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第168話 湖の畔にて⑥

 


 何が起きたのかすぐにはわからなくて、厚い胸板を押して抵抗したけど、ふと、疑問が湧いた。

 だって私は水龍さまが好きで、水龍さまも好きだと言ってくれた。それなら、拒む理由なんて……


「……んっ」


 角度を変えながら何度も合わさる唇に、頭の芯が痺れてくる。この前みたいな掠めるようなキスじゃなくて、恋人にするようなキス。


 食べられちゃうような……って、聞いたことはあるけど本当に、こんな……


「すい……りゅ……」


 キスなんて別に初めてじゃない

 でも、なんだろぅ……この感覚

 何も考えられなくて……


 酸欠……なのかな、頭がくらくらしてくる。


 水龍さまに抱きすくめられるようにして、腰を攫われた。何も考えるなと、言わんばかりの強い力に、知らずと私の心も震えた。


「……みれい」


 熱い吐息が触れ合う距離で唇が離された。

 その時、視界に入ったのは余裕のない、色に濡れた相貌。

 それはみんなが敬う賢王としての水龍さまじゃなくて、一人の男の顔をしていた。


 かぁーーっと、体が熱くなる。

 疼くような震えが下腹部から体の奥に走り、体がずるりと沈む気がした。咄嗟に太い首に腕を絡めて、救いを求める。

 私の腰を支えていた腕は優しく包み込むようなものへと変わり、ほっとして全てを委ねると、思いの(ほか)、楽になった。


 体の奥から共鳴するような不思議な感覚




 ──それから、どれ位の時間が過ぎたのだろうか。


 緩やかな風が草を揺らし、湖の冷たい冷気が火照った頬と熱い体を冷やしてくれた。

 ようやく冷静さを取り戻したミレイは、先程までの痴態(ちたい)と今の自分の現状を理解して、羞恥に身悶えることとなる。


 いつの間にお膝抱っこ?

 あれか? 私がぼんやりしてる間にってこと?

 ……それにしても。かんっぜんに、流されたーー!


 チラリと見上げると、怒涛のキス攻撃を仕掛けた本人は、満足げな顔でミレイの髪に頬に触れ、視線が合うと優しく瞼にキスを落とすではないか。


「いつものポーカーフェイスが崩れてますよ」


 恥ずかしくて、いたたまれなくて、敢えてぶっきらぼうに突き放す。


『そうか? でも問題ない。あれは仕事用だからな』


 そう言うと、だらしないくらいに目尻を下げて、きつく抱きしめてくる。


 悪い気はしないけど……ね

 実際、こんなに求められたのは初めてだし?


 恋愛から遠ざかっていたのもあるけど、もともとこんな情熱的な恋なんてした事ない。

 だからむず痒いような、恥ずかしい気持ちもあるけど、それ以上に自分の体が熱をもってるのも事実だった。


 こんなに熱いのは、くっついてるせいよ!


『……色恋に気力を割く者の気持ちがわからなかったが、たしかにある意味、仕事より重要かもしれんな』

「?」


 チュッと髪に軽いキスを落とされた。


『これほどの幸福感は、国を救おうとも、いかに上手に相手を出し抜こうとも得られぬ快感だと、言うことだ』


 ミレイのぷっくりした下唇に親指が触れ、そっと滑っていく。


『想いが通じ合えば、なおさら……な』


 そしてその親指をペロリ舐め上げ、フッと笑う。


「?!」


 声にならない声、とはまさにコレのことだろう。

 セリフも行動も、なんなら顔までも全てがキマってる。

『ご尊顔』と讃えられるべきイケメンが、溢れんばかりの色気を纏って笑ってるのだ。これに耐えうる強心の女性がいるだろうか? いや、いない!


