第166話 湖の畔にて④
『実はな……』
「ちょっと待ってください!」
いったい何なんだ。今日は遮られてばかりだな。
経験したことのない事態に、少し眉を潜めたが『なんだ?』と、とりあえず話を促してみる。
ミレイは水龍の膝の上から降りると正面にちょこんと座った。
「今、気づいたんですが、私….湖に落ちましたよね? なのに何で生きてるんですか?」
──そうなのだ。子供人魚に引っ張られて湖に落ちた。−10℃の湖に……。
でも、そんなに冷たいとは思わなかったよ!
「まさか何か別の影響が出るとか?
龍族ではありえないような特異なことが……」
『……おい』
ミレイの表情が固まっていく。
「だって! 龍族にとって特別な湖なんですよね? 人間の私が入ったら……」
小声で「……祟られる?」などと呟いている。
……そうくるか。なんでそうなるんだ。
思考回路がわからない。
水龍は額に手をあてて、天を仰いだ。
『ふーー、大丈夫だ。祟られない』
「ほんとに?」
『本当だ!』
力強く念押しをすると、安心したように息をついた。
なんなんだ、このやり取りは!
私は今日は思いの丈を伝えようと、いろいろ考えて……
立てた片膝に右手を乗せて、クシャリと乱雑に前髪をかきあげた。
ガゼボといい、人魚の子供といい、思い描いていた逢瀬と違う展開ばかり。
『……はぁーー』
「水龍……さま?」
──思い通りにいかない。
「……ごめんなさい」
怒っていると思ったのか、ミレイはシュンとした面持ちて謝罪をした。
その様子を見て、水龍は己の矛盾に気がついた。
思い通りにいかない?
当たり前だ。
そんなところに惹かれたんだろうが。
──単純で無礼な女だと思っていたら勘が良くて聡明だし、度胸のある女だと惚れ直したら、こんなボケをしてくるし!
まったく。
初なところもあって……愛嬌もある。でも果てしなく鈍い。
だから私がこんな想いを抱えてることに気づきもしない
『……はぁ。私はすべての水を統べる龍王なんだがなぁ』
「水龍さま?」
重い溜息をつけば、心配そうに顔色をうかがってくる。
誰のせいだと、ツッコミたくなるような状況なのに、そんな仕草も可愛いと思ってしまうのだから、大概だろう。
『そのネックレスと、あと腕輪の力もあるだろうな』
「ネック……レス?」
ミレイはキョトンとしながら、そっと指でつまみ上げる。
もらった日から毎日身に着けているネックレスは、ミレイの一番のお気に入りだ。
『その宝石は、この湖から採掘した鉱石を使っている。もともと特別な力があるが、更に私の力も籠めてある』
「……これって、ここの宝石なんですか?」
『あぁ』
「だって王族しか身に着けられないって言ってましたよね?」
どういうこと?
意味がわからない。
ミレイは胸の内が、ザワリと波打つのを感じた。
『王族からの贈り物なら問題ない』
「だからと言ってそんな、高価で……希少なものを……」
──あの時……
シャーリー達は、このネックレスを見て驚いていた。私は水龍さまからの贈り物そのものに、驚いたと思っていたけど……違ったんだ。
この宝石自体が希少で、それ以上に特別だから。
スーッと血の気がひいていく。
『ミレイ?』
「……」
本来は王族しか身に着けられない宝石を、ただの女が身につけていたら?
そんなの……
ここ数日の王宮での周りの視線を思い出す。
「これ、返します」
『ミレイ?』
首に手を掛けた私の手を、水龍さまは引き離すと、羽交い締めをするかのように抱きしめた。
『これはお前に贈ったものだ!』
「でも! 誤解されます。
……それとも新たな縁談が上がっていて……女避けのつもり、とか?」
王妃候補が今の王宮の関心事だと言っていた。自分の知らないところで、そんな話があっても不思議じゃない。
頬が強張り、喉が締め付けられたかのように感じる。
『なっっ! そんなつもりはないし、縁談もない!
第一、ミレイをそんな風に利用するわけ無いだろう?』
「………………本当に?」
水龍が体を離し、正面から向き合うような体勢になる。ミレイの顔はこわばり、微かに目を潤ませていた。
『……話を聞いてくれ。
このネックレスは、いつか渡せたらと、思って随分前に宝石商に依頼していた』
手が伸びてそっと首元のネックレスに触れる。その手はとても優しくて、鼻の奥がツンとしてくる。
『でも、先日お前を怒らせてしまったから、詫びの品を贈ろうと、宝石商を呼びつけたんだ。そしたら同じタイミングでこのネックレスも仕上がってきた。
出来上がった品を見たら、お前に似合うだろうと思ったんだ。
……これを身に着けたお前を見たいと、思ってしまった』
「水龍さま……」
『だから詫びの品の中にそっと加えた。
最初は手にとって貰えたら……ぐらいの気持ちだったが……。毎日、身に着けたいと言っていただろう?』
コクリと頷くと、大きな手が首元から離れていくのが視界に入る。
『お前の側に私が選び、手掛けた品が常に有るのは……いいな、と思ったんだ。
──欲が、出たんだ。
だからこのネックレスを勧めた。
でも、そこに政治的思惑や外堀を埋めようなどと言う、下心はない! ……それは信じてほしい』
強い意思をもった瞳に、胸に熱いものが込み上げてくる。
「……はい」
『まぁ……多少の牽制はあるがな』
「牽制? 誰に?」
今日、何度目かのキョトンとした顔に、今日何度目かの、溜め息が続く。
『そこは、まぁいい』
あえて教えてやる必要はない。
仕事の上では頼れる臣下だが、ミレイに関してはライバルであることに変わりはない。
「変な水龍さま」
フフッと笑うミレイは、いつものミレイだったので、水龍も頬を弛ませホッした。しかし……
「でもやっぱりこれは返しますね」
この一言に、再び空気が硬直した。
私の意思は伝わったと思ったのに
……意味がわからない。
水龍はどん底に突き落とされた気分だった。
しかし告げた方のミレイも、意を決して言葉にしていた。
水龍さまの気持ちはすごく嬉しいけど……。
目をあわせたまま、笑顔で話せる自信はなかったので、目を伏せて名残惜しそうに何度も石に触れる。
『…………何故だ? 気に入らなかったか?』
「まさか! とっても気に入ってます。
でも、これが特別な宝石なら……誤解されちゃいますよ? ……それに良く思わない人もいるでしょう」
王から特別な宝石を賜った『私』を周りは恋人だと勘違いするだろう。
……私、ちがうし……。
私と水龍さまの関係はオトモダチ
それは私から願ったこと
出会った頃の光景がフラッシュバックする。
『……どうして伝わらない』
少し低くなった声に顔を上げると、ミレイを見ている水龍の視線は、切なそうな、訴えるような目をしていた。
『惚れた女に贈り物をすることは、そんなに難しいことか? ……笑った顔が見たいと、好きな菓子を揃えることはそんなに不思議なことか?』
意思が籠もる、切迫したような目つきにミレイにも動揺がはしる。
「……えっ……あの……。
えっ? …………ほれ、た?」
聞き間違いだと思った。
自分の口から出た単語も、単なる音であって、実感はない。
ミレイの頬をそっと水龍の手が触れる。
正面から向き合う形になった美貌に、ミレイは息を飲んだ。
……目が逸らせない。
『ミレイ。お前を ──愛している』