第157話 ミレイの逆襲①
『姫、避けろ!』
ロスが走り出すのがみえた。
隣にいたクウは、セレコウスにタックルするように飛びかかる。
相手は龍族、私は人間。
平手打ち一つで大怪我することもあるから、必死に守ろうとしてくれるのも頷ける。
──でも私は避けるつもりはない。むしろ……。
ミレイは向かってくる男から目を離さずに、騎士に「貸して!」と手を伸ばす。
渡されたモノはこの国にはない、異世界の物。
シャーー!!
ミレイの手におさまったソレから、勢いよく水が発射され、セレコウスの胸が、顔が、びしょ濡れになっていく。
「さっきのお返しよ」
『なっ、なんだこれは! ……わっ!
やめろーー!』
情けない声を上げながら、顔を両手でガードしてうずくまり、途中ザイホスが『セレコウス様!』と、覆い被さるように飛び込んできたため、濡れ要員(?)が二人になった。
ひと通り濡らして満足したのか、ミレイの手がやっと止まる。
「偉そうなこと言ってる割には、だらし無いのね〜」
カシャッ! カシャッ!
今度は四角い箱を男達に向け、謎のシャッター音を響かせる。
そんなミレイの表情を表現するとしたら、それは『ご満悦』……だろう。
『姫、それはいったい……?』
とばっちりを受けたクウも濡れていたが、気にするそぶりはない。むしろミレイの手の中の二つの物体をじっと見ている。
「これ? これは私の世界の物で水鉄砲って言うの。前にリリスさんのところで苺大福出してもらったでしょ? それを思い出して、さっきサンボウに頼んだのよ〜」
『……なる、ほど?』
「これ自体は子供の玩具だけど連続発射できるし、威力もなかなかでしょ?
そしてこっちはポラロイドカメラ」
『ぽらろい、ど?』
「うん。目の前の事象を瞬時に画像として納められる機械なの」
『かめら? そうか、これがかめらか』
いつの間にか隣にきたロスが、しげしげとカメラを見つめている。
「ロス、知ってるの?」
『あぁ。姫の国の書物に度々出てきたが、知らない単語だったからスルーしてたんだ』
「ロスは読書好きだもんね〜」
『まぁな。特に姫の国の書物はおもしろい』
そんな縁側で茶を啜るような和やかな会話をする二人の足下には、呆然自失の二人の濡れネズミ。
そんな異様な光景に終止符をうったのは他ならぬ、カメラの音だった。
「あっ、出てきた。どう? これがカメラよ。良く撮れてるでしょ?」
『……これは……すごいな』
ロスとクウは食い入るように写真を見つめている。その間にも三枚目、四枚目とまだ出てくる。
「お二人の楽しそうなところも撮れてますよ」
チラリと扇のようにして見せたのは、逃げ惑うセレコウスと、驚いて目をつぶるザイホス。二人で這いつくばる写真もあった。
『!!』
初めは理解できなかったようだが、その紙に映っているのが自分だと理解すると、男児のような奇声を発して、目を見開いて飛びかかってきた。
『なんだそれは!』
回収しようと手を伸ばすが、ミレイはクルリとまわって上手にかわす。
「カメラですよ。終わった出来事を写真として残すことができるんです。凄いでしょ?」
ヒラヒラと空中で写真を泳がせて、小馬鹿にしたように笑うミレイは、この場で一番の『悪役』に見えただろう。
「おもしろいと思いませんか?」
そのままミレイはレミスを撮り、自分の足元と騎士達を撮った。
『これはいったい……』
その様子を静観していた……と言えば聞こえはいいが、ようは言葉を失っていた一同から、当然とも言える言葉が漏れた。──長男のアリアスだ。
『……ククッ』
『陛下?』
『やはりミレイはおもしろい』
『……面白いで片付けてもらっては困ります』
