第191話 ミレイの覚悟④
水龍さまの名前かぁ。
気にした事のない自分も大概だけど……。
「なんで誰も呼ばないんですか?」
もちろん理由はあるはず。それにしてもこのやり取り。デジャヴだわ〜。
ミレイはチラッと三人を見た。今は麗しい大人になった、元妖精の三人を。
『『……』』
ミレイの疑問はとても新鮮で、気づくとカリアスは口を開いていた。
『龍王陛下はこの国では至尊なる御方。その御名をお呼びできる方もまた、限られているのですよ。もちろん臣や民が御名を口にすることは不敬にあたります』
この国では親から子へ、近所の大人が子供達に……皆が繰り返し何度も伝える至極当たり前のこと。
──名……か。
水龍もまた幼い頃の記憶が蘇る。
遥か昔、幾度となく亡き父と母に名を呼ばれた。そこには当たり前のように笑顔が溢れていた。母の腕に抱かれてあやされながら優しく名を呼ばれた。
まだ力が顕現する前の出来事だ。
あれから全て狂っていった。
たしかに私にもそんなモノが存在したな。
しかし──呼ばれぬ名に意味はない
「……かぎられてるって」
『えぇ。陛下の御尊名ですから、直系王族の方々のみが、御尊名をお呼びすることが可能なのです』
「……えっ、直系王族って」
いないはず、だよね?
先代の王様はもう亡くなってるし、水龍さまのお母さんは、ここの結界を破る時に私達に力を貸したことで消えてしまった。
獣に落とされても美しく、誇り高かった。──シロ
私は、生涯忘れることはないだろう。
カリアスはコクリと頷き、ヒルダーはそっと視線を外して空気を変えるかのように口を開く。
『先程、婚姻の儀はこの王の間で大神官様の御前にて、結婚の口づけを交わすと言ったが……続きがあってな』
「続き、ですか?」
『あぁ。名の交換だ。
互いの名を呼び合い宣誓をする。
龍王陛下が王妃となる女性の額に口付けをすると、その者の額には龍の紋章が浮かび上がり、刻まれるのだ』
「……」
お互いがこの結婚を了承していないと紋は現れないらしく、その為に『婚約の口づけ』と『結婚の口づけ』を前段階としているらしい。
……なるほどね。たしかに結婚式当日に王妃となる女の額に何も表れないとか、マジもんでヤバいからその対策ってことかなぁ?
「つまり、名前の交換もしてなければ、紋章もない私は、正確にはまだ王妃じゃないってこと……ですよね?」
ミレイの冷静な確認は、その場の空気をヒリつかせるには十分だった。ヒルダーは一拍おいて『あぁ』と短く返答をするに留めた。
えーーっと。どうしよう。
さっき気持ち固めたばかりなんだけどなぁ。これは撤回もアリってことだよねぇ??
でも、それって……どうなの?
『姫はどうしたい?』
戸惑う心の内が表情に出ていたのか、ロスは優しく頭に手をおいた。
『姫が笑っていられる未来にしたいって、クウ達は考えてるよ』
その言葉にサンボウも無言で頷く。
あくまでも私の意見を聞いてくれるのね。それぞれの立場があるくせに。
この国には人間の私が必要なの……わかってるくせに。
──胸が熱くなる。
ジワリと湧き水のように染み出るのは、友情と言う名の、でもそれはまぎれもない『愛情』だった。
「…………好きだなぁ」
クシャっと頬が緩み、泣き笑いのような笑顔がこぼれる。
『えっ?!』
『……それは』
『……』
私、水龍さまのことも好きだけど、やっぱりみんなとも離れたくないよ。エリザベート様も好きだし、シャーリー達とも、もっと仲良くなりたいし。
そうなると……答えは一つ、だよねぇ?
