第24話 水の精霊ウンディーネ
夜の帷が降りた頃、宴はお開きとなった。いつの間にか 雨が降り始め、屋根の上を風に乗った雨が通りすぎる。
『お腹いっぱいなの〜』
「うん。おいしかったし、楽しかったね〜」
『大福なるものはとても美味じゃった』
「気に入ってもらえて良かったよ〜」
カダガタ……。
風の煽りを受けて窓枠が揺れる音がした。
『今日の雨は些か強いな』
「そうだね。……そういえばさっきのすごかったね。水を操る様子がなんだか神々しくて、綺麗だった……。
ねぇ、私は水姫なんでしょ? 私もあんな風に水を操ることできるの? 」
ミレイが期待に満ちた眼差しを向けると、三人は顔を見合わせ、ロスが答えた。
『水を操ることは多分、姫ならできるじゃろう。あと先日サンボウが操った術──水妖術と言うが、それもかなり鍛錬が必要じゃが、努力すればできるかもしれぬ。
……ただ、先程の我等の術は水界術の一種でな、王の加護を賜った者にしか行使できんのじゃ』
「そうなんだ。いろいろあるんだね〜」
『そうなの〜』
『高度な術は魅力的じゃからな……。誰でも扱えるようになると争いが生まれる。故に、王は術師を制限したのじゃ』
それはなんとなく解る。
子供が新しい玩具を手に入れて、見せびらかしたくなる気持ちだろうか。もしくは若気の至りで、やんちゃをしたくなるような、ものかもしれない。身の丈に合わない力は不幸を生むだろう、自分にも他人にも……。
『しかし姫が真の水姫になったら、水を操ることも苦ではないはずじゃ。それに姫にしかできないこともあるし……』
『サンボウ! 』
ロスはまるで話を遮るようにサンボウの名を呼び、ミレイはロスの諫めるような口振りに疑問を抱いた。幾ばくか思案したあと、口を開いて言葉を探していると、クウが目の前に現れた。
『姫、大丈夫? 』
「えっ、なにが? 」
『なんだか顔が赤いの……』
クウの言葉にサンボウとロスが振り向き、同じ様に目の前に飛んできた。
『言われてみると……赤いかもしれぬ 』
『クウが言うのなら、安静にした方が良いのじゃ』
三人はベットに入るように勧め、ミレイもそれに従った。
「……そういえば私、突然、水中にいるような感覚に襲われたの。村に行く前だったから忙しくて忘れてたけど……」
『水辺でも無いのにか? 』
「一度目はリビングで、二度目は裏の崖だったわ。崖の時はすごく苦しくて、このまま死ぬかも、と思ったのよね。そのせいかな。女の人の声が聞こえた気がして……。何か知ってる? 」
ベットに潜りながら問いかけると、三人は何故か目を見開いて止まっていた。
「どうしたの? 」
『……それは恐らく上位精霊の仕業じゃな』
答えるサンボウの声は硬い。
ミレイが胸のざわめきを感じながら「上位精霊ってなに」と尋ねると、クウに姫、と呼ばれた。クウはいつもの垂れ目で優しく微笑むと、温かい白湯を差し出してくれた。それは、ほっとする丁度良い温かさだった。
『姫、その話はまたあとね。このままだと明日には熱が上がりそうだし、これを飲んで今は休むの〜』
『そうじゃな。姫、ゆっくり休むのじゃ』
「……うん。おやすみ」
ミレイは問いかけたい気持ちを抑えて白湯を飲み、再度ベットに潜ると薄っすらと眠気がよぎった。
その眠気に逆らわず、ゆっくりと目を閉じる……。
微睡む意識の中で声が聞こえてきた。
妖精達だ……。
『どういうことじゃ。なぜ精霊が動く』
少し焦ったような……これはロスの声だ。
『それに、守護はどうしたの? 』
『感知できていないのじゃ。湖畔ならともかく、僅かな水で姫に直接干渉できるとは……』
『おそらく上位精霊ウンディーネ……じゃろう 』
『ウンディーネね……。それはまた──』
溜め息と共に会話が途切れた。
ミレイは薄れゆく意識の中で、ウンディーネ…… と声にならない音で自らに呟いた。
意識はより深いところに落ち、深淵のような暗闇のなか、ミレイは水底に落ちたような気がした。
◇ ◇ ◇
『ーー』
『ーレイ』
意識が浮上する
ここは……どこ?
水の中にいるような感覚……もあるけど、今度は苦しくない……?
『ねぇ、もう一度名前を呼んで』
な……まえ?
『そうよ。さっき呼んでくれたでしょ。この私の名前を…………ウンディーネ、と』
……ウン……ディーネ?
