第155話 招かざる来訪者②
『恥知らずだと?! それは誰のことを言ってるんだ! ……そもそも貴殿こそ自分の女の為に権力を私物化するのはどうなんだ? そちらの方がよっぽど恥だろう』
『……誰が、誰の女だと?』
先程まで感じていた寒気は、凍てつく氷塊を思わせるほどの冷気を放っていた。
ザイホスの隣にいるだけの男は、軽く悲鳴を上げると、尻もちをついてそのまましゃがみこんでしまい、騎士達も無言でその圧に耐えていた。しかしセレコウスは怯まなかった。
『ぎ、儀式を了承しないのも、身柄を神殿に移さないのも、自分の女のためだろうが! 泣きつかれたか閨で擦り寄られたかは知らんが、宰相たる者が女の言いなりになるなんぞ、恥をしれ! 』
指を突きつけてサンボウを非難する。
ねや? ねやって確かあれだよね。
寝室というか、男女の営み的な含みをもたせた……アレだよねぇ?
爽やかな朝に、ぶっこんできたねぇ〜この人。
勘違いも、的が外れすぎると冷静になるものらしい。
ミレイが呑気に構えていると、隣から『……潰すか?』と、抑揚のない声が聞こえてきた。
ん……? 今のはサンボウ?
でもサンボウの声には思えないけど……。
チラリと隣を見上げると、そこには一瞬触発の空気を纏った、ヤバい顔をした男がいた。
ひぃぃーー! これは世に放っちゃ駄目な顔!
慌てて袖を引いて意識をこちらに向けさせると、口角だけを微かに上げた「微笑」が帰ってきた。
……それは、どういう意味?
『……驚きました。神に仕えてる方が早朝から、他家の庭先で、そのような下卑た内容を大声で発するとは、品性の欠片もありませんね。上がコレだと、最近の神官教育を見直す必要がありそうです』
あれ? 思ったより平気そう?
そう思ったミレイはやはり鈍いと、言わざるを得ないだろう。
『宰相様は神殿内のことまで口を挟むおつもりですか? す、少しわきまえてはいかかでしょうか』
ザイホスもセレコウスにならい、一歩前に出て震える声で反撃を試みる。
『……誰が貴殿に発言を許した。──ここは、どこだ?』
それだけだった。
しかしそれで十分だった。
『し、失礼しました』
上から見下される圧に喉はキュッと締り、それ以上言葉が続かなかった。
──ザイホスの家は上流貴族の括りには入っているが、辛うじてしがみついているような家柄だ。しかしサンボウは違う。
ペトラキス家は『智の一族』の異名を持つほどの名門中の名門であり、数多くの宰相を輩出し、さらには王族降嫁も可能な家柄である。
そして社交の場では、原則、身分の低い者から上位の者への声掛けは許されていない。免除されるのは王宮内とその職務に準ずる時。身分の括りを問わない神殿のみだ。
ザイホスは己の行動が、家門を潰しかねないほどの愚行だったと、今更ながら気がついた。
バートン宰相は、理知的で何事にも冷静に対処することで有名だが、敵には一切容赦しない性格なのも周知の事実。実際、ペトラキス家への無礼を理由に、ザイホス家を潰すことなど、造作もないだろう。
無意識に奥歯がカタカタと音を立てる。
『……言っておきますが、内政干渉ではありません。細かい予算を組むのは財務ですが、その大元を振り分けるのは──内務総省です』
ザイホスが驚いて顔を上げると、細い目が微かに開き、眼球を覗かせた
『相手をやり込めたいと思うのなら、最低限の智識は持つべきです。でないと今の貴殿のように、要らぬ恥をかきますから。……もっともこの程度のことを智識と言うならば、ですが』
冷え切った相貌に肝を冷やし、項垂れたがサンボウの手は緩まない。
『それと貴殿はザイホスです。マルティーノではありません。貴殿こそ身の程をわきまえて下さい』
これみよがしな嘲りに、顔に血がのぼるが、何も言えなかった。
隣でセレコウスが何を言っても、首を振るばかりで、ザイホスの牙は完全に根元から折られた。
自分に付き従っていた者が、相次いで不能にされたことで、セレコウスは更に怒りの炎を滾らせた。
ミレイがサンボウの袖を引いて耳打ちをしてる間に、騎士達が三人の神官に退出を促す。
一人の男はよろよろと立ち上がり背をむけた。このまま収束をするだろうとホッと息を吐いたその時、ミレイの足に何かが勢いよく飛んできて、その反動で体がよろめいた。
「……ッ。なにっ?!」
濡れた足に唖然とする。
あろうことか、セレコウスが水塊を投げつけたらしい。
『お前はただのニンゲンだろうが!
