第181話 想い④
『水牢を……解除して下さい』
剣の柄を握る手に汗が滲むなか、再度ロスが願い出る。互いに本気で対峙しているからこそ、わかるのだ。
ヒリつく感覚。
地面に縫い付けられたかのように動かない足。
──隙がない……
自分の死に様が不意に脳裏を横切る。
こんなにも差があるのか。
自分は仮にも騎士団長だぞ?
……もし陛下が本気で動いたら、自分は姫を護れるだろうか。いや、そもそもここにいる全員で掛かっても無理だろう。
ゴクリと生唾を飲む。
その焦燥感は隣のラウザも同様だった。
『……これは予想していませんでしたね』
シリックは対峙する王と騎士団長を交互に見据えながら、独り言ちた。しかし飄々とした声音とは裏腹に、目まぐるしく頭を巡らせていたのだ。
『なんとか考えを改めて貰わねば……』
国益のために水姫には王妃になって貰う。その為には強引な手も使ったし、息子の淡い恋心すら利用した。それでも何の罪もない少女を──息子の恩人を、虜囚のように扱かわれる状況を望んだわけじゃない。
シリックが拳を強く握りしめたその時、遠くで雷鳴が聞こえ気がした。
ここは王宮の最深部。
防音、結界、盗聴対策、全てが完璧に施されている部屋だ。その部屋にまで轟く雷鳴。
これは上ではどうなっていることか。
……いや、逆を言えば冷静に見える王も動揺してるということ。つまりこの状況は本意ではないんだ。それなら──
シリックが思案するなか、レミスも説得を試みていた。
『陛下お願いします! 姫を解放して下さい!』
誰よりも従順で忠誠心の厚いレミスの嘆願。
『陛下も本当はこんなことは望んでいないはずです!』
………………だまれ
水龍の感情と共に、ピリッとした弱い電流が水中を走り、ミレイの意識が微かに浮上する。
な……に……?
泣き、ごえ??
外と完全に遮断された水の中にいるのに、ミレイは子供の泣き声を聞いた気がした。
こども? 哀しい……こえ
なんだか……さむい
いま、どういう……状況?
ミレイの変化に気づける者はなく、レミスの説得にサンボウも続いた。 ──それが悪手だと疑わずに。
『姫の笑顔に癒されると仰っていたではありませんか! あの笑顔が見れなくなっても良いのですか?!』
…………いいわけが無い
『その通りです、陛下! まずは会話を。姫を解放して下さい!』
サンボウが術を行使しながら、背中越しに水龍に訴えかける。
…………うるさい。何様のつもりだ。
何が……解放だ!!
いつまでもお前達のモノ扱いするな。
──アレは 私の モノだ
水龍の力がブワッっと溢れ出す。
それはオーラとなり、視認できるほどの密度の濃い妖力だった。
『まずい!! 』
ロスの叫び声と共に、天地が逆になるような雷鳴が轟いた。
地底のこの部屋でさえ、飾り窓がガタガタと激しく揺れ、地震のように部屋を揺さぶる。
『『陛下!!』』
重なる臣下の声も、今の水龍には届いていなかった。
力が あふれてくる
これは マズイ
……制御 しなくては
でも ──失いたくないんだ
側にいて ほしい
私だって
たった一つを望んだって いいじゃないか
──その時
水龍の背中の皮膚が裂け、その身に似合わないほどの巨大な翼を現れた。
『これは! 龍化?!』
翼を皮切りに、徐々に人型から龍へと変化していく。鍛えられた皮膚は蒼い鱗に、蒼い瞳は金色へと変わっていく。
『……あの時と同じだ。眠りにつく前と。
陛下は酩酊状態に入ってる』
レミスの言葉に全員が息をのむ。
水龍の溢れ出た力がおしよせるなか、水牢の解除に務めていたヒルダーとサンボウが揃って膝をつく。
『ヒルダー卿!』
『サンボウ!』
水龍の漏れ出た妖力は波状攻撃のように押し寄せ、解除に全力を向ける二人には自身を防御する余裕はなかった。
『……大丈夫だ』
そんな二人を見て、レミスは何かを決意したように歩を進めた。
『ヒルダー様。解除ではなく、水牢の接続面を緩めるような術に変更してください』
突如された提案に、ヒルダーは訝しげに返した。
『……何をするつもりだ』
『私が転移して、牢のなかに入ります』
