第16話 森、再び①
この日、私は考えことをしていた。
数日前から新たな「ハンコ作り」に挑戦していたのだ。何故かと言うと、それはもちろん村人達にリベンジを果たすため。
『なんでハンコなの? 』
「この前、子供達はハンコに興味津々だったのよ。だから自分で押せたら楽しいかな、と思ったの」
傍らで聞いていたリリスさんは賛成してくれた。村には娯楽が少ないので、喜ぶだろうと。
「名付けて、子供から懐柔作戦よ! 」
「懐柔ってあんたね……。身も蓋もない」
『ひねりもないのじゃ』
リリスさんとサンボウに呆れ顔で言われたが、知ったことではない。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、と言うでしょ。だからまず子供から手懐けるのよ 」
「将を……なんだって?」
「私の国の言葉なんです。目的を達成するには、直接ねらうのではなく、まず周囲のものにダメージを与えたり、味方につけたりするのが良いって言う。まあ、たとえですけどね」
「……そうなんだね」
リリスさんが若干引いてる。どうしよう。
『姫よ。それは智略、謀略で使われる手段じゃが……。村を落としたいのか? 』
「えっ! 違うよ。なんでそんな物騒な話になってるの? 」
『でも姫の話を聞いてると物騒なのじゃ。のう? 』
ロスがリリスさんに同意を求める。
「そうだねぇ。最初は子供達が遊べる物を作りたいって意味だと思ってただけに、ギャップがねぇ〜」
『清らかな水姫のイメージとは、ほど遠いの〜』
「なんで?! 」
『村人をぎゃふんと言わせたい、と楽しそうに策略を練る様子を見ていると、悪役令嬢とはこんな感じなのか、と思えてくるのじゃ』
サンボウが呟くと、クウとロスがまじまじと私を見てきて『これが悪役令嬢か』などと言ってくる。
「違うから! 私は令嬢じゃないし、そもそも悪役でもないし」
「なんだい? その悪役令嬢って言うのは……」
『姫の国の本に、異世界に渡るための教本のような代物があってな、その中の登場人物じゃ』
「そんな本があるなんて、すごいんだね〜」
「いや、違いますよ。異世界に渡るための本、なんて売ってないですから」
あまりにも現実離れしているし、勝手に教本にランクアップしないで欲しい。
そんなことより話を進めましょう、と話を区切る。
「前回の野菜ハンコだと時間が経つと水分が出てしまうし、保存がきかないので、それに変わる物としてコレ! 木で作った本物のハンコ」
目の前にはいくつかのハンコが並んでいる。
柔らかい木を削り、子供が持ちやすい大きさに工夫もした。多少の粗さはあるけど、それも味だと思う。
「ここまでは良いとして、次はインクに着手したいけど、材料がね〜」
『この前の花の汁ではだめなの〜? 』
「花や葉の汁は今回も使うけど、木のハンコならインクも粘度が必要になるの 」
それなら……とリリスさんが奥の部屋に消えて、戻ってきた時には白い果実を手にしていた。森に行った日に、リリスさんが帰路の途中で取ってくれた果実だ。味は無味無臭で、粘度があるので食用以外にも使われるらしい。
「それだリリスさん! 食用なら万が一、子供が口にしても安全だし、良いかも」
「それならあとで森に取りに行こうか」
リリスさんは何気なく提案してくれたが、ハンコの材料となる木を切りに行った時も同行して貰ったので、何度も手数をかけるのは悪い気もした。私が迷っていると妖精達から予想外の提案を受けた。
『それなら私等が付き添うのじゃ』
『名案じゃ。森の中のことはわかっているし、果実ならクウが知っているのじゃ』
「クウわかるの?」私は少し意外だった。
『もちろんなの。一度見たものは忘れないの』
「それはすごいね。……食べ物限定? 」
『そんなことないの! 記憶力は自信あるの! 』
クウの頬がプクっと膨れた。
『……仕方がない。ぬしは食べ物のことばかりじゃ。だから姫に誤解されるのじゃ』サンボウがククッと笑い、ロスに至っては、しゃがみこんで肩を震わせている。
そんなに笑う?
『あ〜おかしい。姫よ。これでもクウは王宮一の記憶力の持ち主と言われていたのじゃ』
「そうなの?! 」
『抜けてるところもあるがな』
『サンボウは一言余計なの! 』
クウがぷりぷり怒っている。
大福みたいなほっぺがプクっと膨れて、焼き立てのお餅の膨らむ瞬間みたいだ。
「ミレイ、それならみんなにお願いするかい? 」
クウのほっぺに目を奪われていると、リリスさんに声をかけられた。我にかえると少し恥ずかしい。
「そうします。リリスさん、今日は暖かくて風もないし、絶好のお昼寝日和だと思いますよ?」
にっこり笑って窓の外を指さすと、雲一つない青空だった。するとリリスさんも「そうしようかね」と緩やかに笑った。私がきてから賑やかになったはずだし、たまにはゆっくり休んで欲しい。
よし。食事を済ませたら出発だ!
