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第162話 執務室



 失礼しますの言葉と共に、何人もの文官が入れ替わり立ち替わり、入退室を繰り返す。


『こちらは急ぎの書簡ですので、くれぐれも後回しになどなさらないようお願いします。わかってますよね?』


 少し高圧的に、ジロリと若い見習いを睨みつける。


『……それは私がお答えできる領分ではございませんので申し訳ございません』


 丁寧に頭を下げる見習いを、これ見よがしな溜め息で一蹴して部屋を出る。少年とも言える年齢の秘書官見習いは、眉間にシワが寄らないように注意しながら笑顔で見送った。


 ……パタン


『まったく! ここは急ぎの書簡ばかりだってわからないのかなぁーー!』

『ユーリ』

『わかってますよ、わかってます! 

 でもぉーー!』

『でもは、いりません。仕事です』

『……すみません』


 補佐であるユーリの仕事は、王の執務室を訪れた者達の応対と書類の簡単な分類、資料集めや返却など多岐に渡る。なかでも応対業務は一番苦痛な業務だ。


『よい。文句のひとつでも言わないとやっていられないだろう』


 隣室から移動した王は、口元を軽く緩めて補佐官見習いの悪態を容認した。


『陛下が甘やかすから、ユーリの口の悪さが治らないのだと思いますが?』

『それは私ではなく、直属上司のお前の影響ではないのか?』

『そのとおりだと思ます! ダニエル様の影響です!』


 挙手をして自己保身に走った部下に、上司からゲンコツが与えられた。


『ここはいいから資料室に行き、これらの資料を集めてくるように』

『はい!』


 目を輝かせた部下に、再度コツンと小突いて促した。ユーリが足取り軽く、部屋を出て行くのと入れ違いに、外務宰相のカリアスと騎士団長のヤンが執務室を訪れた。


『珍しい組み合わせですね』

『自分は報告書を持ってきたところだ』

『私は陛下に伺いたいことがあって参りました』


 カリアスがニコリと意味ありげに笑うと、水龍は手を止めて顔を上げる。


『どうした?』

『いえ……。グランディディエライト?』


 突如発せられたその単語に、水龍の柳眉が微かに反応した。

 ただの文官ならわからない程度の動作だが、目の前にいるのは水龍をよく知る側近達。誤魔化せるはずもない。


『久しぶりに拝見しましたが、美しいものですね』

『なんです? そのグラン……』


 ヤンの頭に疑問符が浮かぶ。


『グランディディエライト。王族に連なる方しか使えない宝石ですよ。あとは王族が婚約者候補に贈る品としても有名ですね』


『……』


『婚約者……こうほぉ?』

『ヤン団長はここ数日、水姫様にお会いになりましたか?』

『いや、王都から出ていたから会っていませんが……。えっ?! ちょっと待って下さい。今の流れだと……』


 ヤンの視線がグルンとただ一人に向けられた。


『水龍さま?』


 一気に執務机まで間合いを詰める。


『とうとう言ったんですか?!』


 敬語なんて吹っ飛んで、なんなら水龍さま呼びになっている。


『……』


『うわぁ〜。……ってことは、姫がその宝石を身に付けてるってことは、水龍さまの求婚を受け入れたってことですよね?!』


 満面の笑みで興奮するヤンとは裏腹に、水龍は尚も黙りこむ。ダニエルはこの先に微かな期待をよせ、そっと扉を施錠をして防音結界を張った。


『そう思いますよね。私のところにも、あの宝石の価値を知る一部の官僚達が、探りを入れに来るんですよ。でも私達側近には何の話も無いから、それなら直接お話を伺おうと、こうして参上した次第です』


