第165話 湖の畔にて③
「あれです。湖の底の方で何かがキラキラ光ってるんです。湖面の反射ではないように思えて……」
『あぁ。あれか』
湖畔から五メートルほど離れた水の中で、キラキラと輝くものが見える。追いついた水龍は、真剣な顔をしてブツブツと思考する様子に苦笑した。
『ここの湖底には鉱物がある。それが光っているんだ』
『鉱物? それはさっき話してた白鉱石ですか?』
『ちがう。……ふむ百聞は一見にしかず、だな』
すると水龍さまは私の手をとると、フワリと浮いてそのまま水中に沈んでいった。
「水龍さま?!」
一面ブルーの世界。
地上から見てる分にはキレイキレイと騒いでいられたが、中に入ると恐怖の方が勝る。
『大丈夫だ。でも、そんなに怖いなら捕まっていろ』
「……はい」
ミレイは繋がれた右手とは逆の手を背中に回し、ギュッと衣を持つ手に力をこめる。
本当に怖いのか?
……まいったな。こんなしおらしいところを見せられたら
いつもとは違う様子に心がざわついた。水龍は気づかれないように軽く髪に口づけを落とすと、ミレイの背中に手を回し、抱き合うようにして静寂の湖に身を沈めていく。
穏やかなひと時。
水龍の体温と、トクントクン奏でる心音がミレイに平静さを取り戻させた。
「……そういえば前にもこんなことありましたね」
上を見上げてクスリと笑う。
『会ったばかりの頃のことか?』
「そうです。あの時は助けてくれてありがとうございました」
『よい。しかし、もう随分昔のことのように思える』
それはミレイも同じだった。
まだ数ヶ月前の出来事なのに、何年も前のことのように思える。
あの時も、もう駄目ーー! って、思ったんだよね。
水龍さまと出会ってなかったら、ここにはいなかったと思うと、この巡り合わせは奇跡のようなものだと思う。
「でも、この数ヶ月で死んだと思う場面が結構あったなぁ〜」
ボソリと呟くと『そうか?』と、なんでも無いことのように返事がきた。
「そうですよぉ〜。最初はこの世界に呼ばれたときでしょ? あとは精霊に湖に引っ張り込まれたときと、龍王国に突撃したとき……かな?」
『それは、なかなかの回数だな』
ここ数ヶ月の出来事と考えたら、間違いなく多いと思う。私はしがない一般人だし!
「そうでしょ? 比喩じゃなくて、死を間近に感じることなんて、本当はそうそうない事なんですよーー」
『この国に来てからは?』
「えっ? んーーこの国に来てからは無い、かな?」
夜会の時も恐怖はあったけど、死ぬとまでは思わなかったし。
『それなら良い。もしお前に恐怖を与える者がいたらすぐに言え』
「……言ったらどうなりますか?」
軽い気持ちで聞いた。
そして後悔した。
『そんなの決まってるだろう? 死を望むほどの恐怖と絶望を、死ぬ瞬間まで与え続けてやる』
「……」
眉ひとつ動かさず、いつもの顔で冷淡に告げられた。
いや、ダメでしょう。それ……
本当にやりそうだし、この人それできちゃうし……。
ドン引きしつつも、深堀りしたらダメだと直感的に悟ったミレイは、話題を変えるべく、頭を巡らした。
その時、足裏に硬い感触を覚える
「あーー。湖底についたのかな?」
周りを見渡すと、地上で見るよりも深く濃い青に囲まれていた。湖面が風に揺られ、湖底に僅かに届く太陽光も、ゆらゆらと揺らめき、辺りを淡く照らす。
そこはまるで、壮麗な美しさを讃えた別世界だった。
「きれい……」
色とりどりの青の鉱物が光を得て、まるでオーロラのように美しく煌めいている。
あまりの美しさに無意識に手を離して歩きだした私を、水龍さまは後ろから抱きしめた。
「?」
『忘れたのか? ここは湖の中だ。私の水牢内だから呼吸可能なのであって、そうでなければお前は既に死んでいる』
「……そうだった」
ここが暗い湖底だということを忘れていた。
『まったく! そもそも水牢の外の湖水温度は−10℃。水に手を入れたそばから凍傷を起こすし、落ちたら一瞬で死ぬ』
「……えっ。−10℃?」
たしか南極の水温は−2℃、だったよね?
南極昭和基地は−60℃の世界。それと比べると水の中はそうでもないんだぁ~、なんて呑気に笑った新卒の私を、先輩は真剣な顔で小突いた。
海に携わる仕事をする者にとって、水温とその変化は大切な判断材料になるのだ。
南極よりも上ってこと?