『大丈夫か?』

「……だいじょうぶ、です」


 意味もなく鼻を押さえてしまう。

 気丈に笑ってみせるが、直視できる気がしない。


 ……酸素がほしい


『それなら良いが……。

 ふむ。もし大丈夫なら……いいだろうか?』


 探るような、それでいて期待に満ちた目。


「なにがですか?」


『あぁ……そうか。説明していなかったな。

 婚約の成立は、互いに口づけを交わすことで成立するんだ。だからミレイからも私に、だな……』


 コホンと咳払いをして、少し照れくさそうに笑う仕草は、ちょっとかわいい。


 ……じゃ、なくて!!


「婚約の成立?」

『ああ!』

「……誰と誰の?」

『? 私とお前に決まってるだろう?』

「……えっ?」


 ビミョーーな空気が流れ、重い沈黙が場を支配する。


『さっき私の求婚を受けただろう?』

「求婚ってアレですよね? (そう、あのキス!)

 でも受けるも何も、いきなりだったじゃないですか!」

『うっ! ……それは、だな。でもミレイだって、うっとりして私に身をゆだね──』


 慌てて水龍さまの口を塞いだ。


 ダメでしょぉ?

 そういうのは口に出しちゃダメなヤツ。

 紳士のマナー、どこに置いてきた!


「…………それはソレ。これはコレ、なんです」


 目はあさっての方を向きつつ、反論を試みる。

 すると『……はぁ?』と、重くひくーーい声が返ってきた。


 ひぃっっーー!!

 こわいよぉぉーー!


『……。お前は私のことを弄んだのか?』


「なんでそうなるんですか! 弄んでなんていません!」

『では、私のことは好きか?』


 真っ直ぐに見つめられて、目をそらすことは憚れる。むしろ目をそらしたら傷つけてしまう気がした。


「……それは」

『そうか。……嫌い、なのか』


 寂しそうな横顔に、銀色の髪がかかり影をつくる。胸がツキンと痛む。


「違います! 嫌いなわけないでしょ?! 

 嫌いだったら絶対、抵抗してるし、受け入れたりしませんから!」


『…………本当か?』


「あたりまえでしょ! そういうのは好きな人とじゃないと──……」


 感情に任せてぶち撒けた。

 ハッとして口を押さえた時には、もう遅い。


『そうだよな。好きな者とする行為だよなぁ?』


 目の前に悪い顔をして、ほくそ笑む男がいた。


「!! ……まさか」

『どうした?』


「……騙しました?」と、私が睨みつけると、水龍さまは『なんのことだ?』と綺麗に笑ってみせた。


 くやしいぃーー!!

 やられた!


 好きなのは事実だし、本来はやられたも何もないのだが、ミレイは単純に悔しかった。


『ミレイ、私の全てでお前を愛すと約束しよう。

だからお前の身も心も、全てを私に私に与えて欲しい。

 ──もちろん心配はいらないぞ。お前はただ私に口づけをすればいいのだ。それで婚約成立となる』


 上機嫌な顔をしたイケメンは、額にキスを落として、耳元でこう付け加えた。


 ……そうすれば、お前は私だけのものだ。


「……」


 冷水を浴びたような気持ちになった。

 なんなら体まで冷えた気がする。


 強引な俺様キャラのようなセリフのせいか。

 それとも囁かれた言葉が重いせいか。あるいは蒼の瞳に再び怪しげ光が宿ったためか?


 いや、全部でしょぉ?!

 これは……にげるべき、では?


 思い立つのと同時に、即実行に移すことにした。

 しかし腰にまわされた太い腕は、容易には引き剥がせなかった。それでもジタバタと藻掻いてみるけど『甘美なる檻』は鉄壁の護りを備えていた。


 この手さえ外れれば! 

 ……なのに、動かない! 


