第151話 クウの執務室②
コンコンコン!
言葉を遮るように、力強い音が室内に響き渡り『どうぞ』の声の後に勢いよく開かれた。
『バートン様!』
入室してきたのは、内務総省の部下だった。
『……悪かった。すぐに戻ろう』
『いえ、そうではなく。こちらの書状に火急に目を通して頂きたく、探しておりました』
『書状?』
宛名の字に見覚えはあるが……誰だったか。しかしすぐに思い知った。
『…………なっ?!』
『どうしましたか? バートン殿』
他部署の部下を前にして、よそ行き声に戻ったクウにも気づかないほど動揺している。
『……了承した。近侍頭殿もここにいるから話は通しておく。とりあえず他言無用を徹底するように伝えてくれ。私もすぐにいく』
『了解しました。失礼します!』
来た時と同じように慌ただしく扉が閉められた。
『トラブル?』
『……あぁ。でもウチだけの問題じゃない』
今度はサンボウが手紙を渡すと、クウの眉がわかりやすく寄せられた。
『こんな事後承諾、初めてなの』
『私もはじめてだ』
手紙は伯母上、エリザベート・アンドレウからだった。
『──ミレイを我が屋敷に招待することにしました。よって、それを承認する旨の書類を用意しておいて下さいませ。
もし、不安なのであれば宰相としての来訪のみ、歓迎致します。
追伸 陛下への連絡は可能なら明日の朝まで内密に願います。理由はミレイ本人がそれを望んでいるからです。
手数をかけますが、貴方ならば首尾良く進めて下さると思っております。』
『こんなの脅迫じゃろ……』
『……久々に聞いたの』
『なにがじゃ?』
『その口調』
『……あ、あぁ。気をつけて直したからな。でも今でもたまに出てしまう』
『クウは割と好きだけどね……懐かしい気になる』
そう言われて、サンボウは口元を緩ませた。
『ところでどうするの?』
『どうするも無いだろう。既に王宮を出られたあとらしいし、私ができることと言ったら、書類を作成して根回しをするくらいじゃ』
『そうじゃなくて、アンドレウ家に行くの?』
『なぜじゃ? 不安などあるものか。あの屋敷の武力、防御力は王宮の次に強固だぞ。強襲する輩がいたらむしろ見てみたい』
新たに淹れてもらった紅茶に手を伸ばしつつ、溜め息混じりに答えると、クウの手が止まった。
『……えっ? 本当にわかってないの?』
『何がじゃ?』
『手紙の意味』
……何か見落としたか?
そう思って読み直すも、不審な点は見当たらないし、含みも……無いように見える。
『マジか。……サンボウ。これはアンドレウ夫人からある種の招待状なの。
未婚の女性が来訪してる屋敷に、男を呼ぶような真似は出来ないけど、役目のある宰相としてなら良いわよって言う……』
クウの言葉は、目から鱗だった。
『さらに言うなら、来てもいいけど変な真似をしたら許さないって言う含みもあるだろうね。だからこそ、宰相という言葉を使ってるんだろうし』
『まさか、そんな含みが……』
愕然とした。
言われてみたらそんな気がしてくる。
『……政治や陰謀絡みの文書は、当たり前のように紐解くのに、なんで色恋が混じるとポンコツになるんだろうねぇ』
『ポンコツはやめてくれ』
頭をグシャりと掻き乱すと、深く溜め息をついた。
『とにかく別の仕事も増えたから、私はもう行くとしよう』
席を立ったサンボウに『それはいんだけど……』と、前おきをしたうえで、真剣な表情で問いかける。
『……サンボウ。もしもの話なんだけど。
……もし陛下の所在が本当に不明で、安否もわからない状況だとしたら?』
『クウ?』
『それと同じタイミングで、姫が何者かに拐かされたと一報が入ったとする。
宰相としての指示はもちろん出すと思うけど、サンボウ自身の足が向かうのは……どっち?』
『…………なっ』
二の句が続かなかった。
しかし突然の例え話を『今はそんな話をしてる状況では……』と、流すにはクウの目が真剣で、無難な答えで逃げることも躊躇われる。
しかも突拍子もない内容だが、決してあり得ない事ではない。
『……別にいいの』
その戸惑いを察したのか、クウは目を反らして椅子に座ると、ソーサーをそっと端に寄せ頬杖をついて話だした。
『それについて考えてくれれば良いことで、わざわざ口に出さなくても構わないの。でもクウは決まってるかな。
クウは──水龍さまのもとに向かう』
『……』
その目は迷いなく力強い。
──そうだ。クウは昔からただ一人。
じゃぁ……自分は?
『水龍さまは最強の御方で、姫は護る力を持たないニンゲン。普通に考えたら危険なのは姫だけど、それは頭で考えたこと。姫ももちろん大切だけど、クウにとってあの御方は、心を捧げた唯一無二の存在であり、あの方以上の者は存在しないの』
クウの言ってる意味を理解した。
二人の顔が交互にフラッシュバックする。
水龍さまが安否不明?