『……それはご苦労なことだな』


 ムスっとする水龍にカリアスは遠慮なく話を振る。


『ですから、ことの顛末をお聞かせ願いたいのですが?』


『……』


『陛下?』


 ダニエルも訝しげに問いかける。

 水龍は席を立つと、窓から外を眺めサラリと『普通の贈りものだ』と言った。


『『…………えっ?』』


 三人が三人とも言葉を失う。


『だから、贈り物の品の中にアレがあって、ミレイがどれを選ぶか迷っていたからアレを勧めただけだ!』


 半ば投げやりに言い放つ水龍に

『……いや、陛下それは……』と、ダニエルは二の句が告げないまでも、ひと言もの申した。


『そうですね、無理があります。

 グランディディエライトは王家所有の宝石。一介の宝石商が持ち込める品ではありませんし、陛下の依頼で作らせた品であることは明白です。それをただの贈り物として渡したと言われても……』

『……』


 カリアスの言葉の通りだ。

 水龍だってわかっている。


 ──本当は謝罪をしたあと、自分の気持ちを打ち明けるつもりだった。好きだからこそ嫉妬し、牽制したのだと……。


 自分がいかに本気か解ってもらう為に、グランディディエライトのネックレスを用意した。恥を忍んで侍女に好みを聞いて、あいつに似合いそうな……あいつの好みに近いデザインで。


 でもヒルダーの屋敷で見たミレイを見て不安になったのだ。


 バートンやレミスとの、絆の深さを目の当たりにし、ミレイの勇猛さ……美しさに見惚れた。

『好きだ』『欲しい』と強く思う一方で、こんないい女が私を好きになってくれるのだろうか……と。


 本気になればなるほど、言葉が喉に張り付いて出てこない。


 ──全くもって不甲斐ない。


 『王』である私は、強く、龍王としての顔を見せることができるのに、ひと度その仮面を外してしまえば、私はただの一人の男。『男』としての私に、なんの魅力があるのだろうか。


 幼い頃の情景と南の龍湖での光景がフラッシュバックする。


 わたしが本当にほしいものは

 望むものは……手に入らない


 ──私は捨てられたのだから……



 チラリと二人の男を見遣る。 

 どちらの男も、尊敬と羨望を集める良い『男』だ。人望があり仕事もできる。男達が真に認め、羨やみ憧れる男。

 そして何よりモテる……らしい。

 令嬢や夫人方からも人気があり、対象範囲が違うから被らないが、王宮を二分する人気ぶりだと聞いている。


 ……まぁ、わかる気もするが。

 その噂を聞いて、先日はカリアスに恥を忍んで相談したくらいだ。


『陛下?』


『……いずれきちんと伝える』


 さっさとこの話を終わらせたくて、視線を外に向けると、不意に背中にゾクリとした気配を感じた。


『……いずれっていつですか? 

