暗闇の冷たい湖に投げ出されていた。
◇ ◇ ◇
その少し前、サンボウとロス、二匹のワズが龍湖に到着した。
樹木が揺れ、湖面は相変わらず穏やかだった。唯一違うとすれば、動物達がしきりに湖を覗き込んでいることだ。
『ワズ! 姫が落ちた大体の場所と状況が知りたい! 周りのものたちに聞いてくれ!』
ロスは着いた早々、案内してくれたワズと湖面の側にいた動物達の所に向かった。
『はぁ、はぁ……ひめ……』
サンボウも遅れて、湖に到着した。
乱れた息を整えながら湖面を覗きこむ。
姫を失うかもしれないと思うと、言い知れぬ恐ろしさで体が硬直してくる。 ──思考が混濁する。
水龍さまに続いて、姫も失うのか……?
また、あの恐怖と絶望を味わうのか……?
わしが間違えたから……。
またわしが間違えたから……。
だから姫は……。
『──ボウ、サンボウ!!』
ロスに肩を捕まれ、視点が戻る。
『ロス……』
ぎしりと強張った、か細い声でやっとその一言を紡ぎ出した。
ロスと目があったと思ったら、突然、右の頬を殴られた!
バシッ!
『いって……。なにをするんじゃ!』
『なんて顔をしてるんだ!
このままだと姫は死ぬぞ!
時間がない、頭を動かせ! バカヤロー!!』
──死ぬ……。
その言葉で、両の頬を自分の手でバシッと叩いた。
『その口ぶり、懐かしいな。だが今の容姿には合わないのじゃ』
『大きなお世話じゃ』
サンボウはロスの悪態に、悪態で返した。
サンボウの声に力が戻る。
『彼等からの情報だと、姫は精霊に引き摺りこまれた可能性があるのじゃ。
最後に姿が見えたのは、湖の真ん中辺りじゃ』
『…………ぬしは動物と会話ができるのか?』
『いや、ジェスチャーと、あとは勘だ!!』
『…………勘って。まぁいい。
聞こえてるか ウンディーネ! 力を貸せ !
ここはお前の領分だろう!』
湖に向かってサンボウが叫ぶ。
すると直ぐにウンディーネが湖上に姿を見せたが、その顔は強張っていた。
『聞こえてるわ 。ミレイちゃんは湖の中央の湖底付近で確認できたわ。でも光の膜で覆われていて、よくわからないのよ』
彼女が指したのは湖の中央。
『光の膜?』
『とりあえず、姫は無事なのじゃな?』
『…………多分。今、他の精霊に見張らせてるわ。
……あの光の膜、たまに見るけど精霊は誰も近づかないわ。……なんか怖いのよ』
『怖い?』
言い淀むウンディーネの表情は曇っていた。
『恐ろしい……というか……』
『『ウンディーネが? 』』
思わずロスとハモってしまった。
すると、ウンディーネは笑顔で睨みつけてきた。
『ほんとに貴方たちは……』
たしか先日も同じ場所で同じ様なことがあった。
デジャブというものである。
その時、湖上に水音がした。
全員で振り向くと一人の精霊が湖面に現れた。
『ウンディーネ様、光の膜が無くなり、水姫は湖に投げ出されました!』
『なんですって?!』
『なんじゃと?!』
『すぐに水の膜を作り、保護しなさい!
私も行くわ!』
『ウンディーネ! 浮上する時は膜ではなく水牢だ。
水膜で浮上すると、人の体は圧に耐えられない。
呼吸の確保と浮上に気をつけてくれ!』
『いや、湖底から水牢で浮上するのは、精霊の負担が大きすぎるのじゃ!』
ロスの待ったが入る。
『我等が道を作るのじゃ。
ウンディーネ。他の精霊にも協力を仰ぎ、交代しながら当たってくれ。時がきたら合図をする』
『わかったわ!』
ウンディーネが湖に消え、背後からクウと水の筋斗雲に乗ったリリスが現れた。
『遅くなったの!』
「ミレイは?!」
『説明はあとだ! リリス、今から姫を引き上げるが、危険な状況かもしれん。村に行って男達を呼んできてくれ! 』
『ロス「水天御渡」は使えるな? ぬしが道をつくれ』
リリスはわかったよ、と走りだした。
目を見開いたロスとサンボウの目がぶつかった。
『…………何を! 現役以来、数百年も行使してないぞ! 何よりこの量の水を持ち上げて、そのまま維持するなど、そんな緻密なコントロールは無理じゃ!