モノクルの奥は相変わらずの無表情だが、そっと寄った眉間のシワが彼の不快度を示していた。
『まあ、今のはお前の息子が悪い。そうであろう……カステル』
王の問いに、頭を下げて謝罪する。
何の罪もない女性にいきなり殴りかかったのだ。貴族としても紳士としても一発アウトな行為なことは明白だ。
『返せ!』
「返せってこれは私の物ですよ。
──そうだ先生。この写真がうっかり噂好きの皆様の手に渡ってしまったら、どうなりますか?」
いきなり話を振られたエリザベート先生は、コホンと咳払いをしたあと『そうですね。見たこと無いものですし、被写体のことも考えると、それなりに話題になるでしょうね』と、私の欲しい言葉をくれた。
「やっぱりそうですよね。良家のお坊ちゃまですものね〜!」
ニンマリ笑うミレイに、父であるカステルは苦虫を噛み潰したように『貴方の望みはなんですか?』とふってきた。
他者を圧倒する威厳もなんのその。
掛かった獲物にミレイは内心ほくそ笑む。
「今後、レミスに対して暴言や暴力など、不当な扱いをしないこと」
カステルは拍子抜けと言わんばかりに
『……それだけですか?』と言った。
「ええ。……大局を見るあなたからしたら、私の願いは些細なことに映るでしょうね。でも大事なことです。レミスは私の大切な友達ですから。
──もし約束が破られた場合は、社交界のみならず神殿、市井までばら撒きます」
最大限の嫌味をこめて、神殿におけるナンバー2を睨みつける。
『ひめ……』
『それを言うなら自分も同じだな。
レミスに何かあったら、自分も友として断固戦わせてもらう』
『右に同じ』
『……お前たち』
クウが声に詰まった。
一瞬。宰相と騎士団長がそんなこと言っていいのかなと思ったけど、きっとそういうことじゃない。
『そんなの……いい迷惑なの……』
泣き笑いのような表情を浮かべながら、僅かに抵抗をしたクウは、ようやく「いつもクウ」に戻った気がした。
カステルは黙ってその様子を眺め『了承した』と静かに告げた。
──終わった……の?
とりあえず約束は取り付けたし、水龍さまのいる前で反故にはしないはず。それにいざと言う時は……。
ミレイは合わせに隠した三枚の写真を盗み見た。それは怪我を負ったクウと私の足の写真、それと現場にいた騎士の写真。
証人は必須よね〜。
今回のことを公にしても、ただの兄弟喧嘩と言われればそれまでだ。……だからこそ証拠を残したかった。
行き過ぎた行為を暴露してやりたかった。
法で裁けなくても社会的に懲らしめてやりたかった。
あんな顔で笑うクウは、もう見たくないもの……。
今はこの写真を使う機会が無いことを願うばかりよね。
ミレイはほっと肩の力を抜いた。
全部終わったと疑いもしなかったのだ。
『お前は……お前は何様のつもりなんだよ!
父上を……父上を、お前ごときが脅すなどあって良いわけがない。男に擦り寄ることしか能がない下等な生き物の分際で!』
──思えば、さっさと猿ぐつわでもして、うるさい口を封じてしまえば良かった。こいつが喋ると碌なことがない。
ミレイはひどく後悔した。
「はぁ、下等ですか? ……人間が?」
真っ赤な顔で怒鳴り散らすセレコウスとは対照的に、ミレイは静かだった。
『あぁそうだ! 低能なお前達は奴隷で十分だ!
ゴミの分際で身の程をわきまえろ!』
『兄さん!』
奴隷って……まさか地上にいるみんなのこと?
ミレイの心がざわついた。
「……そんなことが許されるとでも?」
『当たり前だろう? ニンゲンもデミトリアスも、不用な者は全部消してしまえばいいんだ!』
──こいつ……本当に何なの?
ミレイの中で苛立ちが最高潮に達し、理性が鳴りを潜めた。