第173話 王の間③
『……どういうことですか?』
マルティーノ卿から漏れた言葉は驚きに満ちていた。
『見たままの通りですよ』
それを返すシリックは、まるでボールを放るかのように、しれっと返した。
『……答えになっておりません』
マルティーノ卿の語尾に不快の色が滲む。
『そうだと思います。だからお呼びしました。言葉をいくら重ねても、信じられないと思いまして。実際、見聞きしたことなら信じざるを得ないでしょう?』
そう言うとシリックは鬱蒼と笑った。
お世辞にも誠意があるとは言えないやり取りに、空気がピリッと張り詰める。
『シリックよ。私をここに呼んだ意味を示せ』
そんななか、流石と言うべきか水龍はいつもと変わらなかった。
『失礼しました。我が王よ。つい楽しくなってしまいまして』
そう言って一人、楽しそうに笑ってみせる。
『はぁ〜。お前は人の神経を逆撫ですることに長けているが、今は円滑に話を進めたい。わかっているな?』
『もちろんでございます。それでは……』
話が進もうとするなか、ミレイはここだと、言わんばかりに勢いよく挙手をする。
「あ、あの! 少しよろしいでしょうか! 」
『どうした?』
全員の視線が向けられて、一瞬怯んでしまったが、ここで折れるわけにはいかない。
「話の腰を折ってすみません。水が青くなるのは良くないのでしょうか?」
『……』
「水盤に入れた石は私の涙ですよね?」
そうなのだ。深く考えると怖くなる。
私の涙の塊を水に沈めて、呪文を唱えたら、あら不思議! 水が青になっちゃった!
……なんて、ノリで片付けたくはない。
『ふむ。それもそうだな説明してやれ』
『わかりました。では水姫様。この国においての青の意味をご存知ですか?』
「それは勿論。王族の色ですよね」
『そのとおりです。王族しか持ち得ない色です。そして先程、ヒルダー卿に水姫様の涙──いわゆる体液を鑑定してもらいました』
「たいえき……」
『ヒルダー卿、鑑定結果をお願いします』
『……』
『ヒルダー?』
言葉に詰まったヒルダーを、水龍は訝しげに促した。 ヒルダーは一瞬、逡巡するとゆるく息を吐いて顔を上げた。王の命には迅速に応えなくてはならない。
『わかりました。──今代の水姫様は王家の血を引いていると思われます』
「………………は?」
ミレイの間の抜けた声と共に、静寂が訪れた。
『どういうことですか、ヒルダー卿』
絶句する私の隣でロスが語気を強め、クウは口を真一文字に結んで、目を見開いた。
初めて聞く者
予想がついていた者
そして、それを知っていた者
様々な表情と感情が入り乱れる。
『おいカリアス。そんなことがあり得るのか?』
『至極稀なケースでは、あるでしょうね』
ラウザの問にカリアスも曖昧に答える。
『かつては高位龍族が人界に赴いてニンゲンと縁を結ぶことはありましたが、それはあくまでも高位の者の話。龍王の血を受け継ぐ御方が、そんな軽率な真似をするとは……』
『……』
誰も何も言えなかった。
カリアスのいうとおりだからだ。
ロス以外、ここにいるのは王国のなかでも名家と言っても遜色のない高位の家柄の者ばかり。
王族王家を知ることは国を護ることに直結する為、幼き頃より教育されてきた。──学んできたからこそ、すぐには受け入れがたい事実。
『カリアス卿のおっしゃる通りです。僕も最初は信じられませんでした。だから調べることにしました』
『調べる、とは?』
マルティーノ卿の言葉にシリックは『行ってきました。水姫様の生まれた異界の地へ』と、まるで領地に行くような軽さで返した。
『!!』
『なかなか骨が折れましたよ。
水姫様の故郷の日本という国に赴き、御家族に話を聞きました』
「母に会ったんですか! 」
『はい』
思い掛けない言葉に、近くに歩みよると「……元気でしたか?」と、震える声で投げかけた。
『それは、もうお元気でしたよ。それにお会いして「姫」の血を受け継ぐ方だと、すぐにわかりました』
「そっか。元気なんだ……おかあさん」
安堵から膝から崩れ落ちそうになるのをロスが抱きとめてくれた。
『……姫。大丈夫か?』
『姫』
ロスとクウが顔を覗きこむそぶりで、思考が戻ってくる。
「……すみません。続けて下さい」
軽く鼻をすすりながら謝ると、サンボウは気にするなと、優しく笑って言ってくれた。
『話は多少割愛しますが、母君を言いくるめて、家系図を見せてもらい、系譜を遡りました。するとある時期から急に寿命が伸びていました』
「言いくるめてって、言葉は気になりますが……寿命に何の関係が……。あっ!」
『そうです。龍族の血の効果です。ただし、伸びただけだと普通の高位龍族の効果代わりはありません』
「? それはどう言う……」
投げかけた質問は見事にスルーされた。
『そこから先は系譜もないので、どうしようかと迷いましたが、幸いにも被検体がおりましたので、有効活用させて頂くことにしました』
「……被検体?」
なんか嫌な予感がする。
「あのぉ~。母に何かしました?」
『たいしたことはしていませんよ?
