第19話 ミレイとニウ
「そういえば、何で土や樹脂が自由に操れるの? 」
頑張ってくれた三人を肩に乗せて、森の中を歩き進める。
『土や樹脂を操るわけではないのじゃ。土の中、木の内部、どちらも水を含んでいるから、その僅かな水を媒体、増幅させて扱うのだ』
「それなら水が通っているものはほとんど扱えるの?」
『無理なものもあるし、鍛錬も必要じゃ。それに個々により特性や相性もあるから一概に皆ができるとは言えんのじゃ』
「どちらにせよ、すごいよ」
龍の眷族最強やん!……と、心の中でツッコミを入れてしまった。
以前「水龍さま最強説」が私の中であったけど、龍族全体の話のようだ……。なんて恐ろしい。
──鬱蒼とした森の奥から開けた場所に出てきた。
太陽の日差しが地上まで届き、その空間だけ緑の葉が生い茂っている。
明るい……。
その日差しの温もりにミレイは、ほっと息をついた。帰路の途中、妖精達は賑やかに話をしてくれたが、また獣が出るのでは?……と内心びくびくしていたのだ。
太めの木の幹に腰をかけ、クウが用意してくれた果実水を飲みながら、時折吹く風に身を任せる。
「風が気持ちいいね〜」
みんなでまったりしていると、名前を呼ばれた気がした。
あれ?……気のせいかな?
「ミレイ、どこだ! ミレーイ! 」
呼ばれている。
ミレイは勢いよく立ちあがり、周囲を見まわした。
ザーッと強い風が吹き、木々が騒ぎ立てる。
「ミレイ! 」
「ニウさん?! 」
木立の間から姿を見せたのはニウだった。ニウはミレイの姿を見つけると森の中とは思えないスピードでミレイのところに駆けつけた。
「どうして……ニウさんがここに……?」
「どうしてじゃないだろう! この馬鹿が!! 」
開口一番、すごい剣幕で怒鳴りつけられた。優しくてニコニコしているニウしか知らないミレイは驚いて立ち竦むしかなかった。
ニウはミレイをじっと見つめると「よかった。無事で……」と消え入りそうな声で呟いた。言葉とともに腕が背中に回りそっと抱きしめられた。頬にあたるシャツからは汗の匂いと、早鐘のような鼓動が伝わってきた。
えっ……なに、これ?
ミレイの心の動揺とは裏腹に、抱きしめる腕は強くなり、耳元で「ミレイ」と囁くように言われたら、さすがのミレイも現状を理解した。
顔が一気に熱くなり、身を強張らせて息を吸い込んだら、汗を纏った男の匂いが鼻についた。それが余計にミレイを慌てさせたのだ。
何なのこれ〜!
私、ぎゅってされてる……?
いきなり乙女展開すぎるでしょーー!
しかもニウさん意外とがっしりしてて……って、違うから〜!
いきなりのドキドキ展開についていけなくて、必死に頭の中で「ニウさんは年下。年下男に手を出したらダメ。また二の舞いになるーー! 」と言い聞かせた。残念な女の過去のトラウマだ……。
離して。と伝えたかったが、広い胸板に顔を押し付けられ、強い腕に為す術もない。上手く声が出てこなくて、仕方なく背中に腕を回し、ポコポコと主張してみせると、ようやく腕の力を緩めてくれた。
「ごめん……大丈夫? 」
「ぷはっ。ニウさん……力強すぎだよ」
赤らめた頬をぷくりと膨らませ「窒息するところだった! 」とわざと大袈裟に伝えてみると、ニウは真っ赤になって慌てて離れた。しどろもどろに弁解する様子を見ていると、ミレイの悪態も照れ隠しとは気づいていないようで、安心した。
若い子の汗の匂いと胸板に興奮した……とは知られたくない。
年上の僅かなプライドだ。
ニウの赤く染まった顔を見ていると、ミレイもまた顔が熱くなる。
──そうだ、会話を続けよう。
「どうして、ニウさんがここにいるんですか? 」
「どうしてじゃないだろ〜。 慣れない森に一人で入るなんて何を考えてるんだ。昼間は凶悪な獣は出ないとは言え、全然出ないわけじゃないんだぞ。迷子になる可能性だってあるし……」
「…………ごめんなさい」
さっきまでのドキドキが、嘘のように一瞬で走り抜けた。ミレイもまさかこの歳になって、子供のような叱られ方をするとは思わなかっただろう。
ミレイを良く観察していたらニウにとっておいしいチャンスがあったかも知れないのに、ニウもまた残念な男だった……。
「ほんとに無事で良かったよ。ばあちゃんは一人で行ったわけじゃない。妖精様が付いている。なーんて訳の分からないこと言いだすし……。」
妖精と聞いて、ふと周りを見渡したら、視界に入ってきたのは、水刀を構えたロスをクウとサンボウが抑える姿だった。
「!!」
ミレイは慌てて、ロスに向けて両手でバツ印を作って「攻撃しちゃダメ」のサインを送ってみたが、何故かサンボウとクウが抑えている手を放した。
「なんでー?! 」
「何が?……って言うか、何してるの? 」
いや、あの……。と誤魔化してるところにロスの声が聞こえた。
『水瀑』と……。
「 · · · · 」
「ごめんなさい! ニウさん 」
『姫が謝る必要はないのじゃ』
「はは……」
水浸しのニウに、ミレイが手持ちのタオルを渡し、平謝りをしている。
