第172話 王の間②
それにしてもここ、本当に広いよねぇ。テニスコート何面分よ。しかもこれ……大理石だよね?
進む話に耳を傾けてはいても、ミレイは王の間の美しさに意識を奪われていた。
シリック様と水龍さまの背後に見えるのは、白い祭壇らしきもの。
地面から三メートル程の高さのところに、少しせり出した台が見える。大きな鏡を中心に左右に国旗が掲揚され、その前には青色の大きな宝石が飾られている。更に上を見上げると、祭壇の一部が高く伸び、壁面の龍の彫り物は今にも壁から出てきそうなほど、リアルで見事だった。そして最上部には大きな銀色のお皿が設置されている。
あれは、あの時のお皿……だよね?
裏手から駆け上がって無我夢中で水龍さまに向かって落とした銀色のお皿。アレのおかげで水龍さまは起きたようなものだし……。うん、ここはひとつ拝んでおくか。
『……レイ』
「……」
両手を合わせて日本式で拝んでいると、不意に名前を呼ばれた気がした。
『ミレイ!』
「っ、はい!!」
学生並みの良い返事を返したミレイは、その場にいる全員が自分を見てることに気がついた
『何をしている?』
「……ははっ」
恥ずかしくて、笑って誤魔化したミレイの前には訝しげに、でも気遣うそぶりも見せてくれる水龍さまがいた。やっとその視界に入れたことに、ミレイは無意識に頬を緩ませた。
「なんでもありません」と、笑顔で水龍さまに返したはずだったが、何故か水龍さまの背後から『では、宜しいですか?』と、返ってくるではないか。声の主は、言わずとしれたシリック様。
「……えっ……と」
いきなりすぎて正直、何がよろしいのか分からない。
でも、わからないのは聞いてなかった自分の落ち度のため、もう一度聞き返すのは躊躇われた。
『……はぁ。まずは水姫様の涙を検証するところから始めましょうか、と話しておりました』
「なるほど!」
シリック様の声の冷ややかなこと。
呆れてるんだろうなぁーー。
「もちろん、大丈夫です!」
大げさなほど、頷いてみせる。
いけない。私に関わることって言ってたし、ちゃんと聞いてないとね。
とりあえず、意識を集中して……
感情を高めて……
ほろ…… ほろ……
いくつもの涙が、ミレイの頬を伝い、結晶石となって手の平にこぼれ落ちていく。
『ほぉ。すぐに泣けるとは素晴らしいですね。ありがとうございます』
シリックは絹のハンカチの上に涙の結晶石を乗せると、水龍に見せたあと、そのままヒルダーに手渡した。
『では、皆さんが気になっている、この結晶石をこれから鑑定します』
『鑑定? ……そうか、その方法が』
小さく呟いたマルティーノ卿は、初めて見る結晶石を注意深く見つめていた。
ヒルダーは、水を張った銀色の水盤に結晶石をそっと入れた。そして手を翳して厳かに詠唱を唱え始める。すると程なくして、水盤の中に陣が浮かび上がり、結晶石からプクプクと小さな気泡が出てくるではないか。やがて水盤のなかは、淡い光に満たされた。
「……きれい」
思わず見惚れて言葉を零したミレイに、ヒルダーは一瞬視線を投げかけると、複雑そうな笑みを湛えた。
『鑑定の結果が出るまで、少々時間が必要となりますので、その間にここに至るまての経緯でも聞きましょうか』
シリックの言葉で全員が、水盤から視線を上げた。
『……経緯を聞くのですか? 話すのではなく?』
言葉尻をとらえたのはサンボウだった。
たしかに私も、あれ? って思ったけど。
サンボウ……実のお父さんだよね? そんなに警戒しなくても……。
二人の親子関係がちょっと心配だ。
『えぇ、僕達は聞き手ですから。話し手は……わかりますよね? 君達です』
そう言って向けられた手は、私と三人の元妖精に向けられていた。
『……いきなりだな』
『たしかに、こういう方ではあったの』
『……』
クウとロスの会話には、既に諦めの色が浮かんでいる。シリックの人となりを知っているだけに、抵抗する気も起きないのだろう。ただ一人、サンボウは無言でシリックを見つめていた。
「はいはい。どこから話せばいいのかしら?」
そんな二人の空気を感じ取り、ミレイはポンとサンボウの背中を叩くと、にこやかに笑いかけた。
『さすが水姫様は話が早いですね』
「先程、マルティーノ卿が時間は有限だと仰っていたでしょう? 私もそう思います。……あとはシリック様から逃げられる気がしないので、協力した方が早く終わるかな、と思いまして」
両手を広げて、古めかしいアメリカンジョークのポーズをとると、大神官様は『フォッフォッフォ』と場を和ませるように笑ってくれた。
『たしかにその通りだな。……じゃあ。どこからだ? 姫を呼び寄せたところからか? ──あれは』
腕組みをして、さっさと話を始めたロスにシリックは『いいえ』と言葉を遮った。
『あえてミレイ殿を選んで、召喚したんですよね。その理由からお聞きしたい』
『そんなの決まってる。姫は姫だからだ』
『……』
溜め息が混じりそうなほどの沈黙。
でも、誰も突っ込まないのは、ロスが騎士団長の職にあるからだろう。あえて恥を欠かせてる必要はないと、みんなが配慮した結果だ。
『……ロス、私が変わろう』
『うん。そのほうがいいの』
両肩をポンと二人から叩かれ、ロスも自分向きではないな、と早々に自身に見切りをつけた。
『……ここは任せる。
狐のばかし合いに、狸がしゃしゃり出れば、食い散らかされて無残な目にあうのは目に見えているからな』
『ぶはっ! ヤン団長、なかなか上手いじゃないか』
それまで静観していたラウザが、ここぞとばかりにガハハと笑いだした。
「たしかに、ロスにしては上手いかも」
『ひめ……』
ポツリと漏れた一言に、サンボウは笑顔を強張らせた。それにより糸目が更に際立ち、狐を連想させてしまう。
「あっ! 違うのよ。そういう意味じゃないの!
