第2話 カラス女の現実
ちゅん ちゅん。 ちゅん。
小鳥の囀る音が聞こえ、窓から柔らかい日差しが顔を照らしていた。
朝だ……。
昔、何かの本で読んだ。
朝は皆、平等にやってくる……と。
──ほんとだ。どこにいても朝はくる。
私はベットの上で両手をかざしグー、パーとしてみる。
うん……生きてる。
私は部屋を出て、昨日の老婆を探した。
外からじゃぶじゃぶと水の音が聞こえる。そっと顔を出すと、老婆は私に気付き、ゆっくりとこちらに来た。よく見ると目は明るい茶色だけど、髪は白髪まじりの緑だった。上は黄色の花柄でスカートは緑色。白色のエプロンにはカラフルなワッペンがいくつも付いていた。
……ファンキーな人なのかな。
改めて見た老婆はなかなか強烈だった。
でも、まぁ仕方がないと思う。日本人でも年をとってから髪を緑や紫に染める人はいるけど、服は上品にまとめるイメージだったから、若干……引いたのだ。
「──よく眠れたかい? 」
不意に声を掛けられた。
その声音は多少のぎこちなさはあれど、こちらを気遣うものだった。
「はい! 寝れました」
私も慌てて返事を返す
「顔色も良さそうだね。そこで顔を洗っておいで。朝ご飯をたべよう」
私は示された先にあった洗い場で顔を洗い、室内に入るとスープの良い匂いがした。
お互い自己紹介をすると ──怖い顔したファンキーなおばあちゃん──と認識してたのに、名前は「アマリリス」と聞いて、失礼だけど笑ってしまった。
笑って……笑って ……涙が溢れてきた。
ここがどこかわからないけど、私は……遭難したんだ。
「現実」が重くて、どうしたらいいかわからなくて、子供みたいに泣き出してしまった私を、ただ優しく抱きしめてくれた。頭を撫でられ、背中をさすってもらい、私はようやく落ち着いた。
「ミレイと言ったね。とりあえず、後で村長のところに行って相談しよう。今は食事にするよ。どんな時でも腹は空くし、食べないと動けないもんだ」
私はコクリと頷いてスープを一口飲んだ。じんわりと染み渡り、ぐぅーっと盛大にお腹が鳴ってしまった。
「はっはっはー。いいことだ! 」
おばあちゃんは楽しそうに笑い、私も恥ずかしかったけど、にっこり笑って「アマリリスさん。美味しいです」と返した。
泣いていても仕方がない、帰り方を探さないと。
私の意図を汲んでくれたのか、おばあちゃんは「自分のことはリリスでいいよ。アマリリスは長いからね」とそっぽを向いてぶっきらぼうに言った。
午後になってから森をぬけて、村長さんの家に向かった。最初は門前払いの勢いだったが、リリスさんが「この子は大丈夫だ」と言うと、しぶしぶ話を聞いてくれた。それから日本のこと、自分のことを話してみたが、村長さんもやはり日本なんて国は知らないと言う。
「ずいぶん流されたのね」と独りごちる。
でも今は生きてるだけ良かったと、思わないと。
遭難した時の話をしていると外が騒がしくなり、誰かが話をしながら入ってきた。
「じぃちゃん、またポコとペールが境界線で揉めてるけどどうす……あれ? お客さん? 」
私と目が合う。
「あー! 昨日のカラス女! 」
「カラス……女? 」
不思議に思った私にリリスさんが説明してくれた。
黒髪、黒眼、全身黒色の服だった私はかなり異様だったらしい。
しかもウエットスーツだものね……。
「この国ではカラスが来ると悪い事が起るって言われててな、だから警戒したのだ。──悪かったな。ミレイとやら」
むすっとしながらも、大勢で武器を向けたことを村長さんは謝ってくれた。
「大丈夫です。むしろこちらこそお話を聞いてくれてありがとうございます」
「……たしかに無害そうだな」
「そうだよ。こんな小さい子に何ができるんだい」
「小さい子……」
アジア人は童顔に見られるから仕方ないけど、子供扱いは少しきつい……。
「ミレイ。とりあえず帰り方がわかるまでこの村に居なさい私が許可しよう」と村長さんは言ってくれた。
「ありがとうございます。──あの、リリスさん。しばらくお世話になりたいんですけど、いいですか?」
「ちょうど若い働き手が欲しかったんだ。こき使うよ」
「はい! 」
そのやりとりを見ていた村長のお孫さんがいきなり外に向かって叫んだ。
「おーいみんなー! 昨日のカラス女、無害らしいぞー!じいちゃんとリリスばばぁのお墨付きだー」
「誰がばばぁだ。この悪ガキが! 」
リリスさんからガツンと強めの拳骨をもらいながら、村長の孫──ニウさん──は私を見てニカッと笑った。
みんなの優しさにまた涙が出てきた私を、リリスさんは少し粗っぽく頭を撫でてくれた。
そんな私を見ながら村長さんは、何か考えこんでいた。
とりあえず、日本大○館を見つけるぞー!
◇ ◇ ◇
夜になりミレイが眠りについた頃、微かな声が聞こえてきた。
耳に聞こえてくるのに、その声は遠く
その姿も人に視認できるものではなかった。
彼らがいる場所もまた人の知る場所ではないのだ。
そんな彼らの関心は……ただ一つ。
『ふむ〜』
『どうじゃ? 』
『どうじゃ? 』
『おかしいのじゃ。
普通はすぐに──これが異世界転生⁉ ってなるところじゃないのか? 』
『そうじゃそうじゃ』
『随分流されたのね、とか言ってたの〜』
『我等が姫は、にぶいのかもしれんぞ』
『そうじゃの〜』
『どうするの? 』
『ここはやはり我らの “ばいぶる” に頼ってみようぞ』
『それじゃ。そうしよう』
『うむ』
『……どうじゃ?』
『ふむ。じかだんぱん、と言うやつが良いかもしれん』
『じか だん ぱん』
『おいしそうなの〜。食べたいの〜』
『食べ物では無いのじゃ。ヒロインが父親に“お願い”する時に使うらしいぞ』
『それが、じか だん ぱん……か? 』
『……みたいじゃ』
『姫に効くのか? 』
『姫は若い女子だし、この“ばいぶる”に載ってることに間違いはないのじゃ! 』
『そうじゃの』
『そうじゃ』
『お腹へったの〜』
『では明日、我等が姫に、じかだんぱんをするぞ』
『うむ! 』
中指より少し大きい「それ」は三人仲良く小さなベットに潜り込み、次の瞬間には、すやすやと眠りについていた。
机の上には一冊の本があった。
彼らが話していた “ばいぶる” であろうか?
風のいたずらでページがはらはらと捲られる。
それはミレイの故郷の言葉、日本語で書かれた本だった。