 宝石の意味を他のヤツラから聞いたら、姫はまた悩みますよ。……そんなわけないって。

 姫はニンゲンです。我々とは時間の感覚が違うんですよ。うかうかしてると目の敵にしてるバートン以外のヤツに攫われますよ。あるいは──いなくなるかもしれませんね?』


 最後の言葉に室内の空気がピリッとひりついた。


『それは……どういう意味だ。ヤン』


 水龍の視線はヤンの体を縫い固める。その辺の武官ならその場で失神するほどの圧だ。


『言葉のままです。躊躇うなら……自分がもらいます』


 ブワッと空気が圧縮された。

 夜会の時と同じ、龍王だけが持ちうる他者を跪かせる王者の覇気だ。


『陛下!』

『ちょっと、これは……』


 焦る二人とは裏腹に、ヤンは口元に笑みを浮かべながら耐えてみせる。


 ──腐っても騎士団最強の男。


 王の怒りも、葛藤も、溢れる想いも真正面からを受け止めてみせた。


『……本気か?』


『それを陛下ご自身にも問いたいです。

 ニンゲンの女を()()()()()()()()()まで、考えていらっしゃいますか?』


 ハッとした水龍の覇気が緩む。


 口元を押さえて考えこむ水龍に、ヤンはその場に膝をついて真摯に訴える。


『何度でも言いますが、姫は我々の、この国の恩人です。できることなら泣かせないで下さい。悩ませないで下さい。 

 ──姫の笑顔は絶望して、死の崖っぷちに立ってるヤツラを引っ張り上げることができるんですよ。……姫には笑顔でいてもらいたい』


 下をむいた表情は、愛情と寂しさと葛藤が入り混じった複雑なものだった。


『恩人の()をまもる為なら、自分は陛下に対抗することすら厭いません』


 スッと見上げた顔はいつもの飄々としたものではなく、鬼気迫るぐらい真剣な面差しだった。


『……ヤン団長』


『……まぁ、そんなことにならないよう願いますが』


 立ち上がった時には()()()()()()()()の顔に戻っていた。水龍はそんなヤンを見据え『もちろんだ』と返す。


『……まあ、躊躇う気持ちもわかりますけどね。あんな衆人環視のなか、こっぴどく振られたら、そりゃトラウマになりますよねぇ……』


『……』


『ヤン団長ーー!』


 ダニエルがヤンに飛びついて胸ぐらを掴んで窘めた。


『いきなりなに、爆弾突っ込んでるんですか!

 あの件は繊細なんですよ? 惚れた腫れた、の世界じゃないんです! あんた当事者だからわかるでしょう?!』


 当人はヒソヒソ声のつもりでも、室内でまあまあの距離にいるせいか、カリアスはもとより水龍にも丸聞こえだ。



 ──そう、その通りだ。

 誰もがあの件を知ってるのに、誰も触れてこない。

 国を揺るがすほどの事件なだけに、復興や補償、諸々の処理的な事柄は口に出すのに「水姫」については一切触れてこないのだ。


 そう。……まるで禁忌のように



『あーー……ダニエル』


 カリアスが額を押さえてうなだれる。


『惚れた腫れたの世界だよ。一人の男が女に惚れた。でも女は本気じゃなかった。……ただそれだけだ。地位や状況が事態を重くさせてるだけで……よくある()()()()()だ』


 互いの息遣いまで聞こえてしまうほどの静けさ。


 ──国が眠りにつく一大事を

 何百年もの歳月を要した悲願を

 『ただの失恋』だという


 なにより、ヤンは一番の苦境を味わった、いや味わって()()当事者だ。



 しかし水龍は不覚にも嬉しいと思ってしまった。

 腫れ物に触るように避けるでもなく、この男は失恋だと言い切るのだ。

 誰よりも苦脳し、傷つき今も尚、戻らなかった遺族から、騎士団のトップとして槍玉に上げられているのに。


 失恋か……。

 たしかにそうなのかもしれないな。

 そんなに簡単に済ませはいけないことはわかっているが……。

 

『フッ……。フフッ。そうか、私は失恋したのか』


 静けさを打ち破ったのは水龍本人の笑い声。


『そうですね。この国の誰もが経験してるであろう、普通の、日常的な出来事です』


 胸ぐらを掴まれたまま真摯に返す。


『……そうか』


 執務机に軽く腰かけ、肩を落とす。


『お前も経験あるのか?』


 水龍の問いにヤンは『もちろん!』と、おどけて返すと、ダニエルは毒気を抜かれたように、ゆっくりとヤンの団服から手を離した。


『あっ! ヨレヨレになっちまった! 

 どうしてくれるんだ。またエリオールに小言を言われるだろう』


『ッ……それは!……あなたの日頃の行いのせいでしょう』


 いたたまれないダニエルは、そっぽを向いてやり返す。


『ひでえなぁ〜』

『まあ、騎士団長の服がよれてると、いらぬ憶測を生みますから、衣装部に寄って着替えてから戻ったほうが良いでしょうね』

『いらぬ憶測?』

『ええ。ここ、陛下の執務室なんで』


 にっこり笑って指さした。

 なるほど、と思いながらもスルーして、更に王に発破をかける。


『陛下。平民の恋愛法を伝授しましょうか? 

