エピローグ
数刻前、王の間は緊張感に満ちていた。それが今では、雪の夜のような物音ひとつしない静けさに包まれている。
本宮とは別棟の地下にある王の間は、外界の喧騒とも無縁である。天窓越しに見えていた月は自らの軌跡をゆっくり進み、今はもうその姿を見ることは叶わない。
『本当にヒルダーの屋敷に行くのか? ここでは駄目なのか?』
しかし今夜は満月。
月の光は屈折し、室内に青白い影を作り出す。
「……えっと……」
水龍を背後から照らすほのかに明るい影が、銀髪を輝かせ、その美しさを際立てる。
──人ならざる美しさ
『私はお前といたいんだ』
「……っっ!」
全ての雑念を飲み込む圧倒的な存在感。
『……だめか?』
真摯な声音はミレイから思考を、言葉を奪っていく。
──捕らわれる 蒼の龍に……
「だって!!」
飲み込まれそうになる意識を手繰り寄せ、反射的に両手を突っぱねて水龍との距離をとる。
「いきなりその展開は無理なんです!」
『……?』
「嫌なわけじゃないけど、物事には順序ってものがあるでしょ?」
動揺からかミレイは目を瞑ったまま、一気にまくし立てる。
「第一、水龍さまイケメンすぎるんですよ!
イケメンでその体で尚かつイケボまで装備してるとか、ありえない! 妄想の段階で耐えられないのよぉ。……せめて、せめて」
もう少し痩せてから
『……』
小さな声で紡がれた最後のセリフ。
これが紛れもない本音だった。
この国に来てから、三食おやつ付き生活である。確実に身についているのだ。
『あーー。その……すまなかった?』
なんとなく話を理解し、察した水龍は顔の下半分を片手で隠しながら、そう言うに留めた。しかし肩は小刻みに揺れ、微かな忍び笑いが漏れている。
余計なこと言った!
言っちゃいけないことまで暴露しちゃったーー!
顔を真っ赤にして俯くが、片手で腰をガッチリホールドされてる為に、逃げることもできない。
「……」
『あーー。言っておくが、私にそのつもりなかったぞ。お前を抱きたいとは思うが、性急にことに運ぶつもりはない』
──これは私の誠意だぞ。伝わってるか? と、楽しそうに顔をのぞきこんでくる。
それ誠意じゃないから!
正直に言えばいいってもんじゃないし、なんなら『誠意』の使い方間違ってるから!!
これじゃ私、ただの勘違いエロ女だよ〜。
居た堪れないとはこの事だろう。
『ミレイ?』
「……とりあえず、今日はもともとの客室で寝ます。こんな夜中にお宅訪問なんて悪いし……」
『それがいいな、そうしよう。お前が私のテリトリーにいるだけで今夜は満足しよう』
テリトリーってなに?
言葉のセレクト!!
『ふむ、一つ解決したな。では次だ』
「つぎ? 解決って……」
『あぁ。私に想いを伝えてくれるんだろう?』
まるで子犬のように、嬉しそうに私の言葉を待つ龍の国の王さま。
ミレイは『ToDoリストじゃないんだから……』と、内心呆れていたが、真面目な王様らしいかも?と、思えば笑えてくる。だって誰が見ても告白するような流れじゃない。
一つ息を吐くと「好きです」とサラリと告げてみた。すると──
『…………違う。そうじゃない!』
「何がですか?」
『さっきは満面の笑みで言っていただろう?』
「さっき?」
ああ、と不機嫌そうに言う水龍さまを横目に『さっき』を思い起こす。
「そんなのあったかな〜」
『言ってただろう、二回も!』
二回? ……好き?