『姫?』
黙ったミレイに、三人は怪訝な顔をして覗きこむように腰を屈める
「ふふっ。みんな大好きよ!」
意を決したように顔を上げたみれいは満面の笑みだった。ある者は首まで真っ赤になり、ある者は美しい柳眉を過去最大に寄せた。
「……王妃様。……いいよ、やるよ」
『!!』
『えっ!!』
うん。もう迷わない
それにもう随分前に決めていたこと。私になかったのは覚悟だけ。
あまりにもあっさりと告げられた言葉に、周りの動揺は計り知れない。王の間は先程の歓喜の声とは違う意味でざわめいた。何故なら十中八九「それならやらない」と、言うと思っていたからだ。
『…………いい、のか?』
目を見開いて高い背を少し丸まらせてそう問いかけるのは、水龍さまだった。
でもその瞳は縋るような切実さを孕んでいて、その瞳を一身に受けるミレイは何でもないように笑った。
「一度口にしたことを撤回するのもカッコ悪いし……この国もここの人達も、私わりと好きなんですよ」
照れくさそうに笑うミレイを水龍は目を細めて、眩しいものを見るように見つめた。
──自分とは違う生命の輝きを持つ女。
煌めくような美しい輝かしさとは裏腹に、恐れをしらない無鉄砲さと、何者にも屈しない強い瞳。
短い生命を謳歌しようとする人間だからなのか。ミレイだからなのか水龍にはわからない。でもだからこそみんながミレイに引き寄せられ、目を奪われ、そして囚われていく。
その筆頭である自分を嘲笑しながらも、内心は嫌ではなく、むしろ心地良いものだった。
水龍はそっと華奢な肩を抱き寄せる。
「でも! 次からはだまし討ちも誤魔化しも無しですからね!」
『……わかった。誠意だろ?』
「そうですよ」
フフッと笑う笑顔は、堪らなく愛らしい。
『ミレイ。私がミレイの不安ごと全部護るから。どんなに向こうの世界が恋しくても、私はお前を帰せない。……手放せないんだ。お前の幸せを誰よりも望んでいるのに……強欲だな』
自嘲気味に笑う水龍を見て、ミレイは頬をかきながら訂正をする。
「うーーんと。『帰れない』のと『帰らない』のでは意味が違うと思うんです」
『……』
「帰りたくても、帰れない。
帰れるけど、帰らない。
これって全然違うでしょ?
この国で生きると決めた『意思』がそこにあるのか、ないのか。なんなら決めたのは私なのか、丸め込まれたのか……とかね?」
ニヤリと意味ありげに笑ってみせると、罰が悪そうに視線をそらす者、数名。
「私の意思があるかどうかって大事だと思うんです。それだけでこの国でのこれからの生き方や考え方?……みたいなものに影響すると思うし。
後悔しながら生きるなんて苦痛だし、誰かを責めながら生活するのは絶対に嫌!」
だから……
背伸びをして、そっと水龍さまの頬を両手で包みこむ。
「私はここで、あなたと生きていくよ。
──水龍さま」
『……ミレイ』
抱きしめる腕に力が籠もる。
痛いくらいなのに、それが堪らなく嬉しい。
『いやぁ、前から思ってたけど、本当に男前だよな。あのお嬢さん』
『本当ですね。あの人が王妃なら、この国の未来にも希望が見えますね。──それに、やっと長年の問題が片付きましたよ』
カリアスは肺に溜まった空気を一気に吐き出した。それを見てラウザも『違いねぇ』と闊達に笑う。
長年、側近達の一番の頭の痛い議題だった王の伴侶問題。ようやくここに終結したのだ。
『今夜は一杯呑みたい気分ですね』
カリアスは抱き合う二人を眺め、晴れ晴れと笑った。
『ふむ、決意新たにしたところ悪いが。
水姫よ。元の世界に帰ることはできるぞ?』
不意にサクッと投じられたひと言。
声の方に顔を向けると、それは大神官様だった。
「…………えっ?
