第142話 浄化の儀式②
『随分、久しぶりな気がするわ』
その言葉に隣を見ると、さっきまでダニエルがいた場所にアンドレウ先生がいた。
「先生!」
『何をぼーっとしているのですか。緩んだ顔をして、みっともない』
「すみません」
会って早々の駄目だしに、レッスンの日々が思い起こされてつい口元が緩んでしまう。しかしすぐに背筋を伸ばして控えめな淑女の笑みに塗り替える。
「ダニエルさんは?」
無言で流された視線を追うと、水龍さまや官僚達の後方で控えている様子がみえる。
そうだよね。秘書官だもんね。
水龍さまはと言うと、湖に手を入れて何やら話混んでいる様子だった。
「何かあったのでしょうか」
『よろしければ、私が儀式の説明など致しましょうか?』
アンドレウ先生に振ったはずが、不意に横から声を掛けられた。
服装から見ると、文官のようだけど胡散臭いニコニコ顔の見知らぬ男など、ただの不審者でしかない。
「ありがとうございます。でも、事前に説明を受けているので大丈夫です」
『そう仰らずに。私は高位官僚ですから儀式の内容にも詳しいのですよ。解説付だとまた違うものですから』
ずいっと距離が詰まり、男の左手がミレイの腰に触れようとした時、男がひっと声を上げた。
『あら。これではまるで逢引のようですわね』
『アンドレウ夫人!?』
先生の手が私の腰の辺りで男の手を掴んでいた。
『主人に誤解されたらどうしましょう』
『なっ、なにを!』
男の顔が驚きの後に強張っていく。手を無理やり離すと直ぐさまヒルダー式部長官を伺う。
『わっ、私は水姫様を支えようとしただけで』
──たしか先生を射止める為に、武官並みの訓練を積んで文官最強と言われるまでになったんだよね。水龍さまの教育係を務めたくらいだし、今でも権力者だし?
うん。奥さんに手を出した男への報復は……怖いだろうね〜。
絵に書いたような焦り顔と挙動不審な動きに、先生と私は冷めた目を送る。
「ダサっ……」
『?!』
ポロリと本音がこぼれ落ちた。
男はカッと顔を赤く染め上げると、キツい視線を私に投げつけ、口を開いたそのとき
『イーグリップス卿のご子息は随分とお優しいこと』
すかさず先生が言葉を被せた。
私の左隣りから圧を感じる。
柔和な言葉と声音とは裏腹に、醸し出すオーラは穏やかではない。
隣にいるのは百戦錬磨の兵だったかな?
そんな錯覚さえしてしまう。
『そんなに詳しいのでしたら、わたくしにもご教授願えますか?』
笑みと共に投げられた視線を受け、男は顔面蒼白で『滅相もございません!』とだけ言い残し、一目散に走り出していた。
『だらしがないこと』
「……はは」
粘った方だと思うけど、子狐が妖狐に吠え立ててるようなものだし、適うわけないよねーー。しかも式部長官の奥さんに解説とか……ははっ。
苦笑いしか出てこない。
『はぁーー。あんな露骨な痴れ者はまれですが、水姫と接触を図りたいと思う者は、貴女が思ってるより多いんですよ。もう少し自覚なさい』
「……すみません」
『ただでさえ陛下のお気に入りと思われているのに、神殿からも要望があったと、王宮の話題の中心は貴女です。
貴女が望まずともその身は政治的価値が発生するのです。……憶えておきなさい』
「……はい」
それこそ望んでないよ。
私、元の世界に帰るし。
水龍さまがの前でバタバタ動きまわることは控えているのか、人垣の後ろを通って文官や騎士が移動する様子が目に映る。
なつかしいな……。
私だって元の世界にいた時は事務作業に現場仕事もこなして、結構頑張ったんだよ。
それなりにお給料だって良かったし、同僚と週末には飲みに行って、レモンサワーと唐揚げで乾杯して……。
──ワタシだけがチガウ
……駄目だ。なんか、ぼっちの気分だ。
帰りたいなぁ……。
? いや、待って。私が帰りたい理由って……まさかこれ?