シリック様の腹黒さと不気味さは私の知る限り一番だもん! ロスじゃ美味しく料理されちゃうし、クウだって腹黒の毛色が違うし……。ここはやっぱりサンボウじゃないと太刀打ちできないって言いたかったのよ! ──そう! ほら、似たもの親子っていうじゃない!」
『……』
いやーーな沈黙が流れた。
『ブハッッ! 嬢ちゃん、それフォローのつもりか?』
「……」
あれぇ? 間違った……気がする。
爆笑するラウザにつられてカリアスも控えめに失笑し、ヒルダーと水龍は苦笑いを浮かべるに留めた。そんななか、とばっちりを受けたクウは、小さく『姫に腹黒認定されるなんて……』と呟いていた。
『いやはや。真っ向から噛みつかれるのは久しぶりですねぇ。やはりそういう輩は必要ですよね。 ……ちなみに目が細いのは遺伝ですよ?』
何故か上機嫌になったシリックとは違い、サンボウは片手で顔を覆って『……はらぐろ? ……ぶきみ?』と、致命傷ばりのダメージを負っていた。
そんなサンボウを見て申し訳なく思ったのか、ロスはサンボウの耳元でなにか囁いた。
『まぁまぁ、そもそも経緯を聞くだけですよね。そこまで身構えなくても良いのでは?』
カリアスは笑った詫びのつもりなのか、仲介のように双方を促した。
『その通りです。何でも含みがあると思われるのは、心外ですねえ』
『それは今までのあなたの行いのせいでしょう』
ピリッと棘を含んだ言葉で反論したのは、傷心のサンボウだ。
『……あぁ。たしかに国に尽くした功績を考えれば、致し方ないのか。お前のように、宰相の地位にありながら──』
「ストップ!!」
不穏な空気を醸し出した二人の間に割って入り「話を進めませんか?」と、半ば強引に軌道修正を試みる。
すると、サンボウは空気を読んで諦めたように溜め息をつくと『では……』と話を始めた。
良くやった、とばかりにカリアスがミレイに向かってウインクをする。
良かった〜。
ほっと胸を撫で下ろしてる間にも、話は進んでいく。
サンボウの話は、こっちの世界に来たばかりの頃、説明された内容だった。
──私の御先祖様は、遥か昔、龍族と婚姻関係を結んだことがあったという。その血は脈々と受け継がれ、覚醒遺伝によって『力』を取り戻しつつあったこと。お母さんも対象だったけど、まだ力が弱かった為に、私一人に的を絞ったことなど、淡々と話は進んでいく。
それから瑞獣と出会い、腕輪を得て、水龍さまと龍湖で出会ったこと。
うーーん。自分の身におきたことなのに、客観的に聞くとファンタジー要素が強すぎて、イタイ案件じゃない? コレ……。
複雑な気持ちで聞いていると、不意にチカッと何かが光った気がした。そちらを向くとヒルダー様と水盤が視界に入る。
まるで吸い寄せられるように、足が向いた。
水盤の中の結晶石を覗きこむと、少し小さくなってはいるが、変わらず小さな気泡を出している。
これ、お風呂の入浴剤みたい。
炭酸泉仕様の入浴剤ってこんな感じだったよねぇ。
「どれくらいかかるんですか?」
『まだじゃ。次の段階に進むには、結晶石が完全に水に溶けてからではないと無理だ』
「そうなんですね。……なんだか……ずっと見てられる」
『……そうか。まぁお前の一部だからな』
フッと微笑みあったその時、腕輪がじんわりと熱をもった気がした。
「えっ?」
『なんだ?』
「……あったかい?」
まるで共鳴してるように、腕輪に熱が籠もる。
パァーッ!
『……ッ! なんだ?!』
誰かの声と光が重なった。
水盤が一層の強い光を放ったのだ。
しかし収束するように水面の光が落ち着いていくと、先程まであった結晶石の欠片は完全に溶けて、水と一体化していた。
『あれ? なくなっちゃった』
『これは……。水姫が近くにいるためだろうか。あとは……』
ヒルダーはチラリとミレイの腕輪に目をやると、急いで古い書物を開いて、更に詠唱を重ねる。龍王国の言葉に慣れたミレイであっても、ヒルダーの言葉は理解できなかった。しかしその集中力は先程の比ではなく、口にするのは躊躇われた。
『今は使われていない言語だ』
「そうなんですか?」
『あぁ。だから鑑定の術式を使える者も限られてくるのだ』
説明の内容よりも、水龍さまが私の心情を理解してくれたのが嬉しかった。
遠巻きに状況を見ていた者達も、水盤の周りに集まってくる。すると水盤の中の水が、徐々に青味掛かってくるではないか。
『……これは、どういうことですか?』
そう、言葉にしたのはマルティーノ卿だった。
『青』は王族の色。
それは建国以来変わらぬこと。
その色を纏うのは厳しく禁じられているし、実際禁色として処罰の対象にもなり得るのだ。
更にいうと、多種多様な髪の色、眼の色の者が生まれる龍族のなかでも、『青』を有して生まれてくる者はいない。
そう、王族以外
──『青』は血で継承する王家の色だ