この俺がニンゲンより劣るだと?!
そんなことがあるものか。こんなあばずれ女に! お前なんぞ、俺に跪け!』
大きな水風船くらいの威力で怪我をするレベルではない。……ないが、コレは駄目だろうと、ミレイであっても理解できる。
『……本当に……つぶすか』
こぼれた声がさっきと違う。
ゆっくりとサンボウの右手が上がる。
マズイ──本気だ。
「待って!」
咄嗟に前に出ると、抱きつくように両腕をギュッと押さえこんだ。
『……はなしてくれ』
ゾクリと悪寒が走る。
「ダメ、離さない!」
更に力をこめてみるが、正直、この先どうやって収集したらいいのかわからない。
『姫!』
その時、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた
振り返ると──クウがいた。
「クウ!」
助けを求めるように呼ぶと、クウは私のびしょ濡れの足下を見て立ち止まった。
「クウ?」
『……先程の光景、こちらに向かいながら目の当たりにしました。水姫様、身内が大変失礼を致しました』
腰を折って、丁寧に頭を下げる。
「ク……いや、レミス?」
いつになく他人行儀なレミスに困惑する。
『バートン卿がお怒りになるのも当然であり、理解致します。ですが、何卒この場は──』
ガッッ!
レミスの言葉がそれ以上続くことはなかった。
「レミス!」
謝罪をしてる隣から手が伸びて、頭を地面に叩きつけられたのだ。
──兄、セレコウスによって。
『ふざけるな! なんで落ちこぼれのお前が偉そうにしてるんだ。この俺の擁護でもしてるつもりか?!』
ガッッ!
倒れたレミスの腹を強く蹴り飛ばす。
「ひっっ」
あまりの行動にミレイはサンボウの胸に顔を埋めた。
『身内だと、誰が身内だ! お前など家族でもなんでもない、不要な者なんだよ!』
ガッッ!
『治癒も使えない、お前の存在そのものが目障りなのに使用人だと? お前がマルティーノを名乗ってることが、家格を下げてることに何故気付かない!
取り繕う為に使用人にヘコヘコして、権力者の靴を舐めるぐらいしか能のないヤツが偉そうに───』
足が再度振りかぶり、蹴るモーションに入ったその時、グハッと歪な悲鳴が聞こえた。
そっちを向くと、セレコウスが氷の塊によって上から押さえつけられ、地面に這いつくばっているではないか。
ハッとして、ミレイはすぐに駆け寄った。
「クウ! 大丈夫?!」
『……大丈夫……です』
──今日、この時。近侍頭のレミスではなく、マルティーノ家の者としてこの場にいるのは理解したよ。でもそんな必要あったのかな。こんな傷を負わせる相手の為に、クウが頭を下げる必要があったのかな。
石畳に頭をぶつけたのか、額からツゥーっと血が流れ、慌ててハンカチで止血した。しかしクウは諦めたように笑うばかり。
抵抗すらしなかった。
きっとこれが初めてじゃないんだろうな。
悔しくて涙が溢れてくる。
「クウ、これ飲んで」
溢れ出た結晶石をグィっとクウに押し付けた。
『いや、水姫の涙は陛下の管理下にあるから勝手に──』
「飲んで! 私の涙を私がどうしようと勝手でしょ!」
睨みつけるように見据えて突きつける。
『そのとおりだ。ミレイの涙はミレイの感情を最優先とする』
聞き覚えのあるバリトンボイス。
もしや、と思い振り向くと、そこにはいつもよりラフな格好をした水龍さまがいた。
その場にいた全ての者が跪ずく。
「水龍さま……」
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