第164話 湖の畔にて②
いやいや、人魚って……
いきなりのファンタジー展開に言葉が続かない。でも目の前に上半身は人型で下半身は魚の姿をした半妖がいれば、受け入れないわけにはいかない。
泣いて謝る小さな子供達の傍らには、綺麗な大人の人魚が二人。ウェーブがかった金髪とピンク色に近い赤い髪。下半身はどちらも薄い緑色の鱗に覆われ、光の反射によってキラキラと輝いていた。
その美しさと妖艶さに、思わずゴクリと生唾を飲んでしまう。
「人魚って湖でも生活できるんですね」
でも、やっと出た言葉がコレだった。
小首を傾げる麗しき人魚に、これまた水を得てイケメン度、天井知らずの水龍さまも不思議そうな顔をする。
『お前の世界では人魚の住処はどこだ?』
「どこに、ですか? あっ……と。知らないです。
そもそも私のいた世界では、人魚は架空の生き物で海に住んでる認識でした。 だからすみません、失礼しました」
無意識に自分の価値観を押し付けてしまったことを謝罪すると、人魚のお姉さん達は驚いた顔をしてチラリと水龍さまを見上げた。
『こちらこそごめんなさい。ほらあなた達も』
大人の人魚に促されて、子供達が半泣きで謝りだした。
『ごめんなさ……ぃ』
『うれしかったのぉ〜』
「ん? うれしい?」
『うん。その子かえってきたから!』
『うん。ひしぶりだよねぇ〜』
『うん。ひしぶり、ひしぶり!』
『ふう。ひさしぶり、ね』
どうやらその子とは私が身につけている腕輪のことらしい。食い入るように見つめて指さしている。私が説明を求めるように見上げると、水龍さまは
『お前が身につけている腕輪は、ここの湖から採れた鉱物──白鉱石からできている』
「そうなんですか」
驚いて視線を腕輪に落とす。
『そうだよぉ。わたしたちがまもってるんだよ』
『うん。いい子いい子して、そだててるのぉ〜』
キラキラの目をして力説する子供達は問答無用に可愛い。
『この湖から採れる鉱物や宝石には特別な力が宿っている。だからこそ、この地に降りた水姫を護るために湖で採掘した鉱物を使って装飾品を贈ることになっている』
「なるほど。だから記憶を保存できたり、向こうから呼びかけたりするんですね」
今までの不思議な事象に納得がいった。
『……記憶を保存したり簡易結界を張ることはできますが、石が持ち主を呼びかけるなど、聞いたことがありません」
金髪の人魚はチラリと赤い髪の人魚を見ながら訂正をいれる。
「えっ。そうなの?」
これまで少なくとも二回は経験した。
初めて手にした洞窟の時と、夜会前の執務室の時。どちらもはっきり腕輪から呼ばれてる気がしたのだ。
「うーーん。私の気の所為だったのかなぁ?」
『……』
ハハッと笑うミレイを、水龍はただ黙って見つめていた。
『ちがうよぉ。その子はお姉ちゃんのことが大好きなんだよぉ』
『うん。だから気づいてーー! って、がんばったんだよ』
『そうだよ、そうだよ〜』
「そっか。ありがとう」
素敵な発想に子供達の頭をそっと撫でると、子供達は嬉しそうに満面の笑みを浮かべるものだから、つられてミレイも笑顔になった。
『……今代の水姫よ。我ら人魚を怯えることなく、石も大切に身に着けてくれてありがとう』
赤い髪色の人魚は、少しだけ目を細めて微笑むようにお礼を言った。
「怯えるなんて、そんなことしませんよ。むしろ私こそジロジロ見てすみません! もぅ……美しすぎて」
じっと見つめてくる美女の視線に耐えられなくて、顔を覆って天を仰ぐ。
もう、イメージ通り!
美しい容姿に、白い肌。流れる美髪に出るとこ出たナイスバディ! おまけに鱗もすんごいきれい!
もうーー! ……なにこれ、たまんない!
『あらあら』
『……コホン。まぁ悪い気はしないわね』
『……お前は男か?』
投げかけられた言葉に、疑問符が浮かぶ。
「も、もしかして言葉に出てました?」
恐る恐る聞くと、みんながみんなコクリと頷き、ミレイは声を噛み殺して絶叫した。
やっちゃった。またやっちゃったよーー!
