第17話 森、再び②
ゼゴウスの木。
見た目はごく普通の木だが、その樹皮の下にはベトベトした粘着性のある樹脂があり、その特性から果汁も僅かに粘り気をもつ。煮詰めて接着剤のように使われたり、そのまま洗濯粉に混ぜると油汚れがよく落ちるらしい。果実は人々の生活に浸透している。しかし、樹液そのものは採取方法を誤ると、その強い粘着力で手が絡め取られ、最悪その場で身動きが取れなくなる、と聞かされた。ミレイは、ねずみ取りで使われるトリモチを想像した。
「木そのものがトリモチなんて怖すぎる」と思っていたが、目の前のゼゴウスの木は、絵本に出てきてもおかしくない様相だった。それほど高くはない木に、乳白色の小ぶりな実がいくつも成る姿は愛らしい。
異世界の木は見た目では解らない。
「この木だね。ナイフは一応持ってきたけど……」
『大丈夫じゃ。姫は落ちた実を集めてくれればよい』
「そうするね。リリスさんが、枝と果実が接地してる箇所を切れば粘りは出ないって、言ってたよ」
『わかったのじゃ〜』
『姫は離れてた方がいいの〜』
気の抜けた口調とは裏腹に、ロスとクウは果実の選別をしているようだった。先程の技を見て無ければ、自分で対処したところだけど、ここはロスに委ねようと思う。
『切るぞ〜』
ロスの右手から水が踊るように出てきた。渦を巻き、水は日本刀の刃のような形になった。──水刀と言うらしい。
刀の形はしていても、やはり水。透けて煌めく刀身は美しかった。
……綺麗。と思った僅かな間でロスが消えた……。
『水蓮』
たった一言。
ミレイは耳に届いた少し低めの声に、空を見上げると、流れるような水の軌道が見えた。瞬きもせずに目を見開いていると、視界の端に何かが陰り、気づいた時には足下でボトボトッ、と音がした。
「わっ! 」
『姫、大丈夫なの? 』
側にいたクウとサンボウが同時にこちらを向く。駆けつけたロスは心配そうな顔をしていた。
『すまぬ。姫、大丈夫か? 』
「大丈夫だよ。びっくりしただけ。
それよりもロス、すごいね! さっきは一瞬でよくわからなかったけど、水が刀になって、キラキラして、ほんとにファンタジーの世界だったよ〜! 」
ミレイは座ったまま、握りこぶしで興奮気味に伝えると、三人は見交わしていた。
「しかも技名とか! これは厨ニ心がなくても興奮するよ〜! 」
『……ふぁんたじー』
『……本当に言うのじゃな』
『……本当なの〜』
三人でヒソヒソと話している。
「なにが? 」
『バイブルによるとじゃな。主人公が転生したあと、魔法や剣といった異世界ならではのアイテムに興奮するらしいのじゃ。すると興奮のあまり「ファンタジー!」とか「これぞ異世界!」といった内容を心の中で叫ぶシーンが多々ある、と書いてあったのじゃ』
『当然、転生は周りに秘密だから、あくまで心の中で叫ぶのじゃが……』
『姫は声に出して叫んだの〜』
「……」
これは何の辱め……。
え〜、叫びましたよ。何なら興奮気味に……。
でもそんな冷静に言わなくてもいいじゃない!
「仕方ないでしょ。水の斬撃なんて初めて見たんだから……」
ミレイは顔を赤らめて、拗ねた様子をみせた。
するとロスがミレイの肩に止まり『姫が喜んでくれて嬉しいのじゃ』と、にこにこして言った。ミレイが「ロス。格好良かったよ」と返してみると、ロスはきょとんとした顔をして『嬉しいのじゃ』と破顔で応えた。
頬に手をあて腰をクネクネする様子はさっきとギャップがありすぎるな〜。さっきはイケオジだったのに、またかわいいおじいちゃんに戻っちゃった。
目の前の小さな妖精が、自身の倍はある刀身を扱うのだから、すごいと思う。
ミレイは頬を緩ませながら、果実を手に取った。
切り口を見てみると粘着液は出ていない。指定した箇所をあの一瞬で切るだけではなく、六個同時に切り落としたのだから、ロスはかなりの腕前ではないのだろうか。ミレイは果実を袋に入れながら、問いかけた。
「ねえ、あの一瞬で他の果実は傷つけずに切り落とす、って難しくないの? 」
『そうなの〜。簡単に見えるのはロスだからなの〜』
「やっぱりそうだよね」
『姫は目の付け所が良いのじゃ。水の斬撃で柔らかい果実を切るのは、緻密なコントロールが必要なのじゃ。だから難易度高いはずなのに、騎士団長だったロスからすると、朝飯前なんじゃろう』
「騎士団長?! 」
不意にでてきた新情報に驚愕した。
『言わなかったか? 』
「聞いてないよ……」
思わずジト目でサンボウを見てしまう。この前の涙の件といい、自分や妖精達が絡む、身近な人の情報は早めに開示してほしい。
「ロスすごいんだね」
『別にすごくないぞ。それを言うならクウは王直属の近侍頭だし、サンボウは内務宰相じゃった』
ロスからも追加の新情報だ。
「えー! 」
『姫、叫んでばかりなの〜』クウが笑ってる。
「……そう言えば国の要職に就いてるって言ってたよね」
要職とは聞いていたけど、あまりの重要ポストぶりに驚きを隠せない。
「……みんなは水龍さまの傍らにいたんだね。それなら水龍さま──王様の存在を強く望むのもわかる気がする。サンボウから聞いたよ。臣下にも優しい王様だったんでしょ? 」
ミレイはゆったりと優しい笑みを浮かべ「起きてもらう方法、一緒に考えようね」と一人一人と視線を交わした。
妖精達は感動した面持ちで『ひめ……』と囁いた。
ガサッ ガサガサッ!!
突如、背後の草むらで音がした。
ヴヴッー……。
動物の唸り声だ。しかも一匹の声ではない、何匹もいる。
「えっ……。なに? 」
妖精達に緊張が走る。みんなでミレイを守るように前に立ちはだかる。
『……これは。ワズじゃ』
「ワズ……?」
『この辺りによくいる肉食獣じゃ。体は小さいがその分、機動力がある』
暗い茂みの向こうから、ゆっくりと獣が姿を表した。赤い目がギラギラとミレイを見据えていた。