事も無げに伝えられた言葉に、隣にいたサンボウは『もし出られなくなったらどうするんだ!』と、反対の意を唱えた。
それほどまでにこの牢は堅固なのだ。
『大丈夫、陛下は姫を殺さない。ならば死ぬことはないと思う』
『それは安直だな。これはただの六桀金甌ではない。水姫を監禁する意図で造られた牢であり、全ての接触を絶たせる為の牢だ。水姫以外の者は排除するよう「水」が動くかもしれん。……危険だ』
『たしかにそうですね。でも、現状を打破するにはそれくらいしか無いと思いますが』
『……』
『それにもしものことがあっても、姫となら……』
微かに微笑み、俯くレミスに『何を言っている』と、強めの叱責飛んできた。
声の主はマルティーノ卿──レミスの父親だった。
『自分から言い出したのであれば責任を持つべきだ。そんな弱気ではできるものも出来なくなる』
『……』
水牢の隙間から酸素を送り続けていたマルティーノとレミスの視線がぶつかり合ったが、レミスはすくに視線を反らした。
──昔からこの人の眼が苦手だった。
自分と同じ金の瞳なのに、その瞳孔の底に潜む鋭い眼差しは全て見透かしていそうで、落ちこぼれの僕には耐えられなかった。
『……マルティーノの家の者なら、与えられた仕事は完璧にこなすように』
ハッと顔を上げる。
……今、なんて言った?
『……父上?』
『……』
今、マルティーノの家の者って言った?
いやそんなまさか……。落ちこぼれの僕を父上は昔から居ない者として扱っていたんだ。だから僕は家を出たんだから。
『……礼を。 ……礼を言っていない』
口のなかでモゴモゴと、歯切れの悪い口調で話す父は初めて見る。
『……ちちうえ?』
『子供を助けて貰っていながら、私はまだ一度も礼を述べていない。それは聖職者としても、親としても倫理に反れる行いだ。だから、その……。水姫を私の前まで連れてくるように』
──胸が熱くなってくる。
子供だと言ってくれるの?
僕を……認めてくれるの?
『……はい』
レミスは全ての感情を飲み込み、震える声で返事をした。
感涙にむせぶような状況では無いのだが、居合わせた二人の胸が熱くなったのは当然だろう。マルティーノはむしろそんな空気に居心地の悪さを覚えた。
『こほん。できると思うのであれば、自信もってやりなさい。もちろん二人共無事に出てくることが絶対条件だ』
『っっはい!!』
モノクロの片眼鏡がこちらを向くことはない。そんなのいつものことだった。だから期待なんてしてなかった。
でも今は……?
金色の髪の隙間から覗く耳は、微かに赤く染まっていた。それだけで十分だった。
『ヒルダー様、サンボウ。お願いします!』
『やれるのか?』
ヒルダーの探るような視線。
『はい! ……僕はマルティーノの家の者ですから』
その眼に一切の迷いはなかった。
『よし! バートン術を切り替えるぞ』
『はい! 』
『フォッフォッフォッ。良い傾向じゃな』
『大神官様!』
『どちらの助力に向かおうか迷っていたのだが……どれ、こちらに手を貸そうかの』
『このまま最後まで傍観してるようなら、その杖、叩き折ってやるところでした。大神官様』
満身創痍のヒルダーが、にやりと笑ってみせる。
『それは不敬じゃのぅ』
『いざという時ですら、その力を使わないのであれば職務怠慢というものです』
術式が変わり、水牢全体を光が覆っていく。
『ほっ。職務怠慢! 初めて言われたのぉ~。
──では仕事をしようか』
大神官が牢に触れると、光はより一層強く輝きだした。
『じじいは休んでて構わんよ』
『誰がじじいだ』
額から汗を流し、肩で息をしていたヒルダーがキッと睨みつける。
隣では完全龍化した水龍とロスが対峙していた。
その間にカリアスとシリックで防御陣を張るつもりのようだ。ラウザも準備しているのを見ると、失神させて元に戻す作戦なのだろう。
『レミス、準備はどうだ』
『いつでもいけます!』
『よし、では──天開!』
六角形の隙間からより強い光が放たれた。次の瞬間、レミスの姿は光の中に消えていった。
年末の忙しないなか、読んで下さりありがとうございます!
今年もあと少し、お互い頑張りましょう〜!