……それ、死ぬやん
謎の大阪弁が頭に浮かんだが、しっかり肝まで冷え切った。
世にも稀な透明度は、その水温の低さがもたらした『傾国の美しさ』だったのだ。
「えっ……待って下さい。そしたら人魚さん達は?」
先程見たばかりの、へそ出しナイスバディなお姉さんと小さな子供を思い出す。
『大丈夫だ。彼女達はむしろ寒い場所でしか生きられない。だからこそ、湖の守り人の役割も担っているのだ』
「そうなんだ。良かったぁーー」
はぁーーっと安堵の息をつく。
そんなミレイの優しさに触れ、水龍も頬を緩めた。
『ここの鉱物は主に宝石として使われる。希少で特別な鉱物で、王族しか使用が認められていない』
「そうなんですねぇ」
へぇ~と、辺りを見回すミレイをそっと盗み見る。
『だからその……。お前が身につけているネックレスもだな……』
「……あそこにも何かありますか?」
水龍の言葉を遮って、ミレイはある一点を指さした。
今度はなんだ、と微かに怒気を孕ませて溜め息をつく。しかし水龍はミレイが指さした方向を見て、すぐに口をつぐんだ。
『……なにか、とは?』
ミレイが指さした方向には巨大な岩が数個、ゴロゴロと放置している……ようにみえる。目の前の希少で、高価な宝石の原石と比べたら、普通は視界にも入らない。
「いえ、あそこに何かある気がして。でもただの岩……ですよねぇ?」
『……岩だな』
「やっぱり勘違いかぁ。最近そんなのばかりだなぁ〜」
ははっと笑って、その場でしゃがみ込むと、足下の鉱物を見比べて「色が違うんだぁ~」などと、のんきに呟いていた。
『……実はな、あれは水盤の原石なんだ』
「すいばん?」
『王の間で見ただろう? ……お前が私の頭の上に落としたアレだ』
「あーー! あれね……ははっ」
この国に来たばかりの頃。水龍さまを起こすために、いろいろ試したうちの一つだ。
『まったく。水盤は王冠などよりも、よっぽど重要なこの国の宝なんだぞ』
「そうなんですか? ……あれが?」
記憶の中の水盤を思い出す。
……たしかに重かった。
普通のお皿じゃない気はしてた。
……そうすると私はこの国の宝を蹴飛ばしたわけか。
……うん。誰にも見られなくて良かった。
『アレ、言うな。水盤の水は歴代龍王の力を籠めた特別な水であり、あの岩そのものに浄化の力が宿っていて……。──そうか、そういうことか』
「? どうしました?」
急に黙りこんだ水龍さまの顔を覗きこむと、クイッと横をむかせられた。
『なんでもない。そもそもこの話は国の重要機密だからな』
「えっ! 重要機密?!」
『知る者は側近の中でもごく一部の者だけだし、漏れたら死罪確定だ』
「そんな! そんな大切なこと、私みたいな一般人にホイホイ話さないで下さいよ!」
こんなの巻き込まれ事故だ!
『お前は……一般人じゃないだろう?』
「はいーー?」
呟くような小さな声に反応したが、水龍さまは戻るぞと言うと、ゆっくりと浮上した。
そうして浮上しながら水龍さまは、この湖の由来を話してくれた。
この湖は初代龍王陛下がこの地に降り立った始まりの場所であり、今でも国にとっても、王族にとっても、この地は特別な場所なのだという。
湖畔につくと自然と肩の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになるのを、抱きとめられた。
腕越しに見た湖は、空から注がれる光でキラキラと反射していて、暖かみすら感じる。あの凍てつくような美しさの欠片も感じることはできない
『大丈夫か?』
「はい。なんだか……龍湖の時とは違って、体が重いです」
南の龍湖に潜った時はこんな体が重くなるような気怠さはなかった。まるで生気を吸い取られた気分だ。
『当たり前だ。ここは特別な場所だと言っただろう?』
「……そう、ですね?」
理由になってない気もするけど、まぁいいや。
「それよりも私、浮上する感覚のなかで、思念体の水龍さまを思い出しましたよ」
木の側に連れて行かれ、水龍さまは太い幹により掛かるように座わると、その膝の上に乗せられた。
「あの時は心の声まで読まれたし、大変だったなぁ」
『あれは! ……勝手に頭の中に流れてきたのであって、私の意図したことではない』
「思念体だから……でしたっけ?」
『そうだ』
今思うと不思議に思う。
あの時も今も、当たり前のよう助けてくれる。
「起きて本当に良かったですね。……起きてくれなかったらこんな風にお話することも、体温を感じることもできなかったし」
感慨深くなり、胸元にスリッと頬を寄せる。−10℃を体験したわけではないが、冷え冷えとした色に、もの寒さを感じていたのだ。
ぬくもりも心音も、心地いい……。
『……お前なぁ』
無意識の言葉と行動。
わかっているが、求められてる気になる……
「なんですか?」
案の定、キョトンとした顔で返された。
『……っ。なんでもない!』
なんでこう……私ばかり
「水龍さま?」
『……お前に話しておくことがある』
頭上から聞こえた声は、先程までよりも少し真剣な色を帯びていた。
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