まさしく数百年前の状況だろう。
──それは………無理だ。
思い出すだけで、言いようのない恐怖に駆られ、足下から崩れ落ちそうになる。
『…………考えてみよう』
『そうして。……そういう事だから』
クウは暗に言ってるのだ。
例え姫を選んだとしても私は『宰相』だ。
もしもの場合、私は姫を
──ミゴロシにシナケレバならない
『……』
いや本当に『……シナケレバならない』のか。
姫だって自分にとって唯一人の存在。
……でも比べる相手が、水龍さまだったら?
口の中に苦いものがこみ上げてくる。
気持ちが悪い……。
自分の身勝手さと、リアルに命を天秤に掛けられる非常さ。 宰相なんて職に就く者は人格破綻者だと言われているが、たしかにそうだろうな。
私もロクでもないヤツだ。
『サンボウ?』
『……そう言う意味では、クウもロクでもないヤツだな』
せっかく自覚した「初恋」も、会議の議題のごとく現実と事実を突きつけてくる。
『……よくわからないけど、自分をいいヤツだと思ったことはないの。本当にイイヤツは都合の悪い事を揉み消したりしないと思うから』
ニコっと綺麗に笑った。
それから二人で執務室を後にして、共に向かう。
『それで言うとロスはいいヤツになるんだろうね』
『そうだな』
『人脈は無くても人望はあるし、人気もある。
……ふむ。サンボウと逆なのね』
『……それは傷つくぞ』
『的確に容赦なく仕事を振るヤツが人気者になれると思ってるの? しかも本人はその倍、仕事してるんだから、おいそれと文句も言えないよね』
『……体調の悪い者は休ませてるぞ』
『普通は悪くなる前に配慮するの!』
反論しようとしたところで、クウは立ち止まりある部屋のドアを開けた。
『これ、部下に持っていって』
渡されたのはそこそこ重量のある箱。
中からは食欲中枢を刺激するような良い香りが漂ってきて、思わずゴクリと生唾を飲んだ。
『……いつの間に?』
『フフン。デキる男は前もって指示を出しておくものなの』
謙遜するどころか得意げを流し目を送られて、自分が訪問してすぐに、何やら部下に耳打ちしてるのを思いだした。
『たしかにデキる男の所業だな。
そこそこ不在にしたのに、部下達から感涙に咽ぶくらいに感謝されそうだ』
匂いからして食事系だろう。
働き盛りの男達がこの時間に求める者は甘味ではなく、ガッツリした物に限る。
『そこはしっかり自分の株を上げとくこと。上げられる時に上げないと、人望が無いヤツはすぐにコケるの』
ニコニコしながら、己の功を他者に譲る謙虚さ。
それはまさに……
『良妻……だな。クウが女性だったら良き妻になっただろうな。見目も良いから引く手あまただな』
ハハッと笑って隣を見ると、クウが立ち止まっている。
『どうしたのだ?』
クウの執務室がある管理棟から階段を登り、別棟に渡ると内務総省の部屋も設けられている王宮の主要政務階になる。
今いる場所はちょうど階段部分になる。
『そう言うことは控えろって、言ったはずなの』
『そう言うこと、とは?』
『だからぁーー!』
見上げた顔は、いつもの垂れ目が少し釣り上がり、不機嫌を体言したかのような表情だ。
クウは大きく溜め息をついて、ズンズンと先に歩みを進める。
『おい!クウ?』
止まる気配は一向にない。
『まったく、サンボウがそんなんだから変な噂が立つの。まったく! クウとサンボウが実は……なんて、考えただけで虫唾が走るの』
ブツブツ呟く声は後ろを歩くサンボウには聞こえていない。
クウも先日、耳にしたばかりのくだらない話。
侍女達が女っ気の無い男二人を噂していたのだ。ソレ自体は別にいい。誰と誰が良い仲だ、なんて女性達の好む話題だから余程の噂話でない限り、口を挟むことはない。
しかしそれが自分と、あろうことか……サンボウになると話は別だ。最近になって仲良くなったとか、距離が近いとか……。本当に……
『勘弁してくれ……なの』
『何がだ?』
階段を登りきったところで隣に立つ男を眺める。
『……なんでもない』
そんな噂があると知ったら、──男と男の世界があると言うことすら知らないだろう、この純情男は──確実にショックを受けるだろう。
『そう言われると気になるな』
『そんなことよりも! 姫の方はまかせたから』
背中をぽんと叩かれた。
それは遥か昔からの労いと信頼の証。
サンボウは緩む頬を引き締めるのに苦労した。
ここは王宮の中枢。誰に見られているかわからない。
見上げると廊下に均等に配置された蒼の国旗と、きらびやかな装飾が目に入る。
こんな時間だというのに、やることは山積みだ。
でも姫に会えるなら会いたい。
ふむ。もし行くのなら、ある程度は仕事を片付けてから……だな。