コントロールなら、お前じゃろう?!』
『わしは長の所でかなりの力を使ったから無理じゃ。 宝珠もない。だからぬしがやれ』
肩に置かれた手が熱い。
力強い言葉と熱にロスは言葉を返せなかった。
『クウ、まだ力は残っているな?
共にロスに力を送るぞ』
『了解なの』
クウは俯いてるロスの前に立ち、手を握る。
『クウの力を全部あげるから、三人でやり切ろう!
頼むの……。姫のために』
『……三人で……か。
わかったのじゃ。フォローを頼む』
『任せるの!』
『ウンディーネの合図はわしがする。
ロスは水を上げて、維持することに集中してくれ。
クウ。もし先に村人が着いたら、ロスの邪魔をせぬよう、リリスに指示を』
二人がコクリと頷く。
『大丈夫なの。ロスは腐っても、脳筋でも、王国最強の騎士団長なの』
笑顔のクウにサンボウも笑いながら頷き、ロスは苦笑いをした。
『……ひと言余計なのじゃ』
それでも、そのひと言で大分、肩の力が抜けた。
王国最強の騎士団長か……。
またサンボウに背負わせてしまうところじゃった。
根性みせないとな……。
自分はあの方の部下なのだから!
振り向くと、サンボウとクウは手の平を合わせて自分の妖力を体内で練り始めていた。
そんな二人を見て、ロスも湖面に向かって深呼吸をひとつした。
姫の……『水姫の涙』があれば、すぐに回復できるのだが。仕方がない。
今は集中して、持てる力を全て出すのみじゃ。
二人と同じように体内で妖力を練る。
腹の辺りが熱くなる。
不意に両肩に同じ熱を感じた。
熱い 熱い 同じ熱さ……。
同じ想い……。
『── 生命に宿りし清廉なる水よ
古の絆に従い その力を示し給え
癒しの力よ 戦いの力よ
我が手に宿り
汝の力を我が下に 』
ロスが口内で呪文を呟くと、幾重にも構築された陣がロスを中心に出現し、光輝いていた。
『──数多の水よ 我に力を! 水天御渡!』
手が湖水に触れると、凝縮された三人の妖力が湖の中を真っ直ぐ、一本の稲妻のように走る!
湖面が割れて一本の光る道と成り、水が逆巻いて、水が天を駆け昇る。
『ウンディーネ!!』
サンボウの声で、湖の中央から精霊が現れ、次いで水牢とウンディーネ、他の精霊も姿を見せた。
湖面から天に昇るように、固定された水が僅かに揺らぐ……。
『ロス、まだじゃ!』
サンボウの声に、水牢の付近にいた四人の精霊が反応し、手を翳して水を支えた。
その隙に水牢とウンディーネが地面に降り立ち、中のミレイを横たわらせる。
その直後、水が崩れて激しい音と暴力的な水の塊をまき散らした。水はそのまま波と化し、湖畔から水が流れ出す。その様子はまるで荒れ狂う海のようだった。
『ギリギリ……ね』
ウンディーネが息を荒らげながら、ほっとする。
『ひめ……』
妖精達は口々に呟くも、駆け寄るほどの力も残っていなかった。変わりに既に到着していたリリス達が慌てて駆け寄る。
「ミレイ、ミレイ! 」
「どうしたってんだ!」
パチパチ頬を叩くも目を覚まさない。男達が騒ぎ立てるなか、リリスが冷静に人工呼吸を施す。
『『ひ……めーー!』』
妖精達も振り絞って声を張り、精霊はそんな様子を見て、三人に近づき、そっと持ち上げるとミレイの側に連れて行った。
ごほっ……ごほごほっっ!!
水を吐き…………ゆっくり、ミレイの双眸が開かれた。
「やったーー!!」
村人の喚起の声と妖精達の泣き声、精霊の喜びの雨が辺りを包んだ。
おかげさまで40話です。
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