ニウの頭上から、バケツをひっくり返したような水が一瞬で落ちてきたのだ。ちなみに、隣にいたミレイは足元に僅かに掛かったくらいで済んだのだから、不思議でならない。さすが元騎士団長。コントロールも制御も抜群である。
「驚いたけど、大丈夫だよ。それよりも妖精か……。本当にいたんだな。昔語りで聞いてはいたけど、実在するとは思わなかったよ」
「ぬしら、人間が知らないだけで、我等は遥か昔より存在している。なんならここに人が住み着く前からな……」
ロスに続きサンボウまで喧嘩越しだ。クウに至ってはジト目で睨んでいる……。
「もしかして俺、嫌われてる?……何かしたかな? 」
困り顔で横にいるミレイに問うと、すかさず二人の間にロスが割り込んできた。早業だ……。
『何かしたか……じゃと? 今。たった今! 姫に不埒な真似をしたじゃろ! ……やはり切る! 』
水刀、出現。
見た目サン○クロースが、二刀流で猛る姿はかわいくも凛々しいが、今は素直に鑑賞してはいられない。
「ロスちょっと待って。何よ、不埒な真似って。ニウさんは私を心配して、わざわざ探しにきてくれたのよ? そんな気持ち微塵もあるわけ無いでしょ? 」
必死に説得している私の後ろで、何故かニウさんが、胸を押さえて項垂れている。心なしか、目が泳いでいる。
「ニウさんどうしました? あっ。寒いのか。どうしよう風邪ひいちゃう! 」
ミレイはゼゴウスの果実が入ったバックを取りに行き、ニウのもとに走り寄ると、何故かクウがニウを下から覗きこんでいた。
「クウ、どうしたの? 」
『なんでもないの〜』
いつもの笑顔で答えされたのでミレイもそっか。と微笑みで返した。
もう少し注意深く見ていたら、ニウが「ガン飛ばされた……。妖精ってかわいいもんじゃないのかよ」と呆然としていたことにも気が付いたかも、しれない。
いろいろなことを見過ごして、ミレイは「ニウさんが風邪ひいちゃうから早く帰ろう」とみんなを急かした。
◇ ◇ ◇
家に着くと、リリスさんが畑の草むしりをしていた。私の顔を見るなり、ほっとした様子だったので、心配をかけてしまったようだ。
「戻りました〜。これ、ゼゴウスの果実です」
「昼間の森だから大丈夫だと思ったけど、やっぱりまずかったかね」
「大丈夫ですよ。何も問題ありませんでした」
これはみんなで擦り合わせ済みだ。
本当のことを話したら、リリスさんは気にしてしまうから、ワズのことは言わないことにした。
「それなら良かったよ。ニウがすごい剣幕で走って行ったから、流石に心配になってね」
「当たり前だろ。森、初心者だぞ」
「……ニウ、何をしたらそんなに濡れるんだい? 」
後ろからびしょ濡れのニウさんが現れたので、リリスさんは驚いていた。私とニウさんは顔を見合わせて苦笑いをするしかなかった。
「とりあえず、前に置いていった服があるから着替えな。こっちだよ」
二人が家に入ったのを見て、ミレイは妖精達にも部屋に入って休むように伝えた。最初は遠慮していたが、やはり疲れはあるのだろう、仮眠を取ることにしたようだ。
ミレイはバケツを取り、裏山に向かった。
最近は妖精達が水を出してくれたから、ここにくるのも久しぶりだ。
バケツに水を汲みながら、ぼーっと数時間前の出来事を思い返していた。
「ほんとによく生きていたよね……」と独りごちると、湧き水を掬い上げた。水の冷たさが心地よい。
顔を洗って目を開けると、何故か視界がぼやけたのだ。体がふわりと浮く感覚があり、ミレイは再び自分が水中にいる感覚に襲われた。
なに、これ…………また?!
この前の感覚と全く同じだった。
だったら、息を吸う動作をすれば戻るはずだ、と口を開いてみると、口の中に水が入ってきた。
なに、 くるし……い!
この前と違う。ミレイは夢中で足掻き、水の膜らしきものを必死でたたいた。
だれか だれ……か!
その時、ミレイの耳に……微かに声が聞こえてきた。
── ……め。……ひめ。
い……き。 はな……す…… く……ち はく。
しん……じ……て しんじ……。
だい……じょぶ。
いき? 息? はなす? くちはく?
何それ?!
ミレイは苦しさで必死に考えた。
腹式呼吸!!
思い当たったものの、水の中で腹式呼吸なんて正気の沙汰ではない! でも縋るものは何も無いのも事実だ。ミレイは一か八かやってみることにした。
もう……持たないのだ。
おそる、おそる……。
鼻から吸って……口から吐く。
もう一度。
できた! 呼吸できた!!
そう思ったら口から思いっきり吸ってしまい、また苦しくなる。反射的に目を瞑り、腹式呼吸をしようと目を開けたら…………土が見えた。
自分は崖の前に横たわっていた……。
……生きてる。
ゆっくり起き上がってみると、やはり自分の体は濡れていなかった。でも水を吸い込み、溺れそうになった感覚は残っている。
「何なのよ……これー! 」
訳のわからない現象に多少の苛つきを覚える。
命の危機を感じるような恐怖体験なんて、一日に何度もしたくないのだ。私はニウさんが呼びにくるまで、その場で座り込んでいた。