◇ ◇ ◇
「今更だけど、危険な動物はいないの?」
妖精達と森の中を進みながら、肩に止まっているサンボウに話しかけた。
上を見ると、樹上にリスのような、かわいらしい尻尾の動物がいる。しかし私の知っているリスよりも首が長く、爪も鋭い。足下に見える大きな花もとても美しいが、食虫植物だったらしく、食事の真っ最中だった。
『もちろんいるぞ。しかし我らを相手に牙を向くわけがないのじゃ』
「そうな……の? 」
理由を尋ねようとしたら、後ろにいたはずのクウが果実を持って現れた。
『これはプリメラと言って、とても甘くておいしいの〜。姫、食べてなの〜』
グレープフルーツ位の大きさの緑色の実をしていて、匂いもしないし一見、未成熟のようにみえた。私は座り込み、ナイフを取り出して半分に切って見ようとしたけど、ナイフがなかなか入らない。するとロスが『姫、上に放るのじゃ』と言うので、戸惑いながらもその通りにすると……
スパッ!
ロスの手から水が出たと思ったら、ナイフのようになり、鮮やかに切って見せた。一瞬の出来事だった。
「えっ!! 」
落ちる実を二つずつ、クウとサンボウが水の渦のようなもので下から支えた。すると、ブワッと甘い芳香が辺りを漂い、鼻孔を支配した。
「なにこの甘い匂い! 果物もおいしそうだけど、ロス。今のなに? 」
『水の刃で切っただけじゃ』
「だけって……」
私は唖然としてしまった。
よく見たら果実は四等分になっている。全く気づかなかったが、二回切っていたようだ。クウに勧められるままに、がぶりと齧り付くと口の中にジューシーな果汁が溢れてくる。
「おいしい!! 」
『良かったの〜』
クウはとっても嬉しそうだ。
濃密な芳香具合から、ねっとりした果肉を想像したが、意外にもさっぱりしていて驚いた。四等分の内の一個をクウが、あと一個をロスとサンボウで食べている。
「せっかく四等分になってるし、一個ずつ食べたら?」
『いいのじゃ』
『我等の体は小さいし、これで十分じゃ』
『姫にたくさん食べて欲しいの〜』
「……ありがと」
私は厚意に甘えて二個食べることにした。
プリメラを食べ終え、再び歩き出したところで、話題は出会った日の話になった。
「初めは会話が成立しなくて本当に困ったのよ」
『そうだったの? 』
「そうよ。こっちの質問にも応えてよ!……って思ってたんだから」
『姫に会えたのが喜ばしくての〜。すまなかったのじゃ』
前にいたロスが振り返り、肩のクウがしゅんとする。サンボウは私の隣に移動してきた。私は笑いながら、質問を投げかけた。
「それにしても随分、話し方が流暢になったよね。初めはもっと短い言葉で話してた気がするの」
『そうなの?』
『クウはあまり、変わっていないように思えるがな』
『そんなことないの』
ロスとクウのやり取りをサンボウはスルーして、話を続けた。
『たしかに以前より、頭がすっきりしたような、思考がまとまる感覚はあるのじゃ。理由としたら、姫の……水姫様の涙じゃろう』
「私の涙ってなにそれ? 初耳だよ? 」
『当たり前じゃ。今言ったのだからな』
思わず立ち止まって頭を振る。
お前は俺様か?!
漫画なら頭に怒りマークがついているところだ。
「それで涙が何?」 と半ば、投げやりな口調で尋ねると、予想外の回答がかえってきた。
『飲んだのじゃ』
「……は? 」
『泣かすのに苦労したの〜』
「……えっ? 」
『清らかで美味じゃった』
「ちょっと待って。いろいろ、どういうこと?」
『精霊と妖精がいる世界はここともまた違うのじゃ。こちらの世界で具現化するには龍の眷属たる水姫様の涙が必要だったのじゃ。』
『だからくすぐったの〜』
ミレイはいろいろと合点がいった。
『水姫様の涙は特殊な力を持っていて、他者に力を与えることができるのじゃ。言語以外にも我等はいろいろと救われたのじゃ』
「……そうなんだ」
正直、解らないこともあるけど、救われたと言われるとそれ以上何も聞けない。聞いても眷属とか妖精と言われても、馴染みがないから結局、話半分になってしまう。
『たしかこの辺りだったの〜』
クウが辺りを見回すと、見覚えのある木が見えた。
「あれ。もう着いたの? 前はもっと疲労困憊だったよ」
『プリメラの実には疲労回復効果があるの〜。姫は平坦な道には慣れてるけど、森道には慣れてないと思ったから良かったの〜』
「……」
だから二個って言ったのね。
それにしても「平坦な道ばかりって、よく知ってるね」と、口に出そうになって辞めた。風木さんのことも含めて、あとでまとめて聞いた方が良いがする。
それよりも今は目当てのゼゴウスの実だ。ミレイはその大きな木を見上げた。
ミレイも妖精達も話に夢中で気づかなかった。
遠くからミレイをじっと見つめる赤い目に……。