体液がほしかったので、唾液を少々頂きました』
「唾液……ですか? どうやって?」
よく知らない人に唾液を渡すってどんな状況よ。聞きたいような、聞きたくないような……。
『僕特製のドリンクをお飲み頂きました』
「……えっ。それだけですか?」
なんか意外とマトモ。警戒しすぎたかな?
『絶対、普通のドリンクじゃないですよね?』
むしろサンボウの警戒心が止まらない。
『当たり前でしょう。甘美なる匂いに誘われて口に含んだら最後、嚥下するのには勇気がいる代物です』
「なっ! なんて物を人の親に飲ませてるんですか!」
『おや、お怒りのようですね』
いけしゃあしゃあと、この男は!
「当たり前でしょう?! もっと別の方法はなかったんですか?」
『ふむ。別の方法ですか。
それだと傷をつけて血を貰うか、心を痛めつけて涙を流してもらうか、どちらかになりますね。あともう一つありますが、そちらは気が進まないので候補にいれませんでした。──ちなみに対象は水姫様の母君と直系血縁女性になります』
大真面目に言ってのける男を見て、ミレイは目元を覆って項垂れた。
……どれもナシでしょう。
「わかりました。まだマシの方法だって事ですね。──ちなみに直系血縁女性ってことは、おばあちゃんにもそのドリンク飲ませたんですか?」
おばあちゃんはおっとりしていて、いつも笑ってるような人だ。たしかもうすぐ80歳になるはず……まさかそんなお年寄りに……
『ええ。お飲み頂きましたよ。』
マジかーー!
本当に容赦なしなんだね。
『お祖母様は目に涙を浮かべながら、美味しいですと、健気にお飲みになっておりましたねぇ。
意図せず涙の採取も叶いましたし、上々の収穫でした。もちろんそちらもありがたく頂戴し、活用させて頂きましたよ。──そうそう品のある可愛らしいお祖母様ですね」
最後のはフォローのつもり?
「……採取とか収穫とか……お年寄りに何してるんですか。そもそもまずいドリンク飲ませる意味は?」
『ドリンクの残りを回収して、液体に混ざった唾液を鑑定します。だから美味なるお味だと飲み干されてしまうので意味がないんですよ』
「そう、ですか……」
一応、意味はあるんだね。と、謎の納得した自分に後から驚愕した。
『コホン。話を戻すとしようか』
不意にヒルダー様から声をかけられた。どうやら軌道修正をしてくれるらしい。正直、助かる。
「はい」
『御母堂や他の方々の体液を鑑定したところ、全員から微量の「青の血」が検出された。
それは数代前の王族の方ではないか、と目星もついている』
「王族? 王さまじゃなくて?」
『もちろんだ。龍王陛下が外で子を成したとなれば、それはいかなる理由があっても国にお連れする事案だ。』
「そう、なんですか?」
お妾さんの子供って扱いになるのかなぁ? イマイチよくわからない。
『おそらくだが、お忍びで外遊に出掛けた際にニンゲンの娘であるお前の先祖に惹かれ、逢瀬を重ねたのであろう』
「そう、ですか」
『フォッ。ニンゲンである水姫様には、根本的なところてご理解頂けてないご様子』
「……すみません」
『なんの、なんの。ふむ、まずは──』
たっぷり間をおいて大神官様が話を始めた。それは私の認識とはかけ離れている内容だった。