いやいや。たしかに人恋しさはあるけど、家族や友達にも会いたいけど……。
不意に湧き上がった疑問に唖然としながらも、全力で否定するが、自分がなんで帰りたいのかわからなくなってしまう。
『ミレイ、どうしましたか?』
「あっ。……いえ」
『なにかあるなら聞きますよ。貴女よりは少しだけ年長者ですから』
少し? と疑問に思ったけどそれはあえて口に出さなかった。女性に歳の話など、愚問中の愚問だ。
「……あの。先生は孤独感とか、居心地の悪い感じ? とか、先の見えない不安……みたいなものをありますか?」
尻すぼみに声が小さくなる。
口に出してから後悔した。
こんなカッコよくて、可愛くて強くて完璧な人にそんな感情あるわけない。
『ありますね』
「あるんですか?!」
食い気味に声が大きくなり、周りの文官達の動きが一瞬止まってこちらを見た。
「……すみません」
『失礼しました』
二人揃って礼ををする。
その後は控えめな小声を気を付けることにした。
『平時に大きな声を出すものではありません』
平時にと注釈がつく辺り、イレギュラー慣れしてる貴婦人がなんだか面白く思える。
『……先程の話ですが、私は社交界においては異端な者です。
淑女というものは楚々として過ごし、男性をたて、淑やかに振る舞う者の事をいうものです。いくら武の家の出だとしても、剣を振り回し、男性を這いつくばらせる女は、淑女として認められないものなのです』
凛と背筋を伸ばし、前を見つめる。
異端だと言いながらも、その背中も視線も真っ直ぐで、やっぱりカッコイイと思ってしまう。
「……でも先生のことをみんな敬意を払って接していますよね。もともとの身分とか旦那さんの仕事柄とかあるんだろうけど、それだけじゃないのは……何となくわかります」
カッコいいけど、今の地位や評価を確立する前には、やはり口には出せないくらいの苦労をされているんだろうな。私には到底そこまでは……。
俯きながら発した言葉に、先生は微かに頬を緩ませた。
『ありがとう。……ねぇ、ミレイ。
他人の評価が気になるのは、自分に自信が無いからだと私は思います。価値がある者になりたいと願う気持ちはそれは向上心と同義なのですよ』
「向上心と同じ……?」
『ええ。自信が無いのなら、まず自分の価値を高める努力をすれば良いのでは?
あと、孤独を感じてる時は、わりと自分から壁を作っていたりするものです。「私はこうだから」と、ね。
……まぁ。これは個人の経験に基づく意見なので参考になるかわかりませんが』
コホンと咳払いをした横顔をじっとみると、少しだけ耳が赤く色付いていた。
「ありがとう……ございます」
なんだろう、あったかい気分だ。
先生自身の話を聞けたことがすごく嬉しい。
『なんにせよ。うだうだと悩んでしまうのは追い込みが足らないからです。心地よい疲労感に身を委ねていれば、心身共に健康でいられるものですから』
「…………えっ?!」
予想もしてなかった言葉に二の句がつげられない。
追い込み?
心地よい疲労感? ……なにそれ?
『これも私の経験に基づくものです』
朗らかに笑う先生は優雅で可愛らしい。
だけどあとに続く言葉はきっと可愛くないはず。これも私の経験談だ。
『今度、稽古をつけて差し上げます』
「おぉぅ……」
そうきたか……。
着飾った淑女は決して言わないだろう言葉が飛び出しても、先生は笑顔を保ったままだ。
「……拝聴させて頂くだけで、私は満足です」
やっと言葉を絞り出す。
『ミレイとのレッスンは、わたくも楽しく思っておりますのよ。老い先短い老婆の戯れのような娯楽ですから、付き合って貰えたら嬉しいわ』
「…………ろうば?」
確かに見た目はね?
でも私が知ってるお婆ちゃんはダッシュかまさないし、飛び蹴りしないし、ましてや投擲で人の動きを止めたりしないよ。
「……まだまだお若いですよ」
こんなに生気に溢れてる老人を見たことないよ。
『何を言うかとおもえば。フフッありがとう』
恥じらいつつ笑う顔はやはり可愛らしい。
そもそも老い先短いって言っても、私の寿命よりは長いよね? そう考えると先生はまだお婆ちゃんですらない?
深く考えないことにした。
知らなくて良いこともある。
一部の者は空き地に戻るように指示が出された。
当初の見立てより大きな力を使う必要がある為、自己防衛できない者は、この場から離れるように命令が下りたのだ。
私達ももっと下がるように指示が出され、その横にはいつもと違う紫のマントを羽織った護衛が二人ついた。先生いわく、主に妖術を駆使する王宮警護隊の人らしい。
緊張感が辺りを包み込む。
湖畔から二メート程の距離を取ってサンボウ達が控える。湖畔の縁に立つのは水龍さまただ一人。
ふわりとその身を浮かせると、軽やかに水面に降り立った。
水を自在に操る水龍さまにとっては湖面に立つことも、歩くことも造作もないことなのだろう。
湖の中央で両手を胸の高さまで上げ、目を瞑り、意識を集中する。静かな湖面が水龍さまを中心にさざ波を打ち、そして淡い光を放つ。
『水よ応えよ 我は龍族の王 龍王である』
……儀式は始まったばかりだ。
少し時間があいてしまいましたが、引き続き読んで貰えたら嬉しいです。
これからも宜しくお願いします!