『落ち着いたか?』
「はい。取り乱してすみませんでした」
小さくて可愛い人魚は何度も手を振って湖に戻って行った。
気を落ち着かせるために湖畔沿いの散策を続けていると、ある事に気づく。
「そういえば服が乾いてますね?」
『あぁ。布に含まれた余分な水分を除去した』
「そんなこと出来るんですか?!」
風で乾かすでもなく、蒸発させるでもない。除去ときた。それは私でも緻密な調整が必要な行為だと想像できる。
『……フッ。どうだ? 見直したか』
「はい」
得意げな顔をする水龍さまをミレイは真顔で頷いた。
『! ……素直に言うやつがあるか』
「だって本当にすごいと思ったから」
『…………そうか』
上擦った声で横を向く水龍さまは、どこか居心地が悪そうな顔をしてる。
「褒められるの苦手なんですか?」
『面と向かって言われることに慣れていないだけだ』
少しだけ歩くスピードが速くなる。
それを見てなんだか可愛いくて、微笑ましい気持ちになる。
「へぇ~。王様だし『凄い』とか『さすがです!』なんて、言われ慣れてると思ってました」
『それはおだてであって純粋な賛辞ではない。……でもお前のソレは違うだろう?』
不意に立ち止まってこちらを向く。
「もちろんですよ。それに水龍さまをおだてても、普通に冷笑で返されそうだし!
でもダニエルさんやバートン達は普通に褒めてくれそうな気がしますけど」
『……真の忠臣は、軽率に王を褒めるなどしないものだ』
「なるほど。納得です」
水龍さまは遠くに眺めながら『それに称賛など求めていない』と、あっさりとした口調で言った。
それが王として心積もりなのだろうと、理解はできても少し寂しくて
「……私からの賛辞も不要ですか?」
と、指先で水龍の袖を摘みながら、いつもとは違う、か細い声で問いかけた。
『……ミレイ?』
「えっ? あっ……なんでも、ないです」
……しまった。
無意識とはいえ、なにやってるんだろう。
指先を外して、森の方を向いて表情を隠す。
無理矢理話題も変えてみるけど、その声は自分でも分かるほど上ずっていた。
『私がお前を拒絶すると思うか?
お前の言葉は私の心を温めてくれる』
囲うように後ろから、そっと腕が回された。
冷えていた体に熱が伝わる。
「……ぁ」
お腹に回された腕から……背中から
熱いくらいの熱が伝わってきて、全身が震えた。
「し、仕方ないからいいですよ。いっぱい褒めてあげますね」
気づかれたくなくて、わざと尊大に言ってみる。
『この私に上から目線で話すのは、お前くらいだな』
軽やかに笑ってくれて、ほっと息をはく。でもその距離の近さに、慌てて逞しい腕をそっと外した。
「そのかわり不敬罪なんて言わないで下さいよ?」
そんな事を言いながら、軽やかな足取りで先に進むミレイを、水龍は後ろから眩しそうに見つめた。
──捕まえたと思ったら、スルりと抜けられてしまう。本当に子猫のようだな。
どうやったらこの腕の中に抱きとめられるのか。
先程ふわりと香ったミレイの芳香に、一瞬脳髄が支配された。
……何も考えられなくなるくらい甘美な香り
とろとろに甘やかして、その香りを一日中堪能したいものだ。
男としての欲求が僅かに首をもたげるなか、先ほど掴まれた袖をそっとなでる。
こんな風にあいつから手を伸ばされたのは初めてだな。
──気づいているのか?
自分がどんな眼差しで どんな声で私を求めたのか
ミレイ……
無意識に口角がゆるりと上がる。
──少し前から感じていた微かな違和感。
ミレイを纏う空気に変化が生まれた。
表情、声の温度に抑揚。それと視線……
日々、狐媚猫馴の臣下や喰えない側近達を相手にしているだけに、表情の機微や空気を読むくらい造作もないこと。
「水龍さまーー。あれ何ですかぁ?」
軽快な声に意識を引き戻され『どうした?』と、ポーカーフェイスで優しく返す。
その表情は一見すると穏やかだが、警務省のラウザあたりが見たら
『獲物を狙う前の、じっと息を潜める肉食動物のソレだろ?』と、笑って言ってのけたに違いない。
──世にも美しい 知性をもった獣