 当然ながら重い剣を振り回す、鍛えぬいた男に、細腕が叶うわけもなく……


「この手を離してください!」

『……なぜ?』


 全力で抵抗する様子を背後から愉しそうに眺める水龍さまは、余裕しゃくしゃくで……それが私の癇に障った。


「このままだと捕らわれそうだからですよ。もう離して!」と少し語気を強める。


 髪を乱し、服の裾を乱し、息を乱して抜けだそうとする。それが水龍には堪らなく可愛らしく思えた。

 その意思の強さ、予想もできない行動力こそ水龍の最も好ましいところだと知らずに……。


『あぁ……やっぱりいいな』


 キッと睨みつける様も愛おしい。



「……水龍さま?」


 ──唐突に、空気が変わった? と思った。

 夜会や仕事中みたいな恐怖や萎縮を与えるものでは無いのに、なぜか落ち着かない。


『気づいていないのか? お前はもう、囚われているんだよ。──ミレイ』


 おとがいに手が添えられ、水龍さまの宝石のような蒼い瞳に私が映りこむ。



 ──ふと、先日のお茶会で、シャーリー嬢に言われた別れ際のひと言を思い出した。


『ミレイ様、お気をつけあそばせ。

 龍族は人型をとってはいますが、元は肉食動物ですのよ。逃げる獲物ほど胸が高鳴りますの』


 ──目の前には鬱蒼と微笑む、それはそれは美しい獣。


 瞼の底から針のような光がのぞく。



 そのまま魅入られるように見上げていると、なぜかその麗しい顔がどんどんと近づいてくる。


「!!」


 我に返った私は、なんとか寸前のところで水龍さまの口を押さえて阻止をする。


『この手はなんだ?』

「水龍さまこそ、何をしようとしました?」


 さっきまで私の首の辺りから顔を覗かせていたのに、何故か今は正面にあるではないか。おまけに鼻腔を草花のむせるような香りが充満している。 


 そう。知らぬ間に私は地面に押し倒されていたのだ。


 なんなのこれ、いつの間に?


『そんなの決まってるだろう? 

 もう一度お前を味わいたくてな』

「なっっ!」


 これは怒っていいよね?

 無断でまたキスしようとしたばかりか、あ、味わう……とか。


『だめか?』

「だめです! それに婚約の為なら、さっきしたでしょう?」

『あれは儀式として必要だったからな。

 今は私がしたいと思ったからだ』

「なっっ……!」


 平然と言ってのけるこの男に、羞恥心は無いのか!!


「……あ、ちょっと、ま、ま待って!

 だめですってば!」


 いつかの月の夜と同じく、両の肘を顔の側に置かれ、至近距離で顔を覗き込まれる。しかしあの夜と違うのは、その顔はとても不服そうだということ。


『お前のことが好きなんだ。……いいだろう?』


 手首から手の平を優しく滑るように握り込まれる。

 そう、逃げられないように……


 思考が停止し、言葉を紡げないでいると、どこからか『だめーー!』っと、可愛らしい声が聞こえてきた。


 一拍後。

 二人で声の方を見やると、湖から先程の人魚の子供達がこちらを見ていた。


「さっきの……」


『だめなのーー!』

『おねえちゃん、食べちゃだめ!』

『ごはんじゃないの……』


()()()の意味が少し違うけど……。う〜ん。そうねえ』


 大人の人魚さんもいた。

 現状を省みて、沸騰するかの如くミレイの頬は真っ赤に染まった。


『お前達、邪魔をするな』


 そんな中でも、この男は柳眉を顰めて、一層不機嫌そうにしていた。


『そう言われましても、子供もいるので教育上、配慮して頂きたく』

『そうですわ。お二人の嗜好に言及するつもりはありませんが、場所も場所ですからねえ。……向こうの森の奥とかなら、まだ』


「?!」


 顔を見合わせる二人の人魚に、私は反射的に水龍さまの頬をパアーーンと叩いて、下から脱出した。


「水龍さまのバカーー!」


 この国に来てから一番の声が出た。


 不敬罪なんて知るものか! 

 悪いのは全部この男だ!



 ──静かな湖の畔に、小気味よい音に続いてミレイの声が響き渡る。それは少し離れたガゼボまで聞こえたと言う。


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