 それは「当たって砕けろ」です!』


『……! 砕けたら駄目じゃないですか!』

『しかもそのままですよ』


『二人共わかってないな。

 貴族は遠回しなやり取りをしすぎるんだ。アレコレ考える暇があったら、さっさと想いを告げて、両想いになればいい。ダメなら酒飲んで次に行く。これが恋愛の極意だろ? ……それに想いが叶ったらいろいろと楽しめるだろうが?』


『たのしむ……ねえ』

『なんだよ、その目は』

『いえ、ヤン団長の楽しむは、いったいどちらなのかなぁ〜……と思いまして』

『そりゃー。いろんな意味を含めての楽しむだ!』


 ニカッと笑った笑顔は心底楽しそうで、水龍もカリアスも思わず吹き出した。


『当たって砕けろ……か。試してみるかな……』


 笑いながら思わず零した言葉に、ヤンは『是非!』と満面の笑みで返した。それを見てまた笑う水龍は、まるで憑き物が落ちたように見えたと言う。


『大丈夫ですよ。一度も、二度の失恋も同じですから! もし駄目だったら一緒に酒を飲みましょう。いくらでも付き合いますから! それが騎士団流です!』


『二度目は駄目でしょ?!』

『わからんぞぉ~。あるかもしれん!』

『ヤン団長ーー!』

『ははっ。では、二度目の失恋の折には、私も一緒に酒を交わしましょう』

『おっ。さすがカリアス殿。ノリがいいですね!』


『失恋ありきなのだな。……これでも私はこの国の王なんだがな』


 苦笑いした水龍にヤンは現実を突きつける。


『姫には関係ないと思いますよ。なんせニンゲンなんで!』


『フッ。たしかに……』


 和やかな執務室の外では、資料室から戻ったユーリが、中に入れない文官達に問い詰められて、いつもは隠してる眉間のシワをくっきり滲ませて応対していたという。



 ◇  ◇  ◇



『それにしてもあの事件を蒸し返すとは思いませんでしたよ』


 執務室からの帰り道、文官達が廊下を行き交うだけに小声で隣にいるヤンに話かける。


『……そうですよね。自分もそんなつもりはありませんでした』

『? ……ではあれは思いつきの行動だったと?』

『そうですねぇ』

『思いつきで「ただの失恋」と、のたまうとは……』


 あまりの短絡さに外務を司るカリアスは、呆れ果ててしまう。


『でも、あらゆるしがらみを外して、陛下に起きた事柄だけ見たら間違ってないでしょう?』

『まあ……ねぇ。でも一国の王に対する言葉ではないですね』

『自分も最初はそう思いました』

『?』

『姫に言われたんですよ。まだニンゲンの国にいた頃、そんなのただの失恋だって。自分自身、そう思えるまでに時間もかかったし、陛下に言うつもりなんて微塵もなかったです。でも思い悩む陛下を見てたら……なんだか、ね』


 口には出さないが、それは少しわかると、カリアスは思った。


『以前の陛下は完璧で、一線を引いているのが見てとれましたし、必要以上に踏み込もうと思わなかったけど、最近の陛下なら……』


 そこで言葉を区切ったか、ヤンが何を言いたいのかわかった。

 それはカリアスにも覚えのある感情だからだ。 


 ──手を貸したくなる。


 一国の王に対して不敬であるまじき考え方だが、それが事実だから仕方がない。


『まあ、結果的には良かったんじゃないか』

『そうですね。あとは陛下次第ですね』


 では、と言ってヤンは軽く手を上げて挨拶すると、角を曲がって外廊に繋がる道に歩を進める。


『ヤン団長。さっきの言葉はどこまで本気だったのかな?』


 さっきの言葉とはもちろん……

『躊躇うなら自分がもらいます』の発言だ。


 アレがただのハッタリだとはおもえない。


『……。さあ? なんのことでしょう』


 数秒の間をおいて振り返ったヤンは、いつもの笑顔でうそぶいた。



 なかなかどうして……。


 カリアスはヤンの背中を見送ると、踵を返し自らの執務室に向かった。



 普通は「噂はしょせん噂」……なんだけどなぁ〜。水姫に関しては若干違うらしい。




余談ですが、グランディディエライトは現存する宝石です。設定はもちろんオリジナルですが、キレイな鉱物なので良かったら調べてみてくださいね。以前載せたベニトアイトも同様です。




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