『そうよ〜。良かった〜』
不思議な声に応えると、周りの世界が一変した。重く淀んだ暗闇から、光の洪水溢れる、とらえようもない泡沫の海に放り出された気分だ。
『ようやく繋がったわ〜。ミレイちゃんってのんびり屋と言うか、反応鈍いよね〜』
目の前に、美しい女の人がいた。
光と水を纏い、煌めき、揺蕩う様子は明らかに人外のものだった。ミレイのとって得体の知れない相手なのに、その軽い口調によって恐怖は薄れていく。
「あの、貴女は……?」
『だーかーら ウンディーネって言ったでしょ。上位精霊のウンディーネ。大丈夫〜? 』
溜め息まじりに、呆れたように言われると、夢うつつの状態から目も覚めると言うものだ。
「私は人ですから、いきなり精霊と言われても『わかりました』とはいきません」
『ふーん。でも貴方、水姫でしょ? 半分こちら側じゃない』
怪訝な顔で見返すと、その精霊は面白そうに鈴の鳴るような美しい声で言った。
『貴方も人外の生き物なのよ? むしろ人でも龍族でもない半端者かな〜』
「…………は? 何それ……。私は人よ、人間よ! 」
『やだ〜。そんなにムキにならないで。半端者でも龍王陛下を目覚めさせることができる唯一無二の存在だもの。邪険になんてしないわ』
身体をくねらせ、水に身を任せながらパチンとウインクして見せる様子に悪意は感じられない。
はあーー。コレほんとに精霊だわ。この傍若無人ぷり、妖精の仲間と言われれば納得がいく。
……ただ一つ。みんなから感じられた相手を思いやる気持ちは、全く感じられないわね。
親しみのある軽い口調でも、親しくなりたいとは思えない。
「それで上位精霊様が半端者になんの御用ですか? 」
苛立ちと皮肉をこめて尋ねるも、クスクスと笑うだけて、するりと躱される。
『あら、あれくらいで怒っちゃうの? 水姫のレベルも落ちたわね〜。人だからか、貴方の資質か……どちらかしらね』
「……」
『まあいいわ。眷属の守護があると、なかなか近づけないから要件だけにするわ〜。
貴方は龍王陛下を目覚めさせる為に呼ばれたの。のんびりしてないで早くして! わざわざこの私が、水の中で呼吸できるようにレクチャーまでしてあげたのよ。さっさと宝珠を探してよ』
むくれ顔で矢継早に言われても、頭の整理が追いつかない。なんだろう、この感じデジャブだわ……。
「ちょっと待って下さい! レクチャーってまさか、先日の溺れかけた……アレですか? 」
『決まってるじゃない。他になにかあった? 』
『やっぱり……。あと守護ってなんですか? 』
『あの妖精達よ。今はあんなナリをしてるけど、かつては王国屈指の実力者にして陛下の側近だもの〜。貴方に害が及ばないようにその身に術を施してるのよ。
妖精にまで身を落としてるのにすごいわ〜。ほんと関心しちゃう。なに?……知らなかったの? 』
私は居た堪れなくなり、はい。としか答えられなかった。ウンディーネはそんな私を見て、わざとらしく大きな溜め息をついた。
『はあ〜。あのね〜今、私がこうして貴方と意思疎通ができているのは、貴方が体調を崩して意識が最下層まで落ちているからなの〜。あとは貴方が私の名を呼び、認識できたから彼等の術を掻い潜れたわけ。わかった?』
「……はい」
ウンディーネが言うことが、事実なら私は常にあの三人に守られていたのだ。何から護っているのかは謎だが、今はそれよりも護られていながら、それすらも知らない自分を恥じた。
『それで、宝珠探しはどうなの? 』
「……宝珠ってなんですか? 」
『…………え?』
今度はウンディーネがきょとんとする番だった。
『宝珠を知らないの?眷属から何も聞いてないの? 』
先程の余裕はどこに行ったのか、ウンディーネはミレイに詰め寄ってきた。遠慮気味にはい、と答えると、その顔から笑みが消えた。
美人を怒らせると怖いって言うけど、本当なのね。水の勢いも増してるし、これ怖いよ〜。
びびって震え上がるミレイに気付かず、ウンディーネはゆっくりと微笑んだ。
『本当にあのじじい達は何をやっているのかな〜? 自分達のタイムリミットだってわかってるでしょうに……。ほんと! 使えなーい』
「あの! 何をもって、使える使えないを言っているか知りませんけど、彼等を侮辱するような発言は止めて下さい」
妖精達を悪く言われてカチン! ときて、思わず反論してしまったけど、はっきり言って怖い。笑みが消え、最初の軽やかさはどこに言ったの?と、言わんばかりに威圧感を感じる。
めちゃくちゃ怖いけど、妖精達と過ごした時間は少ないけど、それでも彼等が私を想ってくれているのは解るもの。その想いを返せるくらいの度量なら私にだってある!
キッと、ウンディーネに視線を投げる。ウンディーネはそんな視線なんて軽くあしらえそうなのに、じっと私を見てきた。
『ふーん。ただの、のんびり娘でもないわけね』と消え入りそうに呟いた。にんまりと笑うと、先程まで上から見下ろしていた上位精霊がミレイの視線の高さまで降りてきた。
『あの眷属からどこまで聞いてるの?ミレイちゃん』
「どこまでって……。水龍さまを起こすのに私が、水姫が必要で元の世界から呼び出した、って聞いてます」
『…………それだけ? 』
「はい」
ウンディーネは体の中の空気を全て吐き出すように、深い、深い溜め息を吐いた。
ないわ~。ありえないわよ~。
数百年に一度の水姫よ。この機会を逃したら多分、もう二度と無理……。
……あ〜。だからこそ慎重になってる?
ウンディーネは心の中でほくそ笑み、ミレイにある提案を持ちかけた。
『ミレイちゃん。昔の龍王国のこと知りたくなあい?』
それはそれは美しい、陶然とした微笑だった。
ミレイの返答を待たず、水が動き周囲を囲んだ。輪の中にはミレイと水の上位精霊ウンディーネのみ……。
ウンディーネはその滑らかな指先をミレイの頬に添え、何事か言葉を口にした。そして一瞬の後、二人は光と水の渦の中に身を投じた。
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