「あぁーー! あれか」
『それだ!』
さっき、とはロス達に言ったセリフのことを指してるのだとようやく気がついた。
『そもそもお前は、あの三人のことをかまいすぎるのだ!』
「だって好きですから」
しれっと言ってのけると、何故かショックを受ける水龍さまがいた。さらに何かゴニョゴニョ言ってるので、耳をすましてみると『二度でも我慢ならなかったのに、まさか三度も口にするとは』などと言ってるではないか。
ムスッする様子に笑みがこぼれる。
「水龍さま──好きですよ」
『!!』
『……それは本心、か?』
「もちろん本心ですよ。何を勘違いしてるのか知らないけど、私は義理や同情で元の生活を捨てるほどお人好しじゃありませんよ。──好きな人と一緒にいたいから決断したのに、私の覚悟を疑うんですか?」
『そういうわけじゃないが……すまなかった』
ホールドされていた腕の力が緩む。
青い宝石のような瞳に私が映っている。そんな当たり前のことに、ようやく気付いた。
「……わかってくれました?」
『あぁ』
お互いの腕が背中に添えると、互いの鼓動と体温がじわりと伝わってくる。
「水龍さま……」
『……どうした?』
熱を帯びた甘い声。
どこまでも優しい声は、この人の懐の深さのようだ、と思った。
「名前…………教えてください」
ピクリと、電気が走ったように水龍の体が震える。
「名前……知りたいです」
『しかし……』
「……珠名もそうですけど、この国の人は名前をとても大事にしてますよね。それを知ったうえで……私はあなたのことを名前で呼びたいの」
『……』
水龍はそっと体を離しだが、不意に体が前のめりになった。
『こら、あぶないだろ』
「ふふっ」
自分のおでこに水龍さまの額を引きよせる。視界が急に暗くなり至近距離で二人の視線は交わった。
「おしえて?」
『……』
「大丈夫。よぼよぼのおばあちゃんになっても、私はずっとあなたの名前を呼びつづけるから」
唇を動かすと微かに触れる距離。
でもそんなことが気にならないくらい、二人はお互いの動向を注視していた。
痛いくらいに絡み合う瞳。
水龍さまの唇が僅かに動き、掠れ声紡がれる。
『…………アンティ……
アンティフィロス……リュカ・クロプトス……オルセイン……だ』
「…………ながっ」
思わず呟いてしまった。
いつもなら聞こえないくらいの小さな声だけど、今は至近距離にいるため、否が応でも聞かれてしまう。
『──おい』
そう、いいたくなるよね。
なんなら今までのちょっと良い空気台無しだもん。
お互い無言でそっと体を離す。
『教えてくれと言ったのに、人の名を聞いて、第一声がそれか?』
「いや、だって思ってたより長かったから。仕方ないでしょ。 私なんてミズハラミレイ、だし?!」
『ミズハラミレイ……短いな』
「ちょっと」
『ほら、そう言いたくなるだろう?』
「あーーはい。すみませんでした」
フフッと示し合わせたように、笑いが漏れる。
「アンティ……フィロス…さま?」
『……』
「あってます?」
『………………あぁ』
「アンティフィロス様」
『…………っ。』
胸が熱くなる。
熱くなる理由はただひとつ。
目の前の人の心を震わせることができたから。
──水龍……さま。
これからいっぱい、いっぱい呼ぶから。
シロの分まで私が呼ぶから。
だからもう、小さな自分を受け入れてあげてほしい。
愛されたいと願っていた小さな子供の水龍さま。
「アンティフィロス様……大好きよ」
ミレイはそう言うと、人差し指でそっと水龍の唇をなぞる。水龍は一瞬瞠目したが、腰に手をまわし、その細い体を引き寄せた。
唇を重ねては、愛の言葉を繰り返す。
「……んっ。はぁ……水龍……さま」
『アンティフィロス……だろ?』
「ふふっ、そうでした。──いつか王宮中に水龍さまの名前が響きわたりますよ」
『それは……。無理なことだな。悲観するつもりは無いが、現実的に厳しいことだ』
「無理じゃないですよ。私達の子供が大きくなってその子供達が家族を持てば、一気に子たくさん一家ですよ」
キョトンとする水龍さま。
「ね? そう遠い未来じゃないでしょう」
事も無げに、夢のような未来を語るミレイ。
『それは、……なんと得難い未来だろうか。そんな未来を……望んてもいいのだろうか』
しかしミレイと一緒ならばそんな『夢のような』未来も見れてしまうのでは? と期待してしまう。
「もちろん」
触れられた箇所がじんわりと温かい。
大きな掌の感触に不快感はなく、安心感すら覚える。
『ミレイ。──やはり今夜は私の部屋にこないか?』
「…………えっ。……なんで?」
『お前をはなしたくないと思ったのだ』
そう言うと、ヒョイとミレイを抱き上げた。
「ひゃあ!」
『このまま私の部屋に行こうか』
少し意地悪そうな、楽しそうな顔。
そんな顔を見せてくれるのは嬉しいけど、今夜は……だめ!
「私は部屋に戻るから。──わかってるのアンティフィロス!」
歩みが止まり、真顔で『それもいいな』と呟く。
そんなの噛み締めないで。
「いいな、じゃないから! わかってるの?!」
『ああ、わかってる。お前に名を呼ばれるのは……心地いい』
蕩けるような笑顔で扉に手を置くと、ズズッと重い扉が動き出す。
『──王として生きる道に不満はないが、私自身の幸せなど考えたこともなかった。お前に出会えたことが、私の最良だ。……ありがとうミレイ、愛してる』
「うっ……。まぁ私も……」
『ん?』
真摯な言葉に返したいと思うが、なんせ奥手の日本人。なかなかアイシテルなんて口にできない。
頬を赤らめてゴニョゴニョ呟くも、聞きとがめられてしまう。
──バタン
カチッ……。
そうこうしてる間に『王の間』の扉が閉まった。
激動の数時間だった。
「……アイ……シテルよ?」
『最後の疑問符の意味がわからんな』
「しょうがないでしょ! アイシテルなんて、なかなか言わないもの。これは国民性の問題よ」
『じゃあ慣れるように。これから毎日言うのだからな』
「えっ、毎日?! おもっっ!!」
『大切なことだ。重いとか言うな』
「いや、言うよ」
遠ざかる足音
最めて訪れた時とも、行きとも違う
軽い足取り。
王の間に静寂が訪れる。
次ににぎわう時はきっと正式な婚姻の儀の時だろう。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
ここまでくるのに二年かかってしまいしたが、無事完結できたこと嬉しく思います。 ありがとうございました!