…………今、帰れるって言いました?」
『うむ』
「あっ、そっか! 水龍さまと一緒なら帰れるんだ!」
そうだった。シャーリー達なら聞いていた。そこに一縷の望みをかけて、水龍さまに確認しようと思っていたのだ。
『いや、一人でも帰れるぞ』
「…………えっ?」
白く長い髭を梳きながら、優しく笑う大神官様。
『今宵、水姫の体に王族の血が流れているのは確認できたからのう。ならば人間でも界を渡る資格を持っているのじゃ。あくまで資格じゃがな』
「……そう、なの?」
水龍さまを仰ぎ見るとコクリと頷いた。
『練習をすれば一人でも…………渡れないことは、ない』
そっぽを向きながら絞り出すような口ぶりに、これも誠意の一種なのかな、と思う。
隠し事はしないって、ことだよね?
『しかしだな、渡る時は私も一緒に行くからな』
「えっ?」
『当たり前だろう? 何かあったらどうするのだ。私を伴えば、たいていのことはどうとでもなる』
そりゃぁ、最強の龍王陛下……だもんねえ。
思わず、スンと表情が落ちる。
『いいな。これは絶対だ。王命と心得よ』
「……王命」
この国で初めて聞いた『王命』なるもの。
──えっ? こんなんでいいの?
呆れる気持ちと、この残念で可愛いイケメンを愛でたくなる気持ちがせめぎあっている。
「でも王様は忙しいですよね? ついてくるとか無理だとおもうけど」
『大丈夫だ。それくらいの時間は作れるし、なんならシリックを呼びつける』
こんなの見せられたら少し意地悪したくなるじゃないか。危うく丸め込まれるところだったし、これくらいの意趣返しは許容範囲内でしょう。
『……おや、僕……ですか?』
いきなりのご指名に意外そうな声が上がる。
『あぁ、暇を持て余してるなら手伝え。そして私の時間を作るように。それがひいては国家の安寧に繋がるのだからな』
『なるほど、そうきましたか』
これだけ聞いてると暴君にしか見えないが、それでここまでの暴挙を許そうと言ってるのだろう。
水龍さまが眠りから覚めたばかりの今、界を渡れるのは宰相職と一部の許可した人だけと、聞いたことがある。それが本当ならシリック様は法を犯したことになるのよね。
まぁ、それを詫びれもなくこのメンツに、しかもこの場所で池しゃあしゃあと言えるメンタル。
ほんと激強だよねぇ。
『ここまで地盤作りをしたのなら、最後まで責任をもて』
『承知しました』
これで一件落着……した?
めちゃくちゃ疲れた夜だけど、水龍さまに私の気持ちも伝えられたし、帰れることもわかったし結果オーライ 万々歳だよね!
しかもやっと部屋に帰れる〜!!
ミレイは握りこぶしを作り、一人嬉しさを噛み締めた。
『伝えられてないぞ』
「えっ?」
『だから伝えられてない。お前の気持ち』
目の前に真剣な顔の水龍さまがいた。
何を言ってるの?
「……?」
『あーー。姫、さっきのな、口に出てたぞ』
呆れ顔のロスの言葉に私は一拍おいたあと、盛大に「えーー!!」と叫んだ。
あれか。私はまたやらかしたのか?!
どうやらポロッと心の声が漏れてたらしい。
『ミレイ』
「あーー……」
『では、明日もあるし我々はそろそろ帰らせてもらうとしよう』
「えっ! ヒルダー様?!」
『もし我が家に来るのであれば、城の馬車を使いなさい。何時でも歓迎しよう』
穏やかな、いい笑顔だぁ~……
じゃなくて!!
「今、一緒に帰ります!」
挙手をして一歩ふみだすが、体が前に進まない。
理由は明白。
水龍さまが後ろから羽交い締めにしてるから。
『『御前失礼いたします』』
『うむ』
そんなやり取りをしてる間に、臣下の皆様は綺麗な一礼をして王の間を後にした。
……えっ。二人きり
……ここに?
ミレイはまだ帰れそうになかった。
読んで下さりありがとうございます。
最終話は3日後に投稿予定です。良かったら最終話まで読んでください。
よろしくお願いします