第148話 カリアスの災難③
陛下の居室には格子付きの大きな窓と対をなすように腰高窓があり、少し開けると心地よい風が入ってくる。外はもう夜の気配を漂わせていた。
『……あの陛下。何故、監禁という発想に至ったのか教えて頂けますか?』
『……大切なものはしまっておかないと…………逃げられてしまう』
沈黙の後に綴られた一言で、察することができた。
──母親には怯えられ、逃げられ続けた幼少期。成人してやっと愛おしい存在に出会えたと思ったのに、婚約間近の土壇場で裏切られ……拒絶された。
二度と繰り返したくないと思うのは、普通の感情だろう。
そんな過去があるからこそ、当たり前のように「監禁」と言う物騒な選択肢が出るんだろうな。そしてそれが実現出来てしまうほどの力と権力があるから、厄介だ。
『それに昔、シリックが言っていた。
──逃したくないものがあるならば、自らの腕の中に囲ってしまえばいい、と』
『……』
あの人は……! 息子の教育も問題あるが、仮にも陛下相手に何を教えてるんだ!
カリアスは御前というのも忘れ、頭を抱え込んで溜め息をつく。
『安心しろ。それが一般的でないことも知っている』
『……陛下』
『少なくとも私の身近に、伴侶を監禁してる者はいないからな』
『そう……ですね。それにシリック様も監禁と言う意味ではなく、もっと甘い意味合いかもしれませんよ。そう!それこそベッドの上で囲うような……甘い牢獄的な』
『……』
──やってしまった、と思った。
時間が止まったと言うか、止めて巻き戻したい。
『…………甘い牢獄か』
静寂が訪れた室内に、陛下の呟きがこだますると、顔に血が集まっているのを自覚した。
『フッ……。やはりお前は恋愛のスペシャリストだな。酒も飲まずに良く言えたものだ』
口の端を上げてクスリと笑う様子に、思わずしかめっ面を浮かべてしまう。
『……からかわないで下さい』
『フフッ、まあ許せ。今宵は無礼講だ。それに酒でも飲んで忘れてほしいのはこちらも同じだ』
逸らされた視線に、心の中でたしかにと、相づちをうつ。
『では互いに「今宵一時の戯言」と、流しましょう』
あぁ、と頷くと陛下はグラスにワインを注ぎ、軽くグラスを持ち上げた。私もそれにならい乾杯をする。芳醇な香りと微かな渋みが口内を満たし、幾分か冷静さを取り戻した。
『それにしても今更ですが、シリック様が甘い雰囲気とか、想像がつかないですね』
『……ふむ。では聞いてみようか』
『……は?』
陛下がオーブに手を翳すと、淡い光を放ち珠にシリック様の顔を見えた。
『シリック、そなたに聞きたいことがある。すぐに私の私室に来い』
シリック様は一瞬目を見開いたあと、口の端だけで笑みを作り『仰せのままに』と通信を切った。
『呼び出してどうなさるのですか?』
『聞きたいことがあると言っただろう?』
これは話して頂けないパターンだな。
『……ところで話は変わりますが、水姫様と相思相愛の仲になられたこと。誠におめでとうございます。
しかし側近達には一言頂きたかったものです』
『相思相愛?……誰が?』
『ですから陛下と水姫様です』
『……』
まさかの無言?
えっ……いや。まさか。
『相思相愛ではないな。そもそもミレイの想い人など知らん』
露骨なまでに不機嫌を露わにした声は、いつもより低かった。
『えっ……? 相思相愛だからこそ、監禁して逃さないと言う話ではないのですか?』
違うとなると話が少し変わってくる。
いくら王と言えど、嫌がる女性を無理矢理監禁するのを側近として見逃せない。
『違う。あいつの目に映る男が多いから、私しか見ないようにするためだ。そうすれば必然的に私を想うようになるだろう?』
『……それは、ちょっと』
口籠りつつも次の会話の糸口を探してみる。
『でも行動に移すような真似はなさらないですよね? 先程、一般的ではないと言っておられましたし』
『……』
だからなんで沈黙なんですか?!
