第36話 自己紹介をもう一度
次の日、上半身の打ち身は残るものの、歩けないわけでは無いのでリリスさんの家に帰ることにした。
玄関先で村長さんやフリジアさんに挨拶していると「ミレイさん」と声を掛けられた。振り向くとそこにはアリッサとジニア、そして初めて会う女の人がいた。
「アリッサの母親よ」
フリジアさんが小声で教えてくれた。
「この度は娘を助けて頂き、本当にありがとうございました 。アリッサの母親です」
深々と頭を下げた女性は、細身で顔もやつれ、疲れた顔をしていた。でもその瞳はアリッサと同じで強い意志を宿していた。
「お子さんが無事で何よりです」
「おねぇちゃん 。ジーニャのおねぇちゃんを助けてくれてありがとう!」
私はお母さんに挨拶したあと、腰をかがめてジニアの頭を撫でると、アリッサに目を向けた。「 大丈夫?」そう聞くと、コクンと頷いた。
「あの村長さん、フリジアさん。この村で私にできる仕事はありますか? 可能なら街に行かないで村の中で仕事ができたら、と思いました」
意を決したように母親が切り出した言葉に、フリジアと村長は驚いた。
「でも村の仕事は、街ほどの収入はないわよ?」
「いいんです。アリッサを学校に通わせて上げたくて、無理をしてお金を貯めていたんです。でもアリッサに学校は行かなくていいから、ジニアの側にいてあげて、と言われまして……。あんな事もありましたし……」
「別に私は学校に行きたいなんて 一言も言ってないわ」
アリッサは眉間にシワを寄せて、硬い表情でそっぽを向いた。母親は困ったように、寂しそうに笑うと俯いてしまった。
それを見ていたミレイは無言でアリッサの前に屈むと、いきなり脇腹をコチョコチョ……。
「キャー! なにす……る。ヒャッヒャッヒャー。やめて〜!」
涙目になったアリッサが顔を緩ませて抗議してきた。
「ミレイさん!」
「うん。アリッサは笑ってる顔の方がいいね」
何気なく言った一言に、真顔になるアリッサ。
「アリッサは硬くて俯いている顔と笑ってる顔、どっちが好き?」
「そんなの決まってるでしょ。みんな同じ事を言うわ」
そっぽを向いてツンとした横顔を、ミレイは両手で挟んで強引に自分に向けると、有無を言わさない笑顔で聞いた。
「どっち?」
アリッサが引きつりながら「……笑顔」と答えると、パッと両手を離して
「やっぱりそうだよね〜! 笑顔がいいよね〜。アリッサもお母さんやジニアに笑って欲しいとおもわない?」
アリッサはその問いに一瞬怯んだあと、母親の顔をチラリと見て、消え入りそうなほどの小さな声で「……思う」と答えた。
アリッサが小さな勇気を振り絞ったことをミレイも感じとっていた。
「アリッサ……」
そう呟いた母親は驚いたような、嬉しいような複雑な表情をしている。
「私はね。笑顔で過ごす秘訣は『ありがとう』って感謝の気持ちを忘れない事だと思うの。あとは素直な気持ちを口にすることかな。……お互いにね」
アリッサの視線と私の視線が絡み合う。私は少しでも伝わって欲しくて、更に言葉を重ねた。
「もちろん、毎日じゃなくていいのよ。大変に思ったら続かないもの。でも……意識しないと何も変わらないと思わない?」
アリッサは自分の靴先に視線を落とした。そしてその視線を母親の足元に移すと、自分達の靴よりも遥かにくたびれた靴を履いていた。
「自分達のため」……そう思ったら自然と言葉が紡がれた。
「……お母さん。頑張らなくていいよ。無理しないでいいから、みんなで……三人で一緒にいる時間が……ほしいよ」
「アリッサ……」
母親は膝から崩れるようにアリッサを抱きしめる。ジニアも加わり、三人ですすり泣く様子を見ていたら、周りもまた、貰い泣きをした。
すすり泣く声に紛れて、微かな声が風に乗って聞こえてきた。
『……水粒』
穏やかな晴天のなか、頬にあたる小さな雨粒。
それは霧雨のような儚さで、ミレイ達の周りにだけ舞い降りた奇跡だった。
衣服を濡らす間もないほど、一瞬の出来事。
「雲……無いわよね」
フリジアの一言に空を見上げると、ジニアから歓声がおこった。
「すごい! なにあれーー!!」
見上げた先には薄い虹が掛かっていた。
「虹だ……」
乾燥気味の今の季節に、虹はあまり見られない。
子供二人が興奮して喜ぶ様子を見て、ミレイは近くの木の枝で仄かに光る、三つ影に微笑みかけた。
「そうだ。あの……ミレイさん!今更だけど自己しょーかい させて! ……私はアリッサ。九歳です。……よろしくお願いします!」
アリッサは真っ赤な顔をして、手を差し出した。
初めて会った日のやり直しをしてくれてる、と思うとまた鼻の奥がツンとしてくる。
「私はミレイ。よろしくね。……さん付けなんていらないよ」
アリッサは嬉しそうに笑い、二人はぎゅっと握手を交わし、ハグをした。
◇ ◇ ◇
「さっきの虹は綺麗だったね〜」
「みんな不思議がっていたけどね、あれは妖精達の仕業なんだろう?」
リリスさんの家に帰る途中で先程の虹の話で盛り上がる。しかし、いつもと違うのはリリスさんの顔の位置が遠く感じることだ。
何故なら今、ミレイは歩かずに移動しているのだ。
筋肉痛のような痛みがあるミレイに、無理はさせられないと、ロスがスライムのような水のクッションを作ってくれた。
感触はウォーターベッドだけど、気分はあの『筋斗雲』だ。
──昔、あの伝説的なアニメ?(漫画?)を見て『私も筋斗雲に乗りたい!』と願った記憶がある。実はごっこ遊びも結構やった。きっと同じようなちびっ子は大勢いたと思う。
顔は必死に取り繕っているが、内心感動しっぱなしである。
『よい子』じゃないと乗れない筋斗雲に私、今乗ってる……。
ニマニマと緩む口元を必死に堪えながら、感傷に浸るミレイに「いや。筋斗雲じゃないし……」とツッコミを入れたいが、きっと耳に入らないだろう。
ドキドキしながらロスに「これもっと早く動くの? もっと高く飛べたりするの?」と聞くと、ロスは不思議そうに『出来るが、怖いと思うのじゃ』と言った。
キターー!!
なんちゃって『筋斗雲』キターー!!
「お願いします!!」
ガッツポーズで半ば食い気味に、何故か敬語でお願いすると、三人とリリスさんは顔を見合わせていた。
ロスは私の勢いに圧倒されて『わかったのじゃ。前の水に捕まるのじゃ』と言った。
前の水に捕まる……このワード自体が変なのだが、今のミレイには気付く余裕はない。安全の為にサンボウが肩に乗り、いざ! あのアニメの世界へ……!
サン、ニィ、イチ ……前進!
ロスの言葉で水のクッションもとい『なんちゃって筋斗雲』はリリスさんの顔の高さまでツィーッと上がると、ゆっくり加速した。
「すごい!すごい!すごーーい!!」
ボキャブラリーの無さが際立つが、興奮状態のミレイにはどうでもいいことだった。
『姫、大丈夫か?』
「だいじょーーうぶ!!」
目をキラキラさせて楽しむミレイを見て、サンボウもニカっと笑って指示を出す。
『姫、少し屈んで体重を右にかけるのじゃ』
「こう?」
『そうじゃ上手いぞ。次は左じゃ!』
サンボウの声に合わせて、体を前後左右に少し傾けて森の中を進むと、あっと言う間にリリスさんの家に着いてしまった。
「…………着いちゃった」
興奮、真っ只中の状態で、ボーっとしていたらリリスさん達も到着した。
ロスが大きい体だったら、力の限りハグするのに〜。
あ〜残念!!
とりあえず、押しつぶさないように両手でギュっとしてお礼を言った。
「うん。今日は良い日だった……!!」
『まだお昼前なの……』
クウの呟きが聞こえてきた。
筋斗雲のくだりは、わからなかったらごめんなさい。小休止的に入れてみました。