『陛下、恐れながらそれは悪手です。
水姫様のような跳ねっ返りの娘が大人しく監禁されるとは思えません』
『跳ねっ返り……。フッ、そうだな。ここに来たばかりの頃、衛兵の交代時間の隙をついて部屋を抜けだしたことがあったな』
『なるほど。前科持ちでしたか……』
ミレイがこの場にいたら、一言物申したい気持ちになっていただろう。
その時、室内にノックの音が響き、水龍の許しのあとドアが開いた。そこに立っていたのは前宰相であり、バートンの父でもあるシリックだった。
『きたか』
『御心のままに参上致しました』
二メートルほどの距離を保ったところで、膝を付いて礼をとる。
『早かったではないか。今日も城内にいたのか?』
『はい。ヒルダーの所におりましたので、すぐに参ることがかないました』
『ヒルダー様は来られなかったのですか?』
シリック殿がソファに着座されたところで、グラスを用意し簡単な乾杯をする。
『ヒルダーにも声を掛けましたが「禄でもない話の予感がする」とだけ言って、帰りましたよ』
『……そうですか』
……何も言えないな。
『ところであまり酒が進んでいないように思われますが、お二人で何の話をされていたのですか?』
『……女性の監禁の是非についてだな』
『……』
わかります。わかりますよ、シリック様。
何の話だ?って思いますよね。
『それは、それは。……興味深いですね』
あぁーー。チラリとこちらを見ないで下さい。私はお諫めしてるところなのですから!
『お前は以前、私に言っただろう?
逃したくないものがあるならば、自らの腕の中に囲ってしまえばいい、と』
『あぁ。たしかに言いましたね。ですが解釈の相違があるようです』
『ほぉ? ではお前の見解を述べよ』
『そうですねぇ。肉体的に監禁をするとそれは問題となり、醜聞にもなりうるでしょう。ですが精神的なものであるなら、束縛とか依存といった言葉に変換され世間は「愛情深い」と表現してくれます』
ヒヤリとした空気が流れた気がした。そしてそれは窓からの風ではないことは、わかりきっている。
『……なるほど』
陛下はワインをグラスの中で遊ばせて軽く口に含む。暗に先を促しているのだ。
『そんなに難しいことではありません。
女性から好意を受けたら、それを上手く誘導すれば良いのです。
甘い言葉で屋敷にやんわりと閉じ込め、頃合いを見計らってわざと隙を作り、その檻から逃してやるのです。すると女性は、相手を出し抜いた優越感と外に出た解放感で、普通の事がまるで特別のように感じることができます。
ストレスが上手に発散出来たら屋敷に連れ戻し、優秀だと褒めてやります。すると「抜け出す」と言う悪い事をした背徳感と、褒められた喜びが癖になり、同じ事を繰り返したくなるのです。
それを何度か繰り返すうちに不思議と目的が変わり、こちらに興味を惹かせる為に抜け出すようになるんです。
──面白いでしょう?』
……ゾクリとした。
全然面白い話ではないし、不思議な事なんて一つも無いだろう。全て自身の手の平の上の話だ。
『そうそう。目に目えていつでも逃げられる状態を整えてあげると、反対に出ていこうという気が削がれるみたいですね。今ではやんわりとした檻が、むしろ心地良いらしいです。
……地道な監視と時折、甘い言葉が必要にはなりますが、達成できれば後は楽ですよ』
糸目をさらに細くして微笑む元宰相殿を見て、私は無意識に生唾をゴクリと飲んだ。
『……なんというか。さすがだなシリックは』
『お褒めの言葉を頂けるような話をした覚えはありませんが、嬉しく思います』
……何より怖いのはこれが実話だということだ。
たしか奥方様から好意を伝えられたとか。それでも……
『奥方の体調はどうだ?』
『御心に留めて頂き感謝申し上げます。幸いにも持ち直し、今では屋敷の庭を散策できるまでに回復致しました』
『それは良かった』
……そうなのだ。奥方様は病で療養中の身だ。体調が悪化したところで、宰相の職を辞され、付き添うために領地に引っ込んだ。
……実は愛妻家、なのか?
いや、そうだとしても話してる内容は調教や洗脳の類いだな。
『それで、陛下が監禁したいとまで望む、幸運な女性はどなたですか?』
『……わかっているだろうに』
陛下の声音が通常のものに戻ったと感じた。いつもならあり得ないことだ。
私室であり、非公式な場であるのに王の態度をとる理由はなんだ……?
『最近の水姫はどうだ?』
『それを僕に質問される理由がわかりませんが?』
『……ほお?』
室内の空気が変わる。
聞きたいことがあると言っていたのは、この件だったのか。たしかにシリック様が水姫にドレスを贈った話はこちらの耳にも入っているが……。それ以外にもありそうだな。
──おかしいな。
最初は馬鹿げた言葉を、聞き正しただけなのだが……。どうしてこうなった?
お二人にバレないように、静かに肺の中の空気を外に排出した。
夜はまだ長そうだ……。
あの父親を見て育っているせいか、長男はマザコン、次男は恋のひとつもできない純情男に育ってしまいました。でも二人共、仕事は人並み以上にできるし、家族仲も良いのが不思議です。
機会があれば、サンボウとクウの家の話などできたらいいなぁと、